瑞木由花 18歳 秋4
キヨにいの言ったことが、わたしの心を蝕んでる。
キヨにいの言ったことは絶対に間違ってる。わたしはあんなヤツと同類なんかじゃない。そうだ、きっとキヨにいがわたしの考えを誘導して、そう思い込ませただけなんだ。卑怯なヤツ。騙されるな。
何のために?
…………。
頭が重たい。体の軸がフラフラする。
何も考えず足を動かしてたら、気づいたら受付の前にいた。外の空気が吸いたくて、自動ドアをくぐる。
「おい、この写真の女を見たか?」
急に目の前に、おねーちゃんの写真が差し出された。
「……おねーちゃん?」
「おい君、エリカの妹なのか? じゃあやっぱりエリカがこの病院に運ばれたってのは本当なんだな? おい、エリカの妹がいたぞ!!」
しまった。ハッとして顔を上げる。カメラや手帳を持った、虹色のバンダナを付けた四人組の集団。明らかにおねーちゃんを狙ってる。
「あらあなた、大分顔色悪いわね。ひょっとして恵里佳が重傷って本当なの?」
「ねえエリカの病室って何号室?」
「リスナーの皆さん!! 今ぼくが張ってた病院で――」
「ちょっと、なんだ、何なんですかあなたたちは!!」
わたしが叫ぶと、キモチワルイ笑みを浮かべた女性がすり寄ってくる。
「私たちはエリカのファンよ。エリカが病院に運ばれたって聞いてとっても心配してるの。ほらこれ虹色のバッジ。いいでしょ。ねえ、エリカに合わせてくれない?」
「それは見せびらかすようなものじゃないです。ていうか、心配してるなら会わせろとか言わないでください。常識でしょう?」
「おい君、大人に対してそんな口の利き方はないだろう。ご両親はどこだ、呼んできなさい」
デカいゴリラみたいな男が口を挟んでくる。最初に写真を見せてきたヤツだ。コイツら一体何なの? おねーちゃんを心配してる感じが全然しない。厄介なファン? それとも活動家?
「あらそれ良いわね。呼んできてよ。あなたの敬意のない言葉遣いに私は傷ついたわ。これは大人同士で話をすべきことね」
「……アンタらなあ」
太った男は無言でわたしにビデオカメラを向け続けてる。もう一人のガリガリ男はユーチューバーか? わたしの方にスマホを向け、ずっと一人で喋りっぱなし。
とにかく、こいつらをおねーちゃんに合わせたらダメだ。ヤバいやつらにしか見えないし、おねーちゃんは自分の体調を隠したがってる。でも、何て言ったら追い返せるんだ。……頭が回らない。そうだ、定番のやつ。
「……おねーちゃんに会いたいなら、ちゃんと事務所を通してアポを取って、正規の手順を踏んでください」
「はあ? 俺らが不正だって言いたいのか? もういい、おい、入るぞ」
「は? ちょ、ちょっと、なんで?」
ゴリラ男はいやらしい笑みを浮かべる。
「俺たちが病院に入ることの何が不正だっていうんだ? うん? さあどいてくれ」
肩を突き飛ばされ、ふらついた隙に病院の中に入られる。受付の人が戸惑った様子でこっちを見ているけど、何もしようとしない。こいつらを止められるのは、わたしだけだ。
止めないと。ゴリラ男の腕を掴む。振り払おうとしたようだけど、わたしの握力は相当強い。睨み合う。
「邪魔をするな。だいたい、俺らが応援してあげたから有名になったんだ、ちょっとはこっちの希望に応えるのが筋ってものだろ」
うるさい。おねーちゃんの歌はお前らのためにあるんじゃない。お前らの応援なんて必要ない。
「ホント、LGBTを利用しなきゃ誰にも相手にされないくせに、自分の力で成り上がったと思って調子に乗ってるのよ」
違う。おねーちゃんは彼らを応援してあげたかっただけ。自分のためだけなら、そんなことしなくてもよかったのに。
「今どき男だって生きづらいってのに、男と女を都合のいい時に使い分けて、本当にいいご身分だよな」
なわけない。勝手に入れ替わる自分の性別にずっと苦しんでたんだ。
「わかる。私だって辛いのに。人生舐めてるわ」
ふざけるな。舐めてるもんか。お前らの万倍辛い思いをしてきてんだよ。
早桜さんも、キヨにいも、お前らも。寄ってたかっておねーちゃんから甘い汁を啜ろうとして。おねーちゃんの気持ちを考えず、弱音を吐く暇すら与えずに。
そんなんだから、おねーちゃんが倒れちゃうんだよ。
お前らが、おねーちゃんを追い込んだんだ。
「おい、おねーちゃんの悪口を言うな。何も知らないくせに、知ったような口を利くな」
「おまえなあ、たかが妹ってだけで何様のつもりだ? ああ? エリカはみんなのものだろうが。独占していいと思ってるのか?」
「……もの、だあ?」
「そもそもツアー中に倒れるなんてのがなってないのよ。あのスキャンダルにしたってそう、あんなの私たちの望んだエリカじゃない。間違ってるわ。エリカは恋をしない。常に性的マイノリティの立場の向上について考えてて、Xジェンダーに苦しみ、歌うことでしかそれらを表現できず、そのためになら自分がどうなってもいい。それが私たちのエリカってものでしょ?」
……誰だよ、それ。
なんでみんな、その通り、みたいな顔で頷いてんだよ。
「……アンタら、おねーちゃんに会ってそんな酷いことを言うつもりなのかよ」
脳髄が冷える。体温が上がる。
このクズ共が。許さない。
お前らは、おねーちゃんの敵だ。
――心が拳を構えた時には、体は動きだしていた。
ボクサーとしての全てを刻み込んだ本能に、頭脳を預ける。ゴリラ男はガタイはいいけど隙だらけ。瞬時に左フックをみぞおちに決め前のめりにさせた後、顎に右フックを叩き込む。清々しいくらいのクリーンヒット。脳を揺らされ崩れ落ちるゴリラ男の顔面に左ストレートで追撃を加え、ステップですり抜け女の前へ。
――わたしが、おねーちゃんを守るんだ。
頭の中で響くおねーちゃんの歌声は絶叫じみて。わたしを無敵にし、恐れを奪う。
「え、ちょっ」
トロい。カッターナイフを取り出し振り回す腕を慎重にパリングし、はたき落としたところで女の顔面に右ストレート、踏み込みからの左ボディブロー。面白いくらい拳がめり込み、そのまま心臓を掴めそう。なんだお前ら、あんなに痛い言葉を吐くくせに、赤ちゃんみたいに脆いんだな。
続いてデブのカメラをアッパーで天井にぶち上げ、落ちてくる前にショートレンジからボディに五発。相手の体重を利用し念入りに拳をねじ込む。少し離れたところにユーチューバー男。全身をばねに。アウトレンジからのダイナミックかつ鋭い踏み込み。体重を乗せた一撃がスマホごと男の顔面に食い込む。歯の折れる感触はコミカル。漫画みたいに吹っ飛んでいく。
うめき声。立ってるのはわたしだけだ。息は一つも乱れてない。拳についた誰かのよだれが気持ち悪い。
……しばらくして、パトカーのサイレンが聞こえてきて、ようやく気付く。
わたしはおねーちゃんを守れた。
けど、びっくりするくらい達成感がないのは、それがこの一瞬だけだからで。
その代わりに、きっとたくさんのものを失ってしまったからだ。
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