瑞木由花 17歳 夏1
「第十八競技 フェザー級 二回戦の両選手を紹介します。赤コーナー 瑞木由花 柏市 柏の葉高等学校。青コーナー――」
名前を呼ばれ、振り返って観客席にいるおねーちゃんに拳を突き上げると、手を振り返してくれた。七月の市民体育館は熱気がムシムシして気持ち悪いけど、一瞬で気にならなくなって、やってやる、って気持ちがむくむく湧いてくる。
そして、全日本女子ジュニアボクシング選手権大会千葉県予選、その決勝の舞台にわたしは上がった。リングに入り一礼、レフェリーにグローブやマウスピース、ヘッドギアを確認してもらう。相手は一つ年上の三年生の選手。一度拳をぶつけて礼をする。そしてぎょっとした顔をされたから、少し気分がよくなった。
「……まったく。崩れても知らねえからな」
セコンドのコーチが呆れた様子で呟いた。おねーちゃんに教わったメイクは、半年間の努力の結果、今では我ながらなかなかの腕前だ。今日もばっちり決めている。アイライナーなんてバチバチだし、リップはラメ入りでキラキラしてる。大会とはいえ部活動、顧問の教頭先生が何も言わないのをいいことに、こんなにメイクしてるのはわたしだけだ。
わたしは今、会場の中で二番目に可愛くて、一番強い。
ゴングが鳴った途端前に出る。アウトレンジから様子見をする相手に詰め寄り、積極的にジャブを打ってこちらのペースに引きずり込む。逃げようとするけど逃さない。鍛え上げたステップの勢い、鋭さ、柔軟性が、わたしを獲物に絡みつく蛇へと変える。前へ前へ。ひりつくような試合の興奮と状況観察の冷静が、決して混ざらない氷と熱湯のように体中を駆け巡る。
周りの景色が溶け、没入していく。――きた。頭の中で、どこからかおねーちゃんの歌声が聞こえ始める。途端、わたしの中から無限のエネルギーが湧いてくる。
こうなったら、わたしは無敵。神様にだって負けやしない。
反撃の拳が飛んでくるけど、ヘッドスリップとダッキングで楽々躱す。腰を落としたまま右ストレート、姿勢を崩させた隙にショートレンジへ踏み込む。インファイトこそわたしの本領。さあ打ち合いだ、そんなにガードを固めてていいの? 左左右ジャブジャブフックボディアッパーボディボディボディボディボディ視線を落としたな右フック!!
ボディのガードに意識を誘導し視線を下げさせた瞬間、視界の外から右フックをこめかみに叩き込むと、相手選手は倒れ込んだ。レフェリーに止められ、わたしはコーナーに戻る。
試合はレフェリーの判断でそこで終了。三十八秒でわたしのRSC勝利。まあ、レベルが違い過ぎたってことだ。
「もうちょっと試合運びを考えろよ」
コーチがそうぼやいてたけど、試合にならないんだからしょうがないじゃん。
表彰を終えて、お父さんの車で家に帰る。後部座席で、応援に来てくれたおねーちゃんと並んで座った。
「由花、優勝おめでとう!! すごい迫力だったよ。パンチの音がするたびに鳥肌が立った。相手も強そうだったのに、一方的に勝つなんて。いやもう、本当にすごかった!!」
珍しく興奮した様子でおねーちゃんが褒めてくれる。面映ゆいけど、嬉しい。はにかんじゃう。
「ありがと。でも県予選だし大したことないよ。九月にある全国大会が本番」
「じゃあ、二か月後にまた応援に行かないとだ。それにしても、たまにはネイルちゃんも試合を見に来ればいいのに」
「ネイルは他の部活動に誘われるのが嫌で、ボクシング部にいるだけだから」
まあでも、わたしに実績があるからってネイルが交渉してくれたおかげで、人数不足の今も「保留」扱いで部活動を解体されずに済んでるんだけど。
一応、ネイルにも「優勝した」ってメッセージを送っておいた。そのうち既読くらいはつくだろう。
「ワタシも頑張らないとなあ……」
「……クラウドファンディングのこと? やっぱり厳しそう?」
ちょっとね、とおねーちゃんは苦笑いする。
先月、おねーちゃんはファーストアルバムの発売に合わせ、十一月に初のワンマンライブを開催するため、クラウドファンディングを開始したのだ。目標額は六百万。でも、現時点で三百万にも届いていないらしい。
「なんでだろ。テレビにも何度か呼ばれたのに、おねーちゃんってそんなに知名度低いのかな。……あ、えっと、ごめん」
「ううん、由花の言うとおりだよ。ワタシはその界隈とかで良く知られてるだけで、世間ではマイナーな歌手の一人でしかないんだ。テレビに出たっていっても、普段YouTubeしか見ない人たちが、テレビに推しが出るなら見てやるかって感じで見る番組だし、情報番組に取り上げてもらえた時も、やっぱりネット配信者を中心に取り扱ってるマイナーな番組だったし。いろいろやってるけど、活動が新規のファンに繋がってないんだよ」
だからファンが少なくて、お金も集まらない。
「なんとかしたいけど、ワタシを知らない人に見てもらうためには、宣伝とかにお金をかけないといけない。けど、そんな余裕があったらクラウドファンディングなんてしないし。……早桜さんが何とかなるって言ってたからライブ開催に賛成したけど、やっぱり性急だったのかな」
「話題になるような何かをするのは? ものすごいインパクトのある動画を撮るとか」
「それって、どうやって?」
答えられない。おねーちゃんの歌だけでもとんでもないインパクトがあると思うんだけど、ツイッターやインスタの公式アカウントでシングルの宣伝をするだけならもうやってる。でも、それで今の状況なんだから、まだ何かが足りないんだ。
「企業とコラボできたらいいんだけど、そのためには有名にならないといけないし」
堂々巡りだね、とおねーちゃんが苦笑する。
「じゃあ、うちのジムで歌ってみるのは? ボクシングジムで歌う歌手なんてそんなにいないんじゃない?」
思い付きを口にしてみた。おねーちゃんはわたしをまじまじと見た後、あらぬところをじっと見つめて、それからもう一回、今度はキラキラした目でわたしを見る。
「由花、それいいかも」
「あ、そう?」
「うん、ちょうど次の新曲が熱血系なんだけど、まだ曲ができただけで収録場所については未定だったの。ボクシングジムはイメージに合うしインパクトもある。ぴったりだよ」
「へえ、そうなんだ」
「そうそう。でもワタシが歌ってるだけだと視覚的に寂しいから、由花がボクシングをしてるシーンを撮ってPVに入れたりして」
「え?」
「あのドン、ズン、っていうパンチ音も加えたら、すごくアツくて攻撃的な曲ができると思うんだ!!」
「……ちょっと待って。それって、おねーちゃんの新曲のPVにわたしが出演するってこと?」
おねーちゃんは、まるでそのことに今気づいたみたいにハッとした顔をする。
「ゴメンね由花、お願いできない? いい作品にするためには、由花のボクシングが絶対必要だと思うんだ」
「むしろ、わたしなんかが出ていいの? ウチのジムにはプロボクサーもいるけど」
「由花だからいいの。ワタシがこの目で確かめたんだから、一番信頼できる」
おねーちゃんが真剣な顔でわたしを見つめる。もう、そんな風に頼まれたら、断れるわけないじゃんか。
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