瑞木由花 16歳 冬3

 撮影当日。わたしはおねーちゃんと一緒に、早桜さんが運転する社用車でテレビスタジオに向かった。


「エリカ。言うまでもないけど、家族同伴を許したのは初めての撮影だからよ。今後はこんな特別扱い許されないから、わかっていて頂戴ね」

「はい、すみません」

「瑞木さん。到着したらわたくしについて来て頂戴。タレントの控室に入れるのは関係者だけなの。あなたは入れないわ」

「……わかりました」


 それじゃついてきた意味がないじゃんって思ったけど、ただでさえ無理を言って同行してるんだし、おねーちゃんも納得してるみたいだったから、黙っておくことにした。


 到着する。早桜さんを先頭に、ずんぐりとしたビルの中へ。 受付でもらった“関係者”のネックストラップを首から下げ、おねーちゃんを控室まで送り届け、スタジオに向かう。


 テレビスタジオは、わたしの想像よりもずっと広く、熱気に満ちていた。天井は体育館くらい高く、剝き出しの照明が鉄骨の骨組みから吊るされている。カメラをはじめ、よくわからない物々しい機材が並び、その間をスタッフさんたちが足早に通り過ぎていく。そしてテレビでありがちな華やかな舞台セット以外は、そのすべてが黒に統一されていた。


 わたしは指示された通り、スタジオの一番後ろの誰の邪魔にもならない場所で、借りてきたパイプ椅子に座る。


 ネックストラップを手持無沙汰に弄っていると、早桜さんがただならぬ表情でやってきた。


「エリカが控室でずっと塞ぎこんでいるの。とてもテレビに出られる状態じゃないわ。わたくしには理由も話せないみたいだけど、家族なら何とかできないかしら?」


 いつから呼び捨てになったんだとか、何とかってなんだよとか、言いたいことはあったけど、取り合えず控室まで向かう。白い廊下が続いて、おねーちゃんのいる場所は結構遠い。


 控室は他の出演者との共用みたいだけど、今はおねーちゃんしかいなかった。みんなもうスタジオに行ったのかもしれない。


 椅子に座って俯くおねーちゃんを見て、頭の芯が冷えた。


「……おねーちゃん、なにそれ」

「ああ、由花。歴史で習ったでしょ? これは貫頭衣って言って――」

「誤魔化さないで。なんでそんなもの着てんの? おねーちゃんが選んだ服は?」


 おねーちゃんが着ているのは、布地の中央に穴をあけて頭を通すだけのもの。その布は前後がそれぞれ七色ずつ、等間隔で塗り分けられていて、虹を着こんでるみたいだった。おねーちゃんの体が見たことないくらい中性的になっていることも相まって、浮世離れして見える。


 レインボーカラーは性的マイノリティの旗印。あのクソ女、ALLYの活動のためにおねーちゃんの気持ちを踏みにじって、それでわたくしには話してくれないとか、よく言えたよ。本当に、全然、わかってない。


「脱いじゃいなよ、そんな格好悪い服。おねーちゃんが自分で選んだ方の服が百倍似合うよ」

「これはいいの。同じ境遇の人の助けになりたいって気持ちは本当だから、わたしも納得してる。服は、隠れちゃったのは残念だけど、まあそれだけ」

「……じゃあ、なんで落ち込んでるの?」


 おねーちゃんの前の椅子に座って向かい合う。少し迷った後、おねーちゃんは話し始めた。


「……こういう服を着てると、ボクの性的マイノリティが押し出されてるように感じるんだ。ううん、それは本当にいいんだけど……、ただ、ボクが呼ばれた理由は、何だろうって思って。……この番組は、ボクの歌が聞きたいんじゃなくて、性的マイノリティの、Xジェンダーの歌手が……、歌っている時に体の形が変わって、性別が変化する物珍しい歌手が、見たいだけなんじゃないかって。珍獣みたいな見世物として、呼ばれたんじゃないかって」

「っ、そんな、」


 そんなことない、なんてわたしには言えない。おねーちゃんを虐めたやつらのことも、おねーちゃんの動画のコメント欄やSNSに、酷い誹謗中傷が書かれていることも、Xジェンダーだからって煙たがる人や、無神経で心無い言葉をかけてくる人がいたことも、ちゃんと覚えているから。


 だから、別の言葉を探す。


「……確かにそうかもしれない。でもそんな奴らどうだっていいじゃん。聞く気もない相手に聞かせようとするだけ無駄だよ」

「でも、」

「大丈夫、ちゃんと聞いてくれる人は絶対にいるから。動画のコメント欄に、感動したってたくさん書かれてたでしょ? だからおねーちゃんは、おねーちゃんの歌を聞いてくれる人のために歌えばいいんだよ」

「……でも、今日見てくれてるかはわからないよ」


 おねーちゃんは、まだこの世界を信じられないんだ。思わず両手を取って握りしめる。


「それなら、わたしの為に歌ってよ!! わたしはおねーちゃんの歌を絶対にちゃんと聞くよ。約束する。世界中の人が聞いてなくても、わたしだけは聞いてるから。おねーちゃんをまっすぐ見てる人は、一人だけは、ここにいるから!!」


 胸が苦しくなる。ああ、世界には七十億も人がいるのに、なんて悲しいセリフだろう。


 おねーちゃんがわたしの目を見つめる。本気の目で見つめ返す。しばらくして、おねーちゃんはふっと笑った。


「由花、ありがとう。やっぱりついてきてもらってよかった」

「どういたしまして」

「そうだよ、ボクが歌い始めたのは、ボクがボクらしくいられる場所が欲しかったから。ボクの歌を聞いて欲しかったから。ならやっぱり、聞いてくれる人たちのことを一番に考えるべきだよね。……うん? いや、それなら、ボクが今日聞いて欲しいのは……」


 おねーちゃんはスマホで早桜さんと連絡を取り始めた。今日歌う曲を変えてほしい、と頼んでいる。歌うことで頭がいっぱいのおねーちゃんは、もう元気が溢れていた。だから、そっと控室を後にする。


 会場に戻ってしばらくすると、収録がスタートした。メインパーソナリティーがトークで場を盛り上げ、番組を進行していく。ゲストが次々と登場し、紹介され、インタビューの後、歌やダンスを披露する。今日のゲストは五組で、おねーちゃんは一番最後だった。


 おねーちゃんが登場すると、今までの経歴が軽く読み上げられた。メインパーソナリティーはまるで当然のようにXジェンダーに関する話題を振り、学校生活の大変だったところを聞き出し、差別に負けず勇気を出して歌い成功したんだと、まるで悲劇の主人公のように語り出す。なぜ歌うのか問われ、おねーちゃんは「歌うのが好きだからです」と答えたけれどなかったことにされ、マイノリティに勇気を与えるだとか社会の歪みを正したいとか、高尚で高潔な理由を押し付けられる。都合よくべたべたラベリングされることへの憤りと、おねーちゃん頑張れって気持ちがわたしの中でぐつぐつ煮える。


 おねーちゃんは常に笑顔で、終始落ち着いて対応していた。でもわたしは知ってる。おねーちゃんはお腹の中にとんでもない怪物を住まわせてる。ソイツは歌う時だけ姿を現して、おねーちゃんの歌声となって暴れ回るんだ。


「それでは、エリカさんに歌っていただきますのは……、はい、ええ、つい先日リリースされたばかりのサードシングルです」


 早桜さんの説得は成功したらしい。ステージ中央におねーちゃんだけが残り、カメラと照明が集まっていく。


 イントロと同時に、アップテンポの歌声がスタジオを満たす。直後、おねーちゃんの腹から跳び出してきた怪物が、わたしたちを一息に飲み込んだ。


 それは、全てを笑い飛ばすような、底抜けに明るく元気な歌だった。世界はどこまでも続く青空と花畑に変わり、宙に浮かぶたくさんのスイーツが甘い香りを放ち、メロディーがキラキラ光りながらわたしたちの周りを飛び回っている。


 おねーちゃんはその中を歩いていく。笑顔を振りまき、目いっぱいに振りつけさえつけながら。目が痛くなるほどに眩しい姿、でも逸らせない。センスを疑う貫頭衣も、メインパーソナリティーがかけた見る目がない言葉も、誰よりも元気いっぱいで楽しそうなおねーちゃんの歌声の前に、全部が全部消し飛んでいく。


 なんてエネルギー。なんて輝き。なんて傍若無人。


 どうしようもなく、引き込まれてしまう。


 わたしたちはその強さに、否応なく感化される。どこからか元気が湧いてきて、無意識に体をゆすって、笑顔を浮かべて、おねーちゃんの歌に聞き入ってしまう。そう、強さだ。この歌は能天気なくらい明るいけど、痛みや苦しみ、不安や後悔を知っている。知っていて、それを笑い飛ばす強さがある。それこそがこの歌のテーマ。笑え。笑え。笑い飛ばせ。あなたたちにはそれができる。理不尽な暴力に負けるな。そう訴えかけて……信じさせる。


 そうか。おねーちゃんは今日、おねーちゃんの曲を聞いてくれる人のために歌うって言ってた。同じ境遇の人たちに元気を届けたい、とも。だからこの曲なんだ。聞いてくれる人たちに、元気と勇気を届ける曲なんだ。


 歌が終わり、スタジオに一瞬の静寂が訪れる。控えめな笑顔を浮かべお礼を言うおねーちゃんは、とっても清々しそう。メインパーソナリティーや他の出演者たちは、歌の余韻が抜けず、夢の国から急に現実に戻されたみたいにぼうっとしている。


 それ見ろと鼻で笑ってやりたくなる。どんな偏見や企みや押し付けも、おねーちゃんの歌には敵いやしない。


 おねーちゃんが退場してしばらくして、スタジオに早桜さんがいることに気づいた。そっと近づき、収録の邪魔にならないよう声を潜めて問う。


「おねーちゃんの服、なんでアレにしたんですか? 格好悪いです」


 早桜さんは、なぜわたしが怒っているのかまるでわからない、と言いたげに眉をひそめた。


「……あの衣装なら服を隠せるから、いつものスウェットみたいな歌いやすい服装で歌えるでしょう? それに身長が変わっても見た目に大きな影響がないし、ちょっと奇抜だから他のゲストと差別化できる。もちろん、性的マイノリティの方々へのメッセージにも使える。エリカの歌いやすさとテレビ映えを考慮した結果、あれが最善だと判断したんだけど」

「……そうですか」


 一里あるな、と思った。早桜さんは早桜さんなりにおねーちゃんのことを考えているんだ。


「……おねーちゃんは、青とか藍色とか紺色とかが好きなんです。自分らしい色を着たら気分がアガると思うので、今日みたいに落ち込むことは減ると思います」

「そうなのね。言われてみれば、確かにレッスンには青系の服を着てくることが多いわね」


 早桜さんはメモ帳にさらさらと書き込むと、今日はありがとう、と言って速足でどこかへ歩き去っていった。

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