瑞木由花 16歳 冬2

 色々見て回って、気づいたらもう午後四時だ。足が痛くなってきたし、そろそろ決めないといけない。


 手持ち無沙汰でウインドウショッピングを楽しみつつ、どう声をかけようか迷っていると、おねーちゃんが上下一そろいの服を持ってやってきた。どちらも真っ黒。


「由花、これ着てみて」

「え、わたし? いやいや、おねーちゃんじゃないんだから似合わないって、ていうかそろそろ決めないと。もう四時だよ?」

「ワタシのはもう買ったよ」


 おねーちゃんが大切そうに抱えているレジ袋に入ってたのは、さっき試着してた服だった。宣言通りのストリート系の、グレーに差し色の赤が尖ってて、可愛くてカッコいいんだけどひねくれてる感のある、ファーストシングルにぴったりの服。じゃあ、その服は?


「由花に服をプレゼントしたくて。ほら、先週ボクシングの大会で優勝してたじゃん。そのお祝いだよ」

「関東高校選抜のこと? あれくらい余裕だよ。それにわたし、ファッションとかあんまり興味がないし」


 いいから、とおねーちゃんはわたしに服を押し付けてきた。


「興味がないのは知ってるよ。でも多分、由花は興味がないんじゃなくて、ファッションの魅力を知らないだけだと思うんだ。だから、一度試してみて欲しいの」

「……でも、こんなかわいいの、似合わないよ」

「由花はかわいいよ。だから大丈夫」


 何言ってんの? わたしが、かわいい? わたしといえば、明るい、強気、漢気、正義感がある、怒りっぽい、怖い。そんなイメージだし、周りの人にもそう思われてるのに。


 でも、どうしよう。嬉しい。めちゃくちゃ嬉しい。心が羽根みたいに軽くなって、足元がふわふわする。


「もう、なんで驚くの? ワタシの妹なんだよ? かわいくないわけないじゃん。ほら、着てごらん。似合うから。おねーちゃんが保証する」

「…………うん」


 かわいいなんて普段言われないから、なんだか無性に恥ずかしくなって、小さく頷いて試着室に入った。


 着て、姿見を見て、愕然とする。全然似合ってない。シャツ、ジャケット、スカート全部が黒で、地味な色のはずなのに自己主張がすごい。色んなところについたボタンやアクセがキラキラしてて、しかもなぜかジャケットのフードに悪魔のツノが付いてる。化粧っ気のないわたしはまさに服に着られてる状態で、鏡に映るのが恥ずかしい。


 着終わった? ってカーテンの向こうからおねーちゃんに尋ねられる。


「着たけど、これ、やっぱり似合ってない気がする」

「そりゃあ、まだね」


 そう言っておねーちゃんは、なんと試着室の中に入ってきた。呆気にとられるわたしを見て、後手にカーテンを閉めつつ、いい感じじゃん、って笑う。それからバッグを探り、コスメポーチを取り出した。まさか、と後退するわたしを壁際に追い詰めてくる。


「パパッと終わらせるから、ちょっとだけ我慢してね」

「ま、待って。待ってって!! わたしお洒落とかあんまり向いてないし、ていうか、それおねーちゃんのやつじゃん!!」

「由花だから特別。それに、向いてないことはないよ」


 おねーちゃんは聞いてくれない。ファンデを塗ってアイブロウして、ってわたしの顔を好き勝手に弄り始める。目の前におねーちゃんの綺麗すぎる顔があって、わたしをじっと見つめてる。一歩踏み出せばキスできる距離。心臓の音がうるさい。わたしは金縛りにあったみたいに動けなくなって、おねーちゃんにされるがまま。


「由花は派手な色が苦手だし、綺麗な黒髪だから、ユメカワ系みたいな多色より単色かなって。それに体が締まっててスタイルがいいから、手足やおへそが出る服もばっちり着こなせるよね」

「いやいや、筋肉でごつごつだし、肩とか盛り上がってるし、腹筋われてるし……っ」

「それもチャームポイントだよ。由花の素敵なところ」

 至近距離でささやかれて、ひく、って喉が引きつった。顔、絶対赤くなってる。恥ずかしい。でも、背けられない。


 わたしの顔に、おねーちゃんと同じものが施されていく。


 いつもおねーちゃんを綺麗にする道具が、今はわたしの顔に触れている。


 最後に塗られたリップは、妙な背徳感があった。気が抜けてぼうっとしていると、おねーちゃんに肩を掴まれ振り向かされる。


「……わ、わあ」


 さっきとは全然違う、この服を着るために生まれたみたいなわたしが、鏡の前に立っていた。


「ね、言ったでしょ。由花はかわいいんだよ」


 信じられなかった。女は化粧で化ける、なんて言うけど、それでもブスはブスだし美人は美人、どうせ限度はあるんだし、大した意味はない、って思ってた。


 違った。わたしは化け方を知らないだけだった。今のわたしは、原宿で二番目に美人だって気すらしてくる。さっきまで来てた服が入ってるカゴに視線を落とす。お母さんが買ってくれたジーンズと赤いシャツ、おねーちゃんに譲ってもらったおさがりのジャケット。何も考えずに着てたそれらが、急にわたしを輝かせるアイテムに思えてくる。


「こういう由花を、好きな人に見せてあげたいと思わない?」


 わたしはまだ恋をしたことがないから、ピンとこなかった。


「……おねーちゃんには、そういう人がいるの?」

「ワタシはいないし、できないと思う。恋愛感情そのものがないんだ」


 アセクシュアル、っていうんだっけ。残念だけど、ちょっと安心した。おねーちゃんには幸せになって欲しいけど、誰かに取られるみたいでいやだから。自分勝手な気持ち。


「由花は、なりたい自分になるために、ボクシングを頑張ってるんだよね」


 頷いた。そうだよ。わたしはおねーちゃんを全部から守れるくらい強くなりたい。ボクシングは好きだけど、その気持ちが一番だ。


「ワタシも応援してるよ。けど、なりたい自分になる、自分を変える方法は、こういうのもあるの。もちろん、勉強とか、特技とか、他にもたくさん。それを忘れないでいて欲しいな」


 そうなんだろうな、って思う。けどわたしは、おねーちゃんが暴力を振るわれてるのに、何もできなかった自分と決別するため、ボクシングを選んだんだ。難しいことはお父さんたちや早桜さんがやればいい。わたしは、皆にはできないことをする。


「……おねーちゃん、今度わたしにお化粧の仕方とか、教えて。……あ、いや、お仕事とか忙しかったら、別にいいんだけど」


 それでもそう言ったのは、世界で一番かわいくて綺麗でカッコいい人が、かわいいって言ってくれたのが、とっても嬉しかったから。また言ってほしいって思ったから。


 おねーちゃんは頬を緩めて、もちろん、と頷く。


「けどその代わり、ワタシのお願いも聞いて欲しいな」

「お願いって?」


 おねーちゃんはちょっと迷ったあと、ばつが悪そうに切り出した。


「……テレビの収録。実は少し怖いんだ。歌ってるところを一方的に撮影されたことはあっても、インタビューされるのとかは初めてで、上手く受け答えできるか不安なの。だから、由花が一緒にきてくれると……、心強いん、だけど」


 遠くに行ったはずのおねーちゃんが、わたしに手を伸ばしてくれてる。それが嬉しくて、もちろん、返事は決まってた。

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