瑞木由花 16歳 冬1

「はい……はい……、えっ、ワタシが? 本当ですか?」


 おねーちゃんが電話をしている。通話しながら部屋の外に出ようとして、びっくりして立ち止まった姿勢のまま。相手は早桜さんかな。ひょっとすると、二十日後のバレンタインに向け、何かイベントをすることになったのかもしれない。


 音をたてないように気を付け、明日提出しないといけない英語の宿題に集中する。気になるけど、盗み聞きしなくたって、わたしが知ってもいいことは全部教えてくれる。


 年が明けてすぐ、おねーちゃんのサードシングルがリリースされた。相変わらず最高の出来。フォロワーも増えたし、YouTubeのファーストシングルは二百万再生を越え、まだ伸びている。


 同時に、おねーちゃんの高校卒業も近づいていた。お父さんたちを説得して、大学に通わず音楽活動をすることにしたらしく、年末年始もレッスンで忙しそうにしていた。


 おねーちゃんを囲む環境は目まぐるしく変わっていて、見ているこっちが疲れちゃいそうだけど、とてつもないエネルギーに満ちていて、きっと楽しいんだろうなって思う。


「わかり、ました。……はい、よろしくお願いします」


 通話を切ったおねーちゃんは、さっそくわたしの肩を遠慮がちに叩いてきた。困惑半分、嬉しさ半分、みたいな顔をしてる。


「ん? どうかしたの?」

「あのね……、テレビ出演が決まったみたい」

「えっ……。すごいじゃん!! おめでとう!!」


 テレビ出演!! 覚えたての英単語が、わたしの頭からクラッカーみたいに吹っ飛んだ。


「い、いや、そんなすごい番組じゃないらしいよ。深夜のすごいローカルなやつで、YouTubeとかで活躍してる人や今話題の人を招待するって番組で、」

「活躍してる!! 今話題の人!!」

「も、もう、からかわないで!!」


 怒った顔をするけど、いかにも怒ってますよ、ってアピールしてる感じで全然怖くない。ほっぺをふにふにしたくなる。


「ごめんごめん。でも、本当にやったじゃん。収録って東京だよね。いつなの?」

「急だけど、来週だから、一月末か。急に出演者の一人が出られなくなって、空いた場所にねじ込んでくれたんだって。オンエアは一カ月後くらい。インタビューを受けて一曲歌って終わり。時間によっては歌はショートバージョンになるかもって」


 それだけか。ちょっとがっかり。でも、多分情報番組だろうし、そんなものなのかな。


 ともかく、初めてのテレビデビュー。まあ、おねーちゃんはハチャメチャに綺麗だからテレビ映りは完璧だし、何も心配することなんて……。


「ねえおねーちゃん、収録には何着ていくの?」

「え? そうだなあ、どうしよっか。撮影の時みたいに、早桜さんが用意してくれるのかも」

「いや、あれ合成じゃん」


 おねーちゃんは歌っている間性別が変化する。男の時と女の時では身長も体格も違うから、普通の服だとぶかぶかになったりパツパツになったりして見てられないのだ。アマチュアの頃ならぶかぶかのスウェットで十分だったけど、プロとなった今はそうはいかない。でもそんな都合のいい服ないから、それっぽい衣装を着て撮影して、後から細部を合成してるって聞いた。


「でも、ワタシの服だと、歌えるようなのはないよ?」 


 おねーちゃんはクローゼットへ視線を向ける。歌う時以外は、移動式のハンガーラックで服を収納してある。


 メジャーデビューしてから、おねーちゃんはお洒落な服を着るようになった。メンズもレディースも関係なく、自分に似合うものを着るように、と早桜さんに言われたのだそうだ。でも、歌う時は相変わらずスウェットみたいな動きやすい服にしがち。お洒落なのはサイズが合ってるのが大前提だから、歌うのに向かないらしい。


 よし、決めた。


「おねーちゃん、今週末空いてるよね? 服を買いに行こうよ」






 待ちに待った日曜日。おねーちゃんと一緒にラフォーレ原宿に入ると、真っ白い店内にいかにも高校生なブランドがお行儀よく並んでて、少し心配になった。


「ねえ、本当に原宿で良かったの? この辺、高校生向けの服ばっかりじゃん。おねーちゃんは三月には卒業するんだし、スタイルいいんだから大人っぽい服も似合うと思うよ?」

「いいの。撮影ではファーストシングルを歌うことになってるんだけど、あれは高校生が歌うから映える曲だから、女子高校生らしいファッションにしておきたくて」


 それならと気合を入れる。スマホを見たら午前十時。おねーちゃんのお給料と、お母さんたちからもらった軍資金があるんだ、原宿まで遠出した分いい買い物をしたい。


 おねーちゃんはメンズの服から見ることにしたようだ。わたしはおねーちゃんと違ってあんまりファッションに興味がないから、後ろを歩いて様子を見守る。


「ストリート系ファッションとかどうかなあって思うんだよね。ユニセックスなデザインが多いし、ルーズでゆったりしたシルエットで、身長が変わっても対応できると思うんだ。でも、サイズが合ってる時とブカブカの時で印象が変わるから、それも含めて考えないといけないの」

「なるほどね。それに歌いやすそう」

「靴を選びやすいのも大きいよ。体が一番大きい時に合わせて買っても、ストリート系ならごついシューズでも違和感ないから、体が一番小さい時でも似合う」

「ああ、わたし靴までは考えてなかった」

「まあインパクトと抜け感でいくなら、上下パープルカラーのスウェットに帽子、ちょっとしたネックレスとかっていうのもありだけど」

「それいつもとほぼ同じじゃん」


 けどおねーちゃんなら、それでも様になるんだろうな。


 一応相槌を打ってるけど、おねーちゃんにとっては独り言みたいで、気にせずどんどん服を見に行ってる。ストリート系、って言ってたけど、今持ってるのいかにもハラジュクって感じの可愛いやつじゃん。目的見失ってない?


 でも、わたしはそれが嬉しい。おねーちゃんは、今まで目立つのが嫌で地味な服ばかり着ていたけど、本当はファッションとかコーディネートとかが大好きなんだ。メジャーデビューした以上目立つのは避けられないっていうのもあるけど、大好きなものを思いっきり楽しめるのは、絶対いいことに決まってる。


 あっという間に時間が過ぎて、十二時。ラフォーレ原宿の二階にあるフードコートでお昼ご飯を食べることにした。おねーちゃんが難しそうな顔でタコスを齧る。


「うーん悩むなあ。色々な服を見すぎて、頭がパンクしそう」

「おねーちゃんさあ、似合う服じゃなくて、自分の着たい服を選んでみたら?」

「でも、一応商業でお金をもらってる身として、テレビに出させてもらうんだから。変な格好で出て会社に迷惑かけるわけにはいかないし」


 商業、お金、会社。大人って服を買うのも一苦労なんだなあ。


 そう言いながらも、おねーちゃんは楽しそうで、わたしも自然と微笑んじゃう。


 食べ終わって三階に上がると、おねーちゃんがちょっとトイレ、と言ったのでわたしもトイレ休憩。一足先に出てきて、多目的トイレに行ったおねーちゃんを待つ。


「ねえ君、さっき一緒にいた女の子の友だち?」

「めっちゃ可愛いよね。あ、もちろん君もだけどさ。どう? 今からお茶とか」


 ナンパされた。大学生くらいの男二人。無視する。

「ねえ、無視しないでよ。俺なんか嫌われるようなことした? 謝るから一緒に遊ばない?」

「いやいや、誘うの雑過ぎ。ところで、さっきの子ってまだ出てこないの?」


 そういえばわたし、ナンパされるの初めてだ。まあこいつらはおねーちゃん目当てらしいけど。……許すわけないだろそんなこと。あとトイレで待ち伏せすんな便所狼が。拳を握る。いやいや、ジムの掟。暴力はダメ絶対。


 無視し続けていると、おいちょっと、片方が少しいらだった様子でわたしの肩に触れた。べったりと目に見えない汚れが付いたみたい。コーチ、これはまだ正当防衛になりませんか?


 それでも我慢しようとして、男の片方が腰に腕を回してきた。脳が焼けた。にやけた男の顔が、真ん中でグニッと曲がってるミットに見えた。


 心が拳を構えた時には、わたしの体は動いていた。右足を軸に体を軽く浮かせて急回転しつつ、パリング気味に腕を勢いよく払いのける。立ち尽くす男のボディーはがら空きで、これならいけると牽制のジャブもなしに勢い良く右フックを肝臓に叩き込もうとして、後ろから誰かがわたしに覆いかぶさってきて、動きを止められた。あ、いい匂い。


「ボクの連れに何か用?」


 男っぽくなってるおねーちゃんだった。


「……あ、その服、え? さっきこの子と一緒にいた女の子は?」

「多分ボクだけど」

「でも……、あれ、え?」

「それで、何か用?」


 おねーちゃんはにっこり笑う。か、格好いい。顔面力でおねーちゃんの開幕二秒KO勝ちだ。わたしの心臓がどきどき跳ねてる。敗北したバカ男どもはすごすごと立ち去って行った。


「あー、びっくりしたあ……」


 おねーちゃんはそう言って胸をなでおろすと、風船の空気が抜けるみたい身長が縮み、さっきまでの女っぽい体に戻った。今日は基本的に女よりの日みたい。


「コラ由花、暴力はダメでしょ?」

「……ごめんなさい。でもあいつらが」


 言い訳をしようとして、止めた。せっかくの楽しい休日なのに、あんなやつらの話で時間を使いたくない。


「……うん、ごめんなさい」

「よろしい。じゃ、ショッピングの続きしよっか」


 勢いよく返事をして、おねーちゃんの隣に寄り添った。


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