大鳥嶺入留 16歳 春

 教頭の叔父さんが仕事を終えるのは午後七時頃。私はその時間まで、読書をして過ごす。場所は日によって変わるが、人に絡まれそうな場所は避ける。図書室なんかは意外とよくない。文芸部や図書委員は、本とその内容に興味を抱くからだ。結果、無関心を求める私は、教室や中庭のベンチ等を選びがちになる。


 他人のことがどうでもいい。生まれつきそうだった。それがどうやら私だけで、周りの人たちは違うらしいと気づいたのは小学校に入った後くらい。だから何だと思った。自分と無関係な人がどんな人間でも、私には何の影響もないのだから。


 しかし、興味は抱いた。私は人間であるにもかかわらず、なぜ社会に不適合な人間性をしているのかを。



 だから、人間を知るため、本を読むことにした。自分のどこがおかしいのか、他人を観察し、人の内面を描いた小説を読み、群体としての人間社会を観察する。変わりたいわけではない。ただ知りたいだけだ。自分とは何者かを、他人を通して定義したい。


 そのうち、本の便利さに気づいた。読んでいる間は他人に話しかけられにくく、一人でも手持ち無沙汰になることはなく、学校でも堂々と扱える。私自身は孤立していることを問題視しなくても、余計な気を回す連中というのは必ずいる。彼らへの対策としてこれほど便利なものはない。気づけば手放せないものになっていた。


「済まないね、嶺入留さん。遅くなった」

「いえ」


 午後七時。叔父さんの車の後部座席に乗り、家に向かう。


 叔母さんが私の両親を追突事故で死なせて以降、叔父さんが車に乗り続けていることを責める親族もいた。こうして私の利益になるにもかかわらず。その親族たちは、私を引き取ることを拒み、両親を殺した人間に押し付けたのに。さて、どちらが人の心がないだろう。


 葬式の時、お経が退屈でうたた寝していた私が一番かもしれない。


「叔父さん、頼みがあります」

「なんだい?」

「一年の瑞木由花がボクシング部を作ります。私もそこに所属します。活動場所などは不要です。顧問として名前だけ貸してください」


 戸惑った様子の叔父さんとミラー越しに視線が合う。私は人の様子を窺い、内心を察することはできる。ただ何を考えていようが、どうでもいいから興味がない。


「瑞木、というと、恵里佳さんの妹さんか」

「知りません」

「ああ……、三年の、特別な対応を必要とする子でね、歌を歌って投稿しているらしい」


 私の質問とは関係のない話だ。育てて頂いている義理があるから、相槌だけ打つ。


「そうですか」

「最近嶺入留さんがお昼を一緒に食べている子かな。一緒の部活に入りたいんだね。けど、創部には最低三名いるんだ。あと一人はどうする?」


 表情を綻ばせる叔父さんを見るに、何か勘違いをしている。どう思われようが、創部するという結果さえあればいいから、無視した。


「姉に頼む、と言っていました」

「そうか。まあ、職権乱用と言われてしまわない程度に、何とかするよ」

「ありがとうごさいます」


 期待通りの答え。会話が途切れる。家まであと五分ほどなので、車酔いしない体質

なのをいいことに本を開いた。叔父さんがチラチラとミラー越しに私を見ている。何か言いたそうだけど、話したいことがあるなら放っておけば勝手に話し出すだろう。


「……正直なところ、私は個人的に、恵里佳さんの音楽活動に肯定的じゃないんだ」


 予想通り、私が反応しなくても、話を続ける。


「実は私の友人の友人が、恵里佳さんと同じXジェンダーだったんだ。二十年以上前だから、今よりも差別が酷い時代だったんだが、その彼は強い人で、雑技団……サーカスに所属していた。恵里佳さんと同じように、性別が入れ替わる特性を利用して、さまざまな芸をやっていたんだ。サーカスの目玉役で、メインイベントではいつも華やかに登場し、素晴らしい演技を見せてくれた」


 ページをめくる。


「ただその人は、まだ若いうちに止めてしまった。というより、止めざるを得なかったんだ。家族からも勘当されていたし、あの時代の彼に行き場所は他に見つからなかっただろうに。というのも――」


 叔父さんは話し続ける。私はページをめくる。


 結局その話も、私には何の関係もなく、しかも何の確証もない話だった。叔父さんがどうしても気になるようなら、自分で瑞木ナントカに話しに行けばいい。

 

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