瑞木由花 11歳 夏4

 おねーちゃんはああ言ってたけど、やっぱりいじめのことは黙ってるわけにはいかない。そう思って、おねーちゃんが寝たころに、こっそり子供部屋を抜け出した。リビングに電気が点いてる。覗いてみると、お父さんたちが小声でナイショ話をしていた。


「仕事に行ったら、私たちの育て方が悪いんじゃないかってコソコソ噂されてたわ。恵里佳の性自認は身長や顔立ちみたいな生まれつきのものって説明しても、聞く耳を持ってもらえない」

「職場は病院だろ? 信じられないな。……まあ、俺も村長に言われたけど。お宅の子育てはどうなってるんだって」

「時代遅れの村の診療所だからね。あなたは、今月の寄り合いで?」

「建築現場にいる時に、わざわざ電話してきたんだよ。寄り合いは、俺の知らないうちに一日ずらしてやってたみたいだ」


 お父さんとお母さんは、辛そうな顔で黙り込んだ。わたしは声を掛けられなくて、そんな気はないのに盗み聞きしてるみたいになってしまう。


「……ねえ、引っ越さない?」


 お母さんが言った。


「そもそもここに住み始めたのは、恵里佳の出産後に私の体調が良くならないからって、お医者さんに静養を勧められたからでしょ? あなたのいとこの斎藤さんには、引っ越しをお世話してもらった恩があるし、村の方にも今までは良くしてもらってた。でも、こんな扱いをされるなら、もうここにいる理由はないでしょ?」


 斎藤さんって、キヨにいの家のことか。……また嫌な奴を思い出しちゃった。


「私、色々調べたの。千葉県柏市の柏の葉中学校ってところでは、男女関係なく、スカートもスラックスどちらを履いてもいいらしいわ。実際、スカートで登校してる男の子も在籍してるらしいの。そこに引っ越しましょうよ。今日だって、恵里佳は一人だけジャージで登校してるのよ。可哀想じゃない」

「俺は、服装より周りとの関係が良好かどうかを大事にするべきだと思う」

「そうよ、だから大事なの。恵里佳がどっちの性別でも、どっちの服を着ててもいいことが当たり前の場所であることが。それに、最近恵里佳の元気がないの、気づいてるでしょ? 学校でも上手くいってないんだと思う」

「それは……、そうだね。ただ、仮に恵里佳はそれで良くても、由花がどう思うかわからない。取り合えず明日、また中学校に電話してみるよ。トイレや着替えのこととか、対応を検討中って言われて、まだ返事をもらってないし。それを聞いてから決めた方がいい」


 突然わたしの名前が出た。わたしのせいで、お父さんたちは引っ越しを迷ってるの?


「今日したわ。前例がないから対応の仕方を検討中で、今は暫定的に、トイレに行きたくなったら授業中に女子トイレに行かせて、体育は見学だって。晒し者みたい。急かしたら、慎重に判断すべきだって言われたわ。どうせいい結果にはならないに決まってる」

「引っ越そうよ」


 お父さんたちの会話に割り込んだ。


「こんなとこ、もうどうだっていいよ。未練なんてない。おねーちゃんの悪口を言う奴らなんて、友だちなんかじゃない」


 本心だった。もう、この村に大切なものは何も残ってない。もちろん寂しい気持ちも少しはあるけど、おねーちゃんの方がダンゼン大事だ。


「……聞いてたんだね。そっか、学校でも……」

「由花は、本当にお姉ちゃんが好きなのね」

「そりゃあ、そうだよ」


 だって、大事な家族なんだから。姉妹仲がいいのは、いいことでしょ?


 次の日の朝、家族全員で話し合った。急な話だから、おねーちゃんは戸惑ってたけど、すぐに納得してくれた。やっぱり、大丈夫じゃなかったんだ。


 それから、おねーちゃんは学校を休んだ。


 わたしは、学校に行った。顔に湿布を張ったあっくんも、仲が良かった子も、誰も話しかけてこなかった。


 怒るより悲しかった。おねーちゃんの性別が入れ替わるようになっただけで、みんなの態度がこんなに変わるとは思ってなかったから。


 でも、なにより、わたしは自分が何にもできないのが悔しくて仕方がない。わたしは、おねーちゃんを虐めて欲しくないだけ。嫌いになって欲しくないだけ。受け入れて欲しいだけ。なのに、それを理解してもらうこともできないなんて。


 わかってもらえないなら、せめてお姉ちゃんを守りたかったのに、昨日はそれもできなかった。


 わたしは、なんにもできなかった。


 お母さんは戦い方を学ぶ必要があるって言ってた。


 そうだ。戦う力が、必要だ。


 誰かがわたしの椅子に置いた押しピンを取り除きながら、そう思った。


 一週間後、わたしたちは千葉県柏市に引っ越した。

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