瑞木由花 11歳 夏2

 おねーちゃんの噂はすぐに村中に広まった。ま、わたしたちが住んでる長野県南佐久郡北相木村は、ショーシコーレーカとカソカが進んだドのつく田舎だから、当然だよね。ていうか、今どき村って、時代遅れ過ぎでしょ。


「なーなー、由花ぁ」


 三時限目の終わり。教科書を片付けてると名前を呼ばれて、ため息をついて振り返る。あっくんが友達を連れて、ニヤニヤしながらわたしを見てた。くだんないイジワルするしかノーがないクセに、ホント鬱陶しい。


「お前のねーちゃんって、女のくせにチンコついてるってホントかよ? 気持ちワリィッ」

「……わかんないよ。見たことないし」


 睨みつける。教室中の耳が、わたしの声に耳を澄ませている。ハッ、みんなどんだけチンコの話が好きなんだよ。


 おねーちゃんの噂が広まってからわたしのことを無視してるくせに、こういう時だけ話を聞いてくれるんだね。


「でも、男になったり女になったりするってことは、ついてる時もあるってことだろ? なにそれ、出たり入ったりするってこと? キモチワリッ!!」


 カッとなった。おねーちゃんの悪口を言われて、許すわけにはいかないんだ。


「おねーちゃんは気持ち悪くない!! 優しいし、可愛いし、カッコいいもん!! 見たことないだろうけど、男の時のおねーちゃんはあっくんの百倍はカッコいいから!!」

「か、関係ねえだろ!! 男か女かもわかんないやつ、気持ち悪いに決まってんだから!! 女子トイレに入ってる間に男になったらどうするんだよ、気持ち悪いだろ、なあ!?」

「それは、」


 わたしは、気持ち悪いとは思わない。


 でも、そう思う人はいそうだなって思ったし、


 どうするかには、答えられなかった。


 確かに、って誰かが言った。あっくんが勝ち誇ったような顔をして、かっとなって、わたしはあっくんを突き飛ばしてしまった。


 あっくんがよろける。なにすんだよって、今度はわたしが突き飛ばされた。わたしがやったのよりずっと強くて、コケて机と椅子が騒がしい音を立てる。けど、痛くない。心が熱くて、無限のエネルギーがどこからか沸いてくる。


 わたしはあっくんにとびかかった。あっくんに殴られて、わたしもあっくんを殴り返した。周りの子たちがおろおろして悲鳴を上げてる。構うもんか、悪口を言う奴が悪いんだ。エネルギーは目からもどんどん溢れてくる。視界がふやけたみたいで、よく見えない。


「瑞木さん、止めなさい!!」


 誰かが先生を呼びに行ってたらしく、担任の先生に無理矢理腕を引っ張られて離された。


「何やってるんだ、暴力を振るうなんて最低なことだぞ、謝りなさい!!」

「嫌です!!」


 叫んだ。


「わたしは悪くない!! 暴力は悪かったし謝ってもいいけど、あっくんが謝ってからじゃないとヤダ!! だって、あっくんが先におねーちゃんの悪口を言ったんだから!!」

「そんなの関係ない、暴力を振るったなら謝りなさい!!」


 びっくりする。おねーちゃんのことは先生も知ってたから、ちゃんとあっくんを叱ってくれると思ってたのに。


「なんで!? あっくんが悪口を言ったから、わたしはあっくんを突き飛ばしたのに!? あっくんが言わなかったらわたしも殴らなかったもん!! 言葉の暴力も暴力と同じくらいダメって道徳の授業で習ったのに、なんでわたしから謝らないといけないの!?」

「み、瑞木さんの方がたくさん殴ってただろうが!!」

「じゃあ、おねーちゃんのことを気持ち悪いっていうのは、殴るより悪いことじゃないの!?」

「でもそれは、」


 ……でも?


 先生は、しまった、って顔をした。


「……とにかく、瑞木さんは会議室に来なさい」


 悪い子が連れていかれる、お決まりの場所だ。


 わたしが連れていかれる時、あっくんはしくしく泣いてた。四年生の担任の先生と一緒に保健室に行くらしい。わたしだって殴られたのに。


 先生のことは嫌いじゃなかったけど、もう信用しないって決めた。






 放課後。家に帰るとお母さんはもう帰っていた。わたしの顔を見るなり、車に乗りなさい、と言われる。


「どこ行くの?」

「あなたが殴った子の家よ。謝りにいかないと」


 お母さんは、高そうなお菓子を片手にさっさと車に向かっていく。帰る途中にわざわざ町まで出て買ってきたのかもしれない。わたしはやっぱり、殴ったのは悪かったけど悪いのはわたしじゃないと思っているから、嫌だって気持ちを顔中で表現した。


「いいから、来なさい」


 無理やり腕を引っ張られて、車に乗せられる。そっか、お母さんまで、わたしのほうが悪いと思ってるんだ。わたしは、おねーちゃんの悪口を言うやつを許せなかっただけなのに、なんでわかってくれないの? 


 運転中は、ずっと無言だった。


 あっくんちに到着してインターホンを鳴らすと、あっくんのお母さんが出てきて、わたしたちの顔を見るなり目を三角にした。廊下の奥からあっくんが顔を出したのが見えた。


 お母さんが頭を下げて、わたしも無理やり下を向かされる。


「この度は娘がお宅の息子さんに暴力をふるってしまい、本当に申し訳ありませんでした」


 悔しさと理不尽さで、おなかと目の奥がかっかと熱くなる。でも泣いたら負けたみたいだから、絶対に泣かないぞって目に力を入れる。


「由花も、謝りなさい」


 違うでしょ。それなら、あっくんがおねーちゃんの悪口を言ったことを謝るのが先でしょ?


 こんなとこでごめんなさいして、わたしが怒ったことや殴ったことを、なあなあで許されるのは嫌だ。おねーちゃんの心を傷つけたことが一番問題なのに、わたしが手を上げたことが一番大変みたいな話になっているのが嫌だ。


 由花、ともう一回名前を呼ばれ、ぐっと拳を握る。顔を上げ、あっくんのほうを睨みつけて、はっきり言ってやる。


「殴ったことは、ごめんなさい。でも、あっくんがおねーちゃんの悪口を言ったことは許してない。あっくんの悪口のほうが絶対に悪い。あっくんが謝らないなら、わたしはずっと、あっくんを人の悪口を言うしかノーがないロクデナシのクソヤローだって、軽蔑し続けるから」

「由花!!」


 お母さんに頭をはたかれた。あっくんのお母さんの目が尖って狐みたいになる。


「……まったく、きちんと謝るならまだしも、わざわざ暴力をふるった相手の家まで来て言うことがこれだなんて!! 言いたくはないですけど、いくらなんでもしつけがなってなさすぎるでしょう!!」

「すみません、本当に失礼しました!!」


 頭をすごい力で押さえつけられて、よろけて地面に膝をついてしまう。


「そりゃ柔道を習っていて、うちの息子よりも上手いそうですから腕に自信がつくのはわかりますけど、だからって暴力に訴えるならうちの息子のほうがまだ立派です!!」

「おっしゃる通りです、すみません!!」

「大体悪口って、そもそもおかしいのはあなたのところの長女でしょうに。性別がコロコロ入れ替わるだなんて、見るからに気持ち悪いでしょう? それをうちの息子が指摘したからって、」


 おねーちゃんは気持ち悪くない。カッとなってそう言い返そうとして、


「うちのエリカが、お宅に何か無礼を働きましたか?」


 お母さんは顔をあげると、急に穏やかな口調になって質問した。横目でちらりと見ると、真顔だった。それなのにすごく怒ってるってわかって、わたしはびっくりして逆に冷静になってしまう。


「そ、それは……」

「それとも、なにか悪いことでもしましたか?」


 あっくんのお母さんの視線がどこかに飛んでいく。おねーちゃんは、毎日ちゃんと村の人に挨拶をして、頭を下げて、お年寄りの荷物を持ってあげることすらある。無礼なんかあるわけがない。


 お母さんはにっこり笑って言った。


「いい子でしょう? 少なくとも、他人の悪口を言っていたことなんて一度もない、自慢の娘ですよ」


 わたしとあっくんのお母さんがあっけにとられている間に、おかあさんはさっさ菓子折りを押し付けて、最後にもう一謝りして、わたしの腕を引いて車に戻った。


 家への帰り道。車を運転するお母さんの顔をそっと見上げる。


「どうしたの?」

「……お母さん。わたしのほうが悪いことをしたのかな?」

「暴力はね、理由はどうあれ、先に手を出した方が悪いってことになってるのよ」


 なんだそれ。じゃあ、どんなに言い返しても聞く耳を持たない奴らには、どうすればいいの。


「由花、恵里佳のために怒ってくれてありがとう」


 急にお礼を言われて、目をぱちぱちしてお母さんを見る。微笑んでた。


「でも、お母さん怒ってたし」

「それは暴力をふるったからよ。お母さんだって、恵里佳の悪口を言われたら怒るもの」


 そうだった。さっきのお母さんはすごく怖かった。


 よかった。お母さんは、わたしがおねーちゃんをかばったことを悪いとは思ってないんだ。


「ねえ由花、世の中には色んな戦い方があるの。相手が悪いことをした証拠を集めて裁判を起こしたり、えらい人に相談したり、SNSで拡散したり。自分を強く見せるために化粧したり、逆に目立たないようにしたり。由花は、そういう方法を学んでいかないとね」

「……さっきのお母さんみたいに?」


 お母さんは、なんかごにょごにょ言って、にこって笑ってごまかした。


 お母さんの言ったことは、椅子の下で足を蹴り合うみたいで、回りくどそうで好きじゃないけど、真面目な顔で頷いておいた。

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