第47話 エメリーのチーズケーキ②

 どうやらその演劇のドレスコードが、赤らしく、その色がテーマになっている舞台のようだ。


 観衆も、ネクタイやリボンの小物でもいいから赤色を身に着けるように、との前振りがあるみたい。


 それならリボンで十分だろうと思うのだが、レオナールはそう考えないらしい。

 ご丁寧に、赤いドレスを贈ってきたのだから。


 毎回毎回まめな彼は、本当に私のことが好きなのではないか?

 そう思えてならないのだけれど、どうなんだろうか……。


 彼は王城で文官の仕事もしている。決して暇ではない。

 私と会う時間を作るため、相当無理をしている気がするのだ。


 いくら偽装婚約者が欲しいからといって、嫌いな相手のためにそこまでするだろうか?


 そんな疑問がここ最近心の中を占めている。


 私相手にここまでの手間をかけるのなら、本当の恋人や奥様に気遣うのと何ら変わりはない。


 黄色い声を上げる令嬢を避ける目的に、『何の気配りも必要ない私』だからこそ、偽装婚約者をさせる意味も価値もあったはずだ。


 それなのに週に一回のペースでデートに出かけ、その途中で手紙まで書いていれば、通常の婚約者より、よほど手がかかるだろう。


 ここまでされてしまえば、兄が常々言っている、「レオナールは私を好き」という言葉がしっくりしてきたのだ。

 そんなことを考えていると、当の兄の声が聞こえる。


「お~い、今から兄とデートに行くぞ」


 突然私の部屋に入ってきた兄は、外出用のおしゃれな恰好をして、私を連れ出す決まり文句を言ってきた。


 デートとは、一人で入るには都合の悪い場所へ行くときに、私を同伴者として利用する言葉だ。


「行先によるわね。今回は、どこへ行きたいのかしら?」


「チーズケーキなるものを知らない妹に、正しいチーズケーキを教えてやろう」


「急にどうしたっていうの! 私を利用する外出じゃないなんて、珍しいわね」


「父と母がエメリーのケーキについて、レオナール様に間違った説明をしているからな。彼の中でエメリーは、ケーキを焼く名人だと思っているが、実際は断じて違うだろう」


「ケーキを焼くのに少し失敗したからって、酷く言われたものね」


「壊滅的にケーキの形をなしていないものを、ちょっとの失敗だと思っている時点でおかしいんだ。本物のチーズケーキを知れば、エメリーが作るものは、名もなき一品だと分かるはずだ」


 強い口調で言い切る兄の言動に、正直なところ納得はいかないものの、チーズケーキが食べられるのなら、ついて行ってもいいかもねと思い、その話にのることにした。


 そうして到着したおしゃれな外観のカフェ。看板には「チーズケーキ専門店」と書かれている。


 その文字を指さし、兄が言う。


「いいか? 専門店とうたっているこの店で出てくるものが、チーズケーキの正解だ。後から『他の店なら違う』と言い出すなよ。世間の基準はここだ」


「いいわよ。私はチーズケーキを食べたことはないけど、れっきとしたレシピを見て作ったんですもの、間違いはないわよ」


 カフェに入る前に、互いに念を押し合う私たちは、「この店で異論はないな」と頷き入店した。


 一歩中に入れば、外観どおりの可愛らしいお店だ。


 白を基調とした店内には、パステルイエローの椅子が置かれ、ポップな印象を受ける。


 その雰囲気からも、女性の関心を引くのは納得だし、ざわざわと賑わう店内の様子からも、人気店なのも窺える。


 店員から「二名様ですか?」と聞かれ、はいと頷けば、二人掛けの席へと案内された。


 そうして、席につこうとすれば、視線を感じる。隣の席からだ。


 何かしらと思い横を見ると、アネット侯爵令嬢と視線がバシッと重なり、私が声を出すよりも先に、向こうから話しかけてきた。


「ごきげんよう、エメリーヌ様ではありませんこと。お兄様のダニエル様とお出かけなんて、本当に兄妹仲がよろしいのですね」


 それを聞いた兄が、彼女へ近づく動きを見せたため、ハッとした。


 私が返答しそうになっているのに気づいた兄が、すかさず口を開く。


「これはアネット様、このような所でお会いできるなんて偶然ですね」


 兄が名前を呼んでいるのを聞いて、失敗するところだったと内心ひやひやした。


 多分、一緒にいる兄の方が肝を冷やしただろう。


 私の名前で呼びかけられたにもかかわらず、冷静に状況を判断した兄が、話へ割り込んできたくらいだもの。


 失念していたが、今の私は目の前にいる「ウトマン侯爵家の令嬢の名前」なんて知るはずのない設定だった。


 レオナールとの婚約に関して、疑いの眼差しを向けている、勘の鋭い令嬢だ。


 彼女に深入りはしたくない。

 次の振る舞い方を考えようとした私は、とりあえず、彼女と同行する人物の顔を見ようと、視線を動かす。


 すると、漆黒の髪に茶色の瞳のブルーノ様ではないか⁉ 

 かつての私にとって、恋愛対象として意識する男性だった。


 頭の中がレオナールでいっぱいの今では、そんな感情はすっかり、遥か彼方へと消え去ってしまったが。


 その二人が向かい合って、どういう関係かしらと思っていると、兄が尋ねた。


「我々はここのチーズケーキが美味しいと耳にして、食べに来ただけですが、アネット様とハネス伯爵家のブルーノ様は、デートですか?」

 その質問にはブルーノ様が反応した。


「ははっ、デートなんて違いますよ。僕とアネットは従妹ですからね。お二人と同じように、ここのケーキの評判を聞きつけて食べに来ただけですよ」


「そうですわ。ダニエル様ってば、わたくしとブルーノとの間で変な誤解をしないでくださいまし」


「ああ、そうでしたか。それは失礼いたしました。親密そうな美男美女のお二人だから、てっきり恋人なのかと勘繰ってしまいました、ははっ」


 そんな会話を交わす兄と私は、案内された席に腰を下ろし、注文を聞きに来た店員へチーズケーキ二つとダージリンティーとコーヒーを注文した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る