第46話 エメリーのチーズケーキ①

 意外な程、湖へのお出かけを満喫してしまった私は、心地よい疲れと共に小さな我が家へと戻ってきた。


 次回のレオナールとの約束は、観劇に決まってしまった。


 これまで劇場に行ったことはないし、楽しみではある。


 偽装婚約者との「恋人ごっこ」を楽しんでどうするのよと、己に突っ込みを入れてしまうが、レオナールってばちっとも嫌な一面を見せてこないんだもの。


 それどころか凄く優しいし……、会いたくなるのは仕方ないわよ。


 だからだろう。

 彼がいつ本性を出してきて捨てられてしまうのかと考えると、なんだか胸が苦しくなる。


 そんな複雑な心境で、ぼんやりとリビングで過ごしていると、テンションの高い兄が入ってきた。


「おー、可愛いふりを次期公爵のレオナール様に、ぶっ込んでいる妹じゃないか。今日のデートは楽しかったか?」


「残念ながら楽しかったわよ。どういう訳か、レオナールが別人のキャラのままなんだもの」


「今の態度が本来の姿だろう。レオナール様はエメリーのことが大好きなんだって。いい加減に気づけよ」


「そんなわけないでしょう。だったら今まで何年も続いていた、暴言の数々は何だったのかしら? 説明がつかないでしょう」


「それは繊細な男心だ」


「は? ふてぶてしいレオナールが繊細だなんて、意味が分からないわ」


 これ以上、頭の中を混乱させるのは勘弁してくれと、フイッと顔を背ける。


 すると、それを察したのか察していないのかよく分からない能天気な兄が、話題を変えてきた。


「そういえば次の舞踏会は、レオナール様と一緒に行くのか?」


「ううん、行かないわ。彼に用事があるからって、断られたのよ」


「な~んだ。エメリーも自分から誘っていたのか」


「別にレオナールと行きたいわけじゃないけど、成り行き上誘う必要があったのよ」


「ふ~ん。まあ、いいや。それなら丁度いいか」


「何が?」


「エメリーは兄の護衛に付き合え」


「は? 護衛? 普通は逆でしょう。私はか弱い令嬢ですけど」


「か弱い令嬢がどこにいるのか見えないが、俺はモテ期到来だからな。一人で現れたら、ハニートラップがいくつ仕掛けられるか分からないだろう」


「はいはい分かったわよ。お兄様の妄想には付き合い切れないけど、舞踏会には付き合ってあげるわよ」


 呆れて伝えると、急に真面目な口調に変わったお兄様が質問してきた。


「なあ、あのパーティーの帰り道。エメリーを襲った野党に見覚えはなかったのか」


「うん。全くないわ。三人いたけど、みんな初めて見る顔だもの」


「エメリーを誘拐してどこかに売るつもりだったのに、どうして自分たちの馬車にすぐに乗せなかったんだろうな?」


「売ろうとしていた令嬢に、悪戯をしようとしていたんでしょう」


「そんなことをすれば、令嬢の価値が下がるだけだろう。エメリーからあの日の話を聞かされて考えたが、どうも腑に落ちないんだよな」


「そうかしら? 現に私の首に着けていたネックレスは引きちぎって持っていかれたのよ。ただの野党だと思うけど」


 顎に手を当て訝しむお兄様が、納得しきらない表情を見せる。


 そこへお父様が「おや? 二人ともいたのか」と言いながらリビングに入ってきたため、お兄様とのコソコソ話は強制的に終了した。


 ◇◇◇


 湖のデートから三日が過ぎた頃──。


 リビングのソファーに座っていると、兄からポンと平べったい大きな箱を無言で渡されたため、部屋へと運び入れる。


 この箱は「きっとレオナールからの贈り物だわ」と思う私は、今度は何かしらとそわそわする気持ちで箱を開けた。


 そうすると、目が覚めるような深紅が目に飛び込んでくる。その上には、封筒もある。

 中には手紙が入っているのだろう。


 ドレスよりも先に、その封筒に手をやれば、今度はどんな嘘をぶっ込んでいるのかしらと、楽しくてにやけながら手紙に触れた。


 ラングラン公爵家のパーティーのために送ってきたドレスの箱に書かれた文字と同じく、レオナールの美しい文字で書かれたエメリーヌ様という名前を見て、初心に戻る。


 ふっと冷静になると、彼のつく嘘に内心喜んでいる自分に驚いてしまう。


 騙されないわよと思う私は、綻んでしまった口元に今一度きゅっと力を入れ、手紙を開封した。


【親愛なるエメリーへ 四日後の十四時に演劇の席を予約したから、間に合うように屋敷まで迎えに行くね。ドレスコードのある演劇なので、今回届けたドレスを着て欲しい。普段着ているのを見たことがない色合いだから、どんな雰囲気のエメリーに会えるのかと想像すると、今から待ち切れない。愛しているよ。~レオナールより~】


 箱の中に入っていたメッセージを、折り目に合わせてそっと閉じた。

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