第42話 そんなこと、してませんよね⁉⑤
どうして待つ気になるのだろうと、不思議で仕方なく、つい尋ねてしまった。
「レオナールは、一時間も待つのは嫌じゃないの?」
「エメリーと一緒にいるなら、一時間なんてあっという間だろう。せっかく来たんだし、あそこのスタンドで何か買って食べようか?」
そう言ったレオナールが、この湖畔で有名なキッチンスタンドを指さした。
昔は庶民の憩いの場だったのに、持ち込みが禁止なうえ、果実水一杯が二千マニーもするぼったくり価格のスタンドだ。
二千マニーといえば、市井では三人分の食事が食べられる価値がある。
それを小さなカップに入った果実水で要求されるのだから、庶民感覚では迂闊に近寄れない売店と有名なのだ。
だが、全ての商品が目玉の飛び出す価格とはいえ、ふわふわのパンが絶品だという噂も飛び交っているが。
高くて自分では買えないけど、気になっていたのは確かだ。
実際のところ、どんな味なのかと思い、「うん」と頷き、その話に乗ってみた。
そうして、キッチンスタンドの前に到着して、私の目は、驚愕のお値段に釘付けになった。
サンドイッチ四切れが、四千マニーもするのだ。それなりのレストランで、前菜に主菜、コーヒーまで堪能できるわよと、瞬時に青くなるとともに、ぼったくりの値段に顎を外す。
だがしかし、あるメニューで目が留まった私は、我が儘な悪女作戦をまたしても思いつく。
これでレオナールの反応を見てみるか。
いよいよ彼の作り笑いも限界を迎え、激昂するはずだ。
周囲には口外していないが、私は昔からピーナッツにアレルギーがある。
ピーナッツのアレルギーとは、なかなかもって厄介で、それを口に含めばショック反応を起こし、命さえ危なくなるのだ。
まさに私の弱点といえるものだ。
毎回会うたびにいがみ合っていた、レオナールに私のピーナッツアレルギーについて教えるわけもなく、彼は知らない。
いざ、食べる直前になって、「家族からピーナッツを食べるなと止められていたんだった」と、白々しく思い出した体にしよう。
そして「新しいものを買って欲しい」とごねてみるか?
うん、それがいいわね、と心の中で自答した。
彼は食べ物を残す行為をやたらと嫌悪する。超がつくくらいの生真面目男だ。
以前、彼の屋敷に招かれた際に出された、ピーナッツクリームのカナッペ。何も言わずに残せば、農家の苦労について、こんこんと説教をくらった。
あの日は、ラングラン公爵夫人主催のお茶会だった。
レオナールと私の会話を聞いていた令嬢から、「好き嫌いはよくなくてよ」と、くすくすと笑われ、その場から逃げるように帰ってきた。
レオナールからピーナッツについてガミガミ言われたあの日を最後に、ラングラン公爵家へ行くのをやめたのだ。
同じことをすれば、本性を晒し激昂するはず。間違いない。
何より、性悪のレオナールに変わればしめたものだ。
今の私は記憶喪失だし、偽装婚約の契約なんぞ知らないのだ。ボロボロと涙を流す演技をして見せ、「あなたとはやっていけない」と、別れを告げてやるわ。
これで完璧な破局だ!
万に一つ。彼が寛大な大人の心で新しい商品の購入を受け入れたとして、長年の恋人のアレルギーを知らないのもおかしな話だ。
レオナールへ、「恋人なのに知らなかったの?」と、痛い所を衝けば、彼はたちまちボロを出すはずだ。
彼の性格であれば、不機嫌にならないわけがない。
険悪な空気に変わり果てた私たちのデートは、そこでお終いだろう。
このピーナッツクリーム作戦は、絶対にうまくいく気がする。そう思って迷わず彼にお願いした。
「ピーナッツクリームサンドが食べたいわ」
「そうか……。きっと、昔から興味があったのに、ずっと我慢していたのかもしれないな」
「え? 何がですか?」
「エメリーはピーナッツに酷いアレルギーがあるから、それは駄目だ。他のものを選びなさい」
きつく言い聞かせるように言われた。
確かに間違って食べれば、すぐにアレルギー発作を抑える薬を飲まなければいけないのだが、今は持って来ていない。
「どうして私が知らないことを、レオナールが知っているのかしら?」
「そりゃ~、エメリーのことは元から何でも知っているけど。それでも、もしものことがあるからな。記憶のないエメリーに危険がないか、トルイユ子爵家の三人からエメリーの話を聞き取り、事前に全ての情報を把握済みだ。安心してくれ」
は? 少しも安心できないわよ。むしろ怖い。怖すぎる。
諜報員もびっくりな調査を、公爵家の嫡男が、私なんかにやるんじゃないわよ!
そんな風に考えて青ざめていると、願ってもない情報を付け足された。
「大丈夫だ。そんなに青くなって心配しなくても、エメリーのことで俺が知らないことは、何一つないからな。俺と一緒にいる限り危険はない。ちなみに桃も駄目だぞ」
「はは……。頼もしいわね」
この、ストーカー男めッ! と、ジト目で見つめる。
すると、またしてもあり得ない話をぶっ込んできた。
「エメリーは、ここの厚焼き卵サンドを気に入って、よく食べていたんだけど」
それは、『一番人気』と書かれている商品だが、もちろん食べたことはない。
あらゆる方向から攻められ思考力が底をつき、話を合わせるので手一杯の私は、愛想笑いを浮かべ答えた。
「はは、そうなんだ。じゃぁ、それを食べようかな……」
もうどうにでもなれと諦めた私は、サンドイッチとオレンジの果実水二つを乗せたトレーを持つ彼と共に、木陰にあるテーブルへと向かった。
◇◇◇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます