第41話 そんなこと、してませんよね⁉④
彼が私へクッキーを持って訪ねてきてから一週間後、湖へ行く約束の日──。
相も変わらずキラキラしい格好のレオナールが、意気揚々と、私とのデートのために現れた。
前回彼が帰った直後。我が家に淡い紫色のドレスが届けられ、準備の良さに面食らった。
それも『次回のデートはこれを着てね』と、レオナールのメッセージ付きときたもんだ。
一体、いつからそんなドレスを用意していたのだろうかと首を捻る。
前回の鎧のドレスといい、今回のお出かけ用のデイドレスといい、オーダーメイドのはずなのに、サイズが私にピッタリなんだもの。
引くにいいだけ引いているが、ラングラン公爵家の権力に抗えるわけもない私は、たかが湖までのデートに並々ならぬやる気を出すレオナールに手を取られ、公爵家の馬車へと乗り込んだ。
我が家から湖はさして遠くない。
それは、貧乏子爵家の我が家が、賃料や土地代の高い王都の中心地にタウンハウスを構えられないからだ。
いわゆる、少々不便なことには目を瞑り、賃料の安い郊外で暮らしているという、我が家らしい理由である。
こんな至近距離では、馬車の中で暇を持て余すことなく湖へと到着する。
「うわぁ~、綺麗な湖!」
「そうだろう」
「なんだかとってもおしゃれな湖畔ね」
久しぶりに湖に来たのだが、すっかり変わったわねと、感嘆の声が漏れた。
おしゃれな椅子とテーブルのセットが、いくつも並んでいる。
幼い頃にはなかったもので、ここ数年の間に並べられたものだ。
昔の湖畔は気軽に足を運べて、庶民は老若男女、誰でも水遊びを楽しんでいた。
それにもかかわらず、今では遊泳禁止だ。
そんなこともあり、庶民たちの足は遠のき、正装を決め込んだ貴族たちの憩いの場に変わり果てた。
歩けば貴族、貴族しかいない堅苦しい空間に変貌した湖畔は、くつろぎに来ているのに「温泉は湧きましたか?」と馬鹿にされる場所へと変わった。
彼らは遠回しに「貧乏人が不釣り合いな場所に来るな」と言いたいのだろう。そのせいもあり、すっかり足が遠のいてしまった。
「俺たちが出会った頃は、シンプルな貸しボート屋があったくらいだが、今は整備されたからな」
「そうみたいね。この前のクッキーのお礼に『何か作って持って行こうかな』って、お兄様に相談したら、湖畔エリアは食べ物も飲み物も持ち込み禁止だって言われて驚いたわ」
「あ~、なんだ……。失敗したな。俺のために何か作ってくれようとしていたのか……。それなら次は、エメリーと川へピクニックでも行こうかな。そうしたら、エメリー自慢のお菓子を持って来てくれるかな?」
「ふふっ、お菓子は作り方が思い出せないから用意はできないわよ」
そう告げれば、視線をレオナールから湖へと移した。
水面にかけられたボート乗り場の桟橋に、客の姿がある。
男性が女性をエスコートしてスワンボートへ乗り込むと、それはゆっくりと動き出した。
そうすれば、スワンボートの船尾に七番と書かれているのが目に留まる。
きっとボートの番号は、それぞれ違うはずだ。
湖を食い入るように見る私へ、レオナールが「早速スワンボートに乗るか」と提案してきた。
「うん」と元気に返答した私も、彼に嫌われる悪女のネタが思いつき、ウキウキしながら桟橋へと向かった。
その途中、七番のボートはないと知りつつ、私は悪女極まりない申し出をする。
「ねえレオナール。私は七番のスワンボートがいいわ。それに乗ると、幸せになれるジンクスがあるらしいわよ」
「そうなのか? そんな話は知らなかったが、よく知っているな」
記憶のないはずの私から、意味不明な提案を受け、レオナールが訝しむ。
「おっ、お兄様が言っていたのよ」
「あー、ダニエル殿が言っているとなれば、無下にしたくないな。彼は強運の持ち主だからな」
「ぇ?」
神にも運にも見放された男が強運? どっからどう考えてもないだろう。
私の兄がいつも楽しそうなのは、強運体質ではない。少し痛い性格で、鋼のようなメンタルだからである。
そう突っ込みを入れたいところだが、記憶喪失の私にできるわけもない。
悔しいが、ここは心を無にして聞き流し、再び確認した──。
「だから七番のボートにしましょう」
「うん、そうするか」と言った彼と、桟橋の木の板をギシギシと鳴らしながら歩く。
私たちの横には、スワンボートがいくつも水面にぷかぷかと浮かぶ。昔からあったであろう、手こぎボートも見える。
船尾に書かれたボートの番号は、あいにくこの位置からでは見えないのだ。
今しがた、七番のボートは桟橋を離れていったことを知らないレオナールが、受付の年配男性に、「七番のスワンボートに乗りたいのだが」と、頼んでくれた。
そうすれば、その受付男性から申し訳なさげに提案された。
「七番のボートは、今、他のお客さんが乗り込んで湖に出たばかりなので一時間は帰ってきません。他にも空いているボートがあるので、それでは駄目でしょうか?」
ふふふ、知っている知っているわよと、内心、にんまりとする私の一方、即答し兼ねたレオナールが、困った顔で私を見てきた。
「嫌よ。私は絶対に七番のボートがいいの! それじゃなきゃ乗らないもん!」
「うむ、そうか。それならボートが戻ってくるまで時間を潰そうか」
「え? ボートは他にもあるのに待つの?」
私の質問に動じない彼が、受付の男性へ平然と依頼した。
「七番のスワンボートは、俺たちが予約しておく。俺たちの戻りが遅くなっても、他の客を乗せないようにしてくれ」
「かしこまりました。お二人のお戻りをお待ちしております」
はぁ? どうしてそうなった……。
謎な主張で我が儘を言う私のことを、呆れながら諭すと思っていたのだが、全くもって、期待外れだ。
私の横を歩くレオナールは、清々しい顔をして、一時間待つと言い出したのだから。
貴族なんていう人種は、待たされるのが大嫌いな性分である。
彼なんて公爵家の嫡男で、貴族の中の貴族である。
そんなレオナールが、何も感じないのだろうか……。
変だなぁと見つめていると、目を細める彼の笑顔が返ってくる。
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