第39話 そんなこと、してませんよね⁉②

 レオナールのワイングラスに私が口をつけることも、「汚い」と言って許してくれなかったのだ。


 それなのにどうして私の口についたクッキーを食べて、幸せそうに目を細めているのよ! おかしいだろう。


 彼ったら、パーティーの日に披露していた猿芝居が、やたらと板についているし、私の意識がなかった期間に、一体、何があったというのだ⁉︎


 分からない、分からない、分からないわよ、と動揺していれば、レオナールが言った。


「どうしたの? そんなに顔を真っ赤にさせて?」


「いや、だって、今のって……間接キス」


「くくっ、そんなことくらいで照れているの? ふふっ、可愛い」

 彼が手の甲を口元に当て、照れ笑いをしているのだ。


 彼は本当に照れているのか? それとも楽しんでいるのだろうか? 全く真意を掴めそうにないくらい、穏やかな笑顔を見せてくる。


 ちょっとどうしてそんな顔をするのよ、と思う私の頭がオーバーヒートしそうだ。


「私の唇についていたクッキーなのに、そんなことくらいって……」


「俺たちはキスだってしていたんだし、これくらい照れることじゃないんだけど」

 ……は⁉︎ またしても謎な発言が飛び出した。


 彼は何を寝ぼけたことを言っているのだ?


 私たち二人の関係にキスなど存在しない。断じてない!


 会えば罵倒してくる彼の口を塞ぎたいと思ったことはあったけど、私の口で塞いだことは決してない!


「冗談ですよね」

「いいや」


「そうですか……。私ってば、そんな大事なことも覚えてなくてごめんなさい」


「ふふっ、それなら、今からしてみる?」

 そう言うと、机の上に置く私の手に、彼がそっと手を重ね、熱く見つめてくる。


 ええ⁉︎ これはもしや本気か‼︎

 焦る私が、彼から顔を背ける。


「ちょっと待ってください。レオナールにとっては慣れっこかもしれないけど、私にとっては出会って二日目の男性なので、今はまだ……。もう少しあなたを知ってからでないと、恥ずかしいわ」


「俺としてはいつものことなんだけど……。記憶のないエメリーは、そういう訳にもいかないのかな。もどかしいね」


 そんなことを言っているレオナールが、今度は箱からクッキーを摘まみ、「あーん」と音を発しながら私の口元に近づけてくる。


 こ、これって彼から食べさせてもらえ、ということなのかしら。


 恥ずかしくて口なんて開けられないわよと考え、ぎゅっと口を閉じているのだが、キラキラしい顔の彼は笑顔のまま、そのクッキーを微動だにしない。


「ふふ、エメリーが遠慮するから、俺が食べさせてあげたいんだけど」


「なんだか恥ずかしいですわ」

 大人しく従えば、後から私を馬鹿にするのかもしれない。


 そう考えてしまうくらい、私たち二人にとっては、あるまじき絵面だ。


「口を開けてくれるまで、ずっとこのままだよ」

「でも……」


「エメリーあ~ん」

 甘えた声で彼が言った。


 それに耐えられなくなった私が、羞恥心にさいなまれながら、ぷるぷる震えて口を開くと、猫の舌のようなクッキーが、口の中に運ばれてきた。


 嬉しそうなレオナールにじっと見つめられながら、もぐもぐと咀嚼するクッキーは、もはや味など感じない。


 何かの拷問かしらと思いながら、ゴクリと胃に流し込む。


 緊張でパッサパサになった口のせいで、喉が詰まりそうになり、慌ててお茶に手を伸ばす。

 少し冷めた紅茶をごくごくと飲んでいると彼が言った。


「照れているエメリーなんて、あまり見ることがなかったけど、誰にも見せたくないくらい可愛いな」


「左様ですか……」


「だから、そんなにかしこまらないでよ。俺とエメリーは心の距離が凄く近かったんだから」


 会えば喧嘩の私たちの関係を言っているのよねと、まじまじとレオナールを見つめる。


 だが、彼の輝く瞳は曇ることはない。


 私の心はむしろ陰る一方である。かつて、彼と心の距離を縮めた記憶がないのだが……。理解できない。


「いつもと雰囲気の違うエメリーを見ていると、俺まで照れてしまうな」

 はぁ⁉︎ 何を言うか!


 私は正常運転で過ごしているのに、お宅が異常な言動を繰り返すせいで、頭が混乱させられているだけだろう!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る