第36話 素直になった最後の優良物件①【SIDEレオナール】

【SIDE レオナール】


 頭を強く殴られたエメリーの目が覚めた──。


 目を開いた瞬間のことを思い起こせば、再び目頭が熱くなる。

 なかなか回復しない意識。

 さすがに五日が経過したときには、もうこのまま二度と意識が戻らないことも覚悟した。


 こんなことなら、たとえエメリーに罵倒されようが、俺の気持ちを素直に伝えておけばよかったと、深い後悔が襲った。


 エメリーに最後に告げたのは、酷い言葉の数々だ。

 このまま彼女が神の御許へ行く事態になれば、すぐに追いかけて、真意ではなかったと伝えにいくつもりだった。


 ラングラン公爵家の俺の部屋にエメリーを連れていきたかったが、兄のダニエル殿から拒まれた。


 俺としては、一生目が覚めなくても、このままの彼女を妻にしたいと申し出たのだが、両親へも隠していると打ち明けられた、彼女名義の山の利権。

 それが俺の部屋へエメリーを運ぶのを邪魔した。


 それでも彼女の傍にいたいと必死に懇願する俺に、彼女の部屋で寝泊まりする許可は出たが……。


 俺が彼女の部屋で過ごし一週間──。


 もう彼女の声を聞けないと考えていたが、奇跡的にエメリーが目を覚ました。


 最高潮に喜んだが、「あなたは誰?」と、不思議そうな顔をされた。


 俺を毛嫌いするエメリーのことだ。俺を揶揄う冗談だろうと考えもしたが、心底訝しむ表情で見てくる姿が、『記憶喪失』のようにしか見えなかった。

 彼女はどれほど強く頭を殴られたのだろうと考えると、自分が何もできなかった悔しさに襲われる。


 だが、情けない俺に関する記憶がないのならば、俺の気持ちを笑わずに聞いてくれる気がした。


 そうなれば何の躊躇いもなく、愛の告白が次から次へと口をついた。


 恋人同士だったと、とんでもない嘘をついてしまったが、俺の中ではずっと愛しい恋人だった。


 ある意味嘘ではない……。


 もしも、エメリーの記憶が戻れば、嫌われる気がしてならないが、それでも俺の想いを中途半端に伝えることはできずに、言葉を重ねた。


 エメリーから、「とってもカッコいい素敵な人」と呼ばれ、感動で打ち震えた。


 俺を受け入れてくれる、この日をどれほど待ち侘びたことか。


 そんな彼女としばらく一緒に過ごしたかったものの、恥ずかしいからと、退室を求めるエメリーの願いを聞き入れ、今日のところは静かに退散した。


 トルイユ子爵家に一週間入り浸り、すでにこの家の勝手知ったる俺でも、家族で集うリビングに足を踏み入れるのは、落ち着かない。


 だが、おそらくここに誰かいるだろうと思い、扉を開けた。


 そうして兄のダニエル殿と目が合った。


「おや? 随分と嬉しそうな顔をされていますね」

「ええ」


「何かいいことでもありましたか?」


「やっと……エメリーの意識が戻ったんだ」


 それを聞いたダニエル殿は両手で顔を覆い、しばしの間沈黙した。


 静まり返るその空間でチクタクと鳴る時計の針の音が妙に際立つ。


 そのまま一分くらい経ったころだろうか。

 時計がボーンと大きな音を立てたことで、ハッとした様子のダニエル殿が口を開く。


「良かった……」


「──大変申し上げにくいのだが、エメリーは記憶がないようだ。俺を見て『兄か?』と、尋ねてきたから、おそらくダニエル殿のことも覚えていないだろう。申し訳ない」


「何も覚えていないとしても、大事な妹には変わりはないから、目が覚めて嬉しいですよ。俺はそんなちっぽけな問題なんか、全く気になりません」


「ああ、同感だ」


「──ってことは、エメリーは襲われたことも覚えていないのか……」


「その件を俺から尋ねて、あの夜のことを思い出させたくなかったから、『事故に遭った』と伝えてあるので、それに話を合わせていただけるとありがたいのだが」


「ああ、まあ、その方が良いでしょうね」

 エメリーの意識の回復を心底喜んでいるであろうダニエル殿が、小さく何度も頷く。


 そんな真面目な反応を見てからでは、浮ついた話など、少々打ち明けにくいなと思ったものの、己がついた虚偽の話を正直に伝える。


「それと──。俺とエメリーは、長年の恋人だったと伝えてしまったんです」


「ふははっ。レオナール様は、また随分と大きくでましたな」


「喧嘩と同じ数だけ告白もしていますからね。とはいっても全戦全敗で振られていますが」


「エメリーが鈍くて申し訳ないですな」


「いいや、エメリーは悪くないですから。俺の伝え方が悪いだけなので。エメリーの記憶が戻った後に嫌われても悔いはないと思っていたのに、こうしていると、嘘をついたことを、少し焦っていますけどね」

「記憶喪失ですか……」


「何かの拍子に記憶が戻っても、おかしくないでしょうから」

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