第27話 別人に変貌した幼馴染①

 目を覚ますと、ベッドの横に人の気配を感じる。


 ちらっと流し目で窺ってみたが、誰か分からない。


 死んだ魚のような目をした金髪の青年だ。黒髪ではないから兄ではない。


 よーく、よーくその人物を見れば、「へ?」と変な声が漏れた。


 なんと! 私のベッドサイドに泣き腫らした顔のレオナールがいるのだ‼︎

 いつものキラキラしい彼はいづこへ。


 レオナールの形の良い眉は、不安気にぐにゃりと曲がり、彼の自慢の目は赤く充血している。

 瞼は随分と重そうだが、そんな姿は見たことがない。


 生気を失い、やつれ果てた彼は、とにかく死にかけた顔をしている。一体彼に何が起きたんだ?


 ──っていうか、なんで人のベッドの横にいるのよ、変態め。

 そんな風に考える私は、冷めた目で彼を見つめる。


「め……目が覚めた……」


 どんよりと闇を背負うレオナールが、泣き出しそうな声色を出すと、口元を震わせ、滝のような涙を流し始めた。


 え⁉ と激しく動揺する私は、犬猿の幼馴染が私の前で泣く異常事態を、受け入れられずにいる。


 レオナールは私のことが大嫌いだ。

 それは昔からずっと変わらない。


 そんな彼が、最大の弱点となり得そうな姿を見せるわけがない。

 この状況を理解できずにこう尋ねた。


「誰かしら?」

「え? 俺のことが分からないのか?」

 驚く彼の涙が、ぴたりと止まる。


 レオナールのことを馬鹿にして言ったのに、質問を質問で返された。


『俺のことが分からないのか』って、はて?

 冗談を言っているのかしらと思うものの、彼がふざけている雰囲気もない。

 どうしてそんな風に尋ねるのかと、ふと考える。


 そうすれば、私の記憶は頭を強く打ったところで消えていた。


 そのうえ、そっと頭に手を当てれば、何か布が巻かれている。

 感触的には包帯のような気がする。


 ──ああ、なるほどね、と自分の置かれた状況を察した。


 頭を強く打った私の記憶が飛んでいると勘ぐり、「俺のことが分からないのか?」と、質問してきたのかもしれない。

 うん、きっとそうだ。


 最後の記憶があるのは、パーティーの帰り道である。


 レオナールに見送られながら公爵家のお屋敷を出発した馬車は、止まるはずのない場所で突如として停止した。


 その次の瞬間──。


 馬車の扉が勢いよく開き、男たちに外へと引きずり出された。

 確か三人くらいの男がいたはずだ。


 横に広がる草むらに連れ込まれたのは覚えている。

 彼らは私が着ているドレスの胸元を引き裂こうとしていたけど、思いのほか豪華なため、ビクともしなかった。


 素手でどうこうしようと思っても、話にならなかったようだ。


 それもそうだろう。レオナールの怨念のこもった刺繍がびっしりと入っていたのだから、強度だけは最高である。鎧みたいに。


 破きたくても鎧みたいなドレスには、手も出せず、彼らが慌てていれば、額から血を流す公爵家の御者が走ってきたはず。


 彼ら三人も、近づいてくる人の気配に気づき、私の首からネックレスを引きちぎり、一斉に走り出した。


 このまま犯人を逃がしてなるものかと考え、そのうちの一人を私が必死に取り押さえようとして……彼が持っていた棒で頭を殴られた。


 そこで記憶が終わっている。


 ひとしきり全ての状況を整理し終えると、心の中の悪魔が囁く。


 もし、『記憶喪失のふり』をすれば、レオナールと約束した『婚約者のふり』をちゃらにできる気がする。


 逆にこのまま現実に戻れば、独身貴族を五年も謳歌したいレオナールと安直に交わした契約が待っている。


 そうなれば、私が二十二歳になるまで婚約者のふりをさせられるのだ。


 あのときの私は、なんて愚かだったのだろう……。


 彼が提案した婚約者のふりに対し、報奨金をくれると言い出した話は、あまりにも好条件すぎた。私の言い値でお金を請求できるのだ。


 それも、たった一日、彼の婚約者のふりをしただけで。


 そんな夢のような話には必ず裏があると疑うべきだったし、結婚費用まで負担してくれるなんて、一日で受け取る金額にしては高額すぎた。


 契約期間を確認しなかった私も悪いが、五年は長い。


 今はみずみずしい乙女も、冗談抜きで枯れ木になりかねない。


 一度は公表した婚約発表だって、婚約者である私が記憶喪失と分かれば、有責も何もあったものじゃない。


 なんなら同情さえしてもらえそうだ。


 何の問題もなく、両家納得のうえでこの婚約を破談にできるはず。


 婚約解消が成立してから、折をみて、体よく私の記憶が戻ったことにすれば、今までと同じ人生が待っている。


 そう、そう、そう!

 子爵家の令嬢として、パッとしない人生が、この先も平坦に続く。

 記憶喪失の私になんて、変な縁談も舞い込まないだろうし、兄のすねをかじって好き勝手に生きるのが、ちょうど良いわよ。


 あ~、神様~!

 神様はちゃんと見てくれていたのね、と天を見上げる。

 とはいえ目に映るのは、山吹色の天上だけど。

 それなのに、今日に限っては、くすんだ黄色がキラキラ輝いて見える。

 私ってなんてツイているんだろう!


 盗賊の皆さまぁぁあ!

 よくぞ私を狙ってくれたわ。

 近所のリスしか寄って来ない、冴えない枯れ木令嬢を!


 こうなれば、もう感謝、感謝、感謝しかないわよぉぉぉおー!


 おっといけない。感情が昂りすぎた。

 ごほんっ、と内心咳払いをして、気を取り直す。

 兄の教えを、今、存分に生かすときがきた──。


「あなたは誰?」

 にやけるな自分と言い聞かせながら、ぼそっと発する。


 我が家を貧乏まっしぐらへと導いた元凶、かつ、モテない同盟の兄の助言である『思っていなくても可愛くすっとぼけろ!』


 ああ~。今日まで気づいていなかったけど、なんて素晴らしい格言なんだろう。


 もはや、この言葉を我が家の家訓にしたいくらいだ。今日から忠実に守っていくわよ。


 ◇◇◇

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