第19話 偽装婚約の契約⑦
器の小さい男だ……。
自分だけ恥ずかしい予行練習を披露して、私がそれに乗らないのがよほど悔しいとみた。
それでも私が折れて「好きだ」と言う必要はない。
「そうだ! 予行演習といえば私もしたかったことがあるのよ! せっかくだから付き合ってよ」
「おおそうか! なんだ?」
彼が妙に嬉しそうに張り切ると、私の手を見ながら、彼が手を差し出してくる。
いやいやいや、流石に気が早い。
「いつか恋人に渡すために、チーズケーキを作って練習しているんだけど、お兄様が私には『センスの欠片もないからやめろ』って、味見さえしてくれないのよ」
「え! 恋人へのチーズケーキ‼︎」
チーズケーキと聞き、彼の表情が綻ぶ。
「今度、何が悪いのか味見をしてくれないかしら? 読んだ本にある素敵なシーンを、愛しの彼と再現したくて。いつかできる恋人の誕生日に、お渡ししたいのよ」
「は? 他の男に食べさせるための実験台に、俺を毒見役として使おうとしているのか?」
「まあそうだけど、さすがに毒は入っていないから死にはしないわよ。一度チーズケーキを渡したお兄様は、絶対に食べようとはしないけどね」
「誰が食べるか! そんなものを俺に持ってきたら、即行でゴミ箱行きだ」
そう言い放つと、彼はすぐさま手を引っ込めた。
私の円満夫婦計画のために、レオナールを利用しようと目論んだが、激昂されて終わる。
改めて、釣れない男だなとため息をつく。
「はぁ~あ、期待した私が馬鹿でした。もういいわよ……レオナールには何も期待しないわ」
「あっ……いや……それは……」
レオナールの顎が、がたがたと震える。契約を放棄すると思っているのだろう。
だが一度交わした約束だ。
そこまで心配しなくても、しょうがないから今日くらい付き合ってあげるつもりである。
私はそこまで意地悪じゃないし。
そう思って、にこっと笑う。
「まあパーティーくらいは付き合ってあげるわよ。レオナールのことは何があっても絶対に好きにならないもの、願ったり叶ったりの幼馴染がいて良かったわね」
「そうだな」と息も絶え絶えな彼が、やっとのことで発した。
「ねぇ、最近、湖にスワンボートが新しくできたらしいけど、もう乗ったかしら?」
「いいや。あんな子どもっぽいものに……俺は興味がないから」
「とか、何とか言っているけど、未だに水が怖くて近づけないんでしょう」
意地悪ばかりされてムッとする私は、揶揄うように伝えた。
王都の外れに大きな湖があるのだが、都心のオアシスとして人気がある場所だ。
ちなみに、王都の外れである郊外に我が家もある。
そこで売られるボートのチケットが、あるときから何倍にも跳ね上がり、持ち込み禁止の湖畔に変わった。
お菓子の一つも持ち込めないくせに、そこの売店の料金がやたらと高い。市井で購入するのに比べ、三倍以上の金額だ。
そうなれば庶民向けというよりは、貴族のために用意された、憩いの場である。
だけど、初めてレオナールに出会ったのが、その場所だった。
ボートから落ちた彼の妹をレオナールが助けた後に、彼自身が溺れたのを私が救助した。
いわゆる人工呼吸というのを含めて。
彼は、それを人生最大の汚点だと思っているから、私にだけ意地悪な態度をとり続けている。
『人工呼吸なんか必要なかったのに』と、未だに、余計なことをしてくれたと根に持っている……。
別にいいけどね。
その湖でのアクシデント以降、何度かラングラン公爵家に招かれ、「誰にもそのことは喋るな」と、堅い口約束をさせられた。
私より三歳年上の彼が、幼い少女に助けられたのが、よほど情けなかったみたいだ。
そのせいで出会った当初からいつも、つっけんどんな態度をとる。
それでも絶対に私を無視しないのは、ある意味、二人の関係を誰かに喋らないか、と監視しているのだろう。
「俺は別に水が怖いわけではない」
「じゃあ今度、一緒にスワンボートでも乗ろうか?」
冗談で適当なことを言えば、彼が真っ赤な顔になる。
「むむむむ無理だ。お前となんか、誰が湖に行くか!」
「あっ、そう。まあ、レオナールと一緒に行っても詰まんないものね……」
「は⁉ 自分から誘っておいて、なんて言い草だ」
「誘ったことに深い意味はないの。お金がなくてもう何年も湖には行ってないから、どうなっているのか見たかっただけだし。私に恋人ができたときの楽しみに取っておくから別にいいわよ」
呆れる私も口を噤むが、彼も私との会話が面倒だと言わんばかりに、無言を貫いている。
会話が止んで、少ししてから馬車の動きが止まった。
◇◇◇
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