第17話 偽装婚約の契約⑤

「ほらっ、乗るんだ!」

 真っ赤になって怒っているレオナールが、私を馬車へ押し込めた。


 この現場、どっからどうみても誘拐事件である。


 お巡りさ〜ん! 純情な乙女が今、かどわかされていますわよ~。


 助けてくださいなと周囲を見るが、庭さえない我が家では、屋外で暇を持て余す従者はいない。


 誰にも目撃されない誘拐の現場。抵抗する間も与えてくれずに、公爵家の馬車に座らされた。


 そして私たちが乗った馬車は、公爵家の寡黙な御者によって扉を静かに閉められてしまった。


 あれよあれよと言う間に、狭い空間で二人きりだ──。


 そのうえ窓には、なぜかカーテンが閉まっており、妙に薄暗い。


 レオナールってば、淫らなことでもするんじゃないでしょうねと彼を睨めつけ、じりじりと緊張が走る。


 奇天烈発言を繰り返す兄のせいで、悪評あふれるトルイユ子爵家。

 その家の令嬢が、最後の優良物件にイタズラをされたと騒いだところで、警察もお役所も信じてくれまい。


 それでも一言、彼に物申さないと気が済まない。


「もう、いい加減に手を離してよね。変なことをしたら訴えてやるんだから」


「おおおお俺がお前なんかに、ななな何をするっていうんだよ! 絶対にないからな! 気持ち悪いことを言うな」


「あぁ~そう。気持ち悪くて結構! それは良かったわ! だったらさっさと手を離しなさいよ。ったく、触らないで」


 彼へ散々言いたい放題に返しているが、こう見えても彼は公爵令息だ。


 この大きな馬車だって、流石、このヴァロン王国の筆頭公爵家であるラングラン家のものだなと、感心するくらい立派なものだ。


 高級な革張りの座席はふっかふかだし、貧乏子爵家の馬車とは比べものにならないくらい座り心地がいい。


 ちなみに我が家の馬車の座面にあるような、穴を塞ぐつぎはぎのパッチワークは、どこにも見当たらない。


 豪華そのものの馬車から、隙をついて逃げ出そうと、ドアを見つめていれば、勘づかれたようだ。


 無駄に長い脚をドカンと前に突き出すレオナールによって、退路を断たれた。

 そう考えたところで、馬車が動き出す。


 そんな彼が、揺れる馬車の中でも、少しもブレることなく、私を見張っている。


 いや、馬車が停止しない限り、何もそこまで警戒する必要はない。


 いくらレオナールのことを嫌いな私だって、動く馬車から飛び降りる勇気はないもの。ひとまず前を向いてくれと、ジト目で念を送る。


 私からパーティーの余興について言い当てられたせいだろう。

 レオナールの機嫌がすこぶる悪いようで、彼が低い声で告げた。


「お前なぁ~、今日のパーティーの意味が分かっているのか?」


「だから、王太子殿下から罰ゲームでもさせられているんでしょう」


「そんなわけあるか! どこの阿呆が余興で婚約を発表するんだ!」


「じゃあ、何だっていうのよ。まさか、本当に私と婚約する気なんてないでしょう。私は絶対に嫌だからね」

 挑発的な口調で告げる。


「あ、あ、あ当たり前だ! 誰がお前なんかと結婚するんだよ。俺の名前に汚点が付くだろう! 馬鹿っ」


「あっそう。悪かったわね、汚い点で!」


 それを聞いたレオナールが、私からすっと視線を外すと閉じたカーテンを見たまま、肩を丸めて沈黙する。


 ようやっとこちらを向いたかと思えば、生気を失ったような彼は、異常なほど暗い顔をしている。


「まあお前みたいに、俺に興味のない令嬢が一番適任だったんだ」


「何に?」


「俺の行く先々、次から次へと現れるとんでもない令嬢に、もううんざりなんだ」


「だから何よ! モテない私への自慢かしら?」


 顔色を一段と悪くする彼が、ボソッと言った。


「俺の婚約者のふりをしてくれ──」



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