33 真に願うこと

 ディファストロの捜索隊は一昼夜を駆けて北の湖畔に到達したが、森の命は潰えて、精霊を人柱に結んだ結界は禍々しいという言葉では足りない。

 そんな中シャラナだけは、これは珍景ですとメガネを変えて観察し、いやはや絶景とオデコをぺちんと叩くはしゃぎっぷりだ。

「さて忠犬ポッポが申しますに、目指すはあっち→→」

 ポーポーは犬でなく鳥だが、異論など唱えれば厄介が奇怪になるので、誰もが聞かぬふりをする中、隊を率いるガラルーダは目を合わさずに訊ねる。


「あっち→→に行くには、結界をどうにかする必要がある」

 ディファストロを案じて焦るガラルーダに、シャラナは提案を持ち掛けた。

「入ってみてはいかがですか?ガラルーダ」

「・・怪しい」

「あたりです。皮膚はただれ、骨は飛び出し、頭髪はきれいさっぱり無くなりましょう」

 シャラナをこれっぽっちも信用していないガラルーダは命拾いをした。


「結界の供給源はディファさまの魔力のようじゃ」

 校長はいくつかの解除を試みたが、そのたびに湖底のカズラが被さり、水底に魔力の供給源があることを示している。

「どこまで用意周到な魔女め!」

 ドンッと叩いた結界の壁は、エントの嘲笑のように耳障りな音を立てた。


「ハッハハ。青二才のイタズラなど教師にかかればお茶の子さいさい、スズメがシャクトリ虫をパックンですぞ」

 シャクトリ虫ってどんなだっけで思考が停止したガラルーダの肩を、校長はポンと叩く。

「近頃の生徒は”にゅうたいぷ”じゃ。おぬしら世代のようにな力で押せ押せはもうエモい。教職には常識を凌駕した思考を巡らせ、針で穴をつつく攻防が求められておる」

 それはなんともハードな仕事だが、シャラナに拮抗する勢力が育つなら応援もヤブサカでないとガラルーダは思う。


「あの頃は良かったのう。サラのイタズラは巧妙すぎて、イタズラだと気付かなんだし」

「ええ。バレないイタズラはイタズラでないと、ロレッツァがサラを除け者にしましたね」

 おうおうと校長が懐かしい・・というより胡乱な目をした。

「サラの癇癪で、学校塔がひとつ崩壊したのう」

 イリュージャがノルム城を崩壊したとき、サラは責任の在処をことごとく突っぱね無罪を主張したが、あれを有罪とすれば過去の自分も有罪で、敗訴を認めたノルム王の書簡は、戦利品として宰相室に飾られている。


「ではシャラナ、そのシャクトリ虫で結界を解いてくれ」

「ハテナ?シャクトリくんにそんな機能はありません」

 ガラルーダの頬が攣り、みんな仲良くじゃと校長が仲裁に入った。

「わしが精霊の怒りを鎮めてみよう。シャラナはディファさまとリヴァイアサンを分離させ、力を削ぐのじゃぞ」

「あー、まー、そー、生徒の使役魔を実験に使うのはご法度で、しかし鱗と身と血と、他もろもろ落ちてたらいただくとしましょう」

 サンプル収集用の蓋付き瓶のラベルには、”リヴァイアサンの血”、”リヴァイアサンの鱗”、”リヴァイアサンの爪”と、すでに分類シールが貼ってある。


 さっそく湖畔に姿を映すシャラナが、妖魔使いの技でリヴァイアサンを召喚した。

「紺青を纏う水の竜」

 面倒ごとはまるっとナクラにおまかせのシャラナだが、妖魔使いとしての彼は超一流で、妖魔に愛されるナクラとは違い、妖魔も慄く妖魔使いだ。


 湖畔の奥でぴちゃんと聞こえた雫に、シャラナは瑠璃の鎖を放射線状に放つと、そのうちの一本に手応えありとグッと力をこめ、捕獲完了とマグロ用の巻き上げ機でグールグールと手繰り寄せた。

「青二才の使役などこれこの通り」

「わわわ、シャラナ。縛りを弛めねばディファさまが疲弊するっ」

 校長の慌てっぷりに、シャラナはたった今気付いたかのように、

「私としたことが、王子の回収を失念いたしておりました」

 いつの間にやら蓋付き瓶には、キラキラとかピカピカとかのサンプルがこれでもかと収集されている。

「ガラルーダ、怒ってはならんぞ。優れた指揮官はドンと来いじゃ!」

 それでなくともナクラの後任問題で三角帽子の下は寂しくなり、もしもシャラナまで拗ねて退任などすれば、トレードマークの白髭も無事に済まんぞと必死だ。


「私がリヴァイアサンを契約者と分離させますから、ガラルーダはポッポを追いなさい。魔力がチビッーとしかないあなたなら、濃厚な水底に沈んだところで影響はありません。リヴァイアサンは私がしっかりと面倒を見ておりますよ!」

 満面の笑みでポッポを湖に投げ込んだシャラナの清々しい笑顔に、どうかリヴァンが干からびませんようにと祈りながら後を追った。


  ▽


 光のない湖の底をポッポは迷わず進む。ポーポーは鳥だが実は水陸両用で、鳥ではあるが鳥目ではない。

 湖畔の大樹は戦時に比べて二回りも小さく、底には泥が堆積しているが、これは大樹が霊力を失ったことが原因で、淀みには恨みや呪いを助長する力がある。

 よくも覚悟を以て飛び込んだものだとディファストロの心情を慮るも、浅慮であるし短慮でもあると腹立たしく、しかし9割方のワガママを許容した自分の責任も否めないと猛省中だ。


「ボォーヅッーボォー」

 くぐもった鳴き声でポッポが示す場所には、青白い顔で意識のないディファストロが今にも泥に沈んでしまいそうで、しかし波打ち際の砂のように、掻いても掻いても崩れ落ち、埒があかないと光を帯びた剣をかざした。


 ガラルーダは光属性であるが、魔法使いと呼べる魔力に足りない。

 長く愛用するこの剣はサラが光で鍛えた魔剣で、17歳のバレンタインディに贈られたことから、未だ人から好機の目を向けられる曰く付きの逸品だ

 サラの光を前に泥は浄化されて砂金になり、ようやく胸まで引っ張り出すと、そのままガラルーダの腕に倒れこんだ。

「ボッーボッー」

 くぐもる声でポッポは脚を出し、なんだろうと握った途端、翼を畳んで脇を締め、ドリルのように回転しながら一気に湖面まで浮上して、ぽーんと岸へと投げ出された。


「目が回る・・ポーポーは人の輸送向きでないな」

 学生の頃、ロレッツァの実家で牛と一緒に搾ったサトウキビも、きっとこんな気分だっただろうと思えてくる。

「ディファさまはご無事か」

 校長は左頬が大きく裂けて出血するディファストロに息を飲み、脈を計るとホッとした表情を浮かべた。

「ガラルーダ、温めておやり、呪いが消えたお前さんは、もう何も喪うことはないんじゃよ」


「・・呪が解かれたのだ。しかしロレッツァは・・」

 すでにロレッツァの命は尽きており、一人だけ罪を背負う口惜しさに嗚咽だ漏れて、ディファストロのいつもより真摯なごめんなさいを聞く

「僕は死にたくない」

「お守りします」

 この命こそが、我が友が生きた証だと深く頭を垂れた。


  ▽


  ▽


 ある日の朝、よいしょと縄を肩に担いだイリュージャは、いってきますと出て行ったきり、夜になっても戻ってこない。

 タクンが心配してオロオロするから何食わぬ顔で落ち着かせたが、なっちゃんと黄色は行先を知っているようで、ユージーンのプライドはご機嫌ななめだ。

 翌日の昼過ぎに戻ったイリュージャを怖い顔で迎えに出て、だけど一緒に戻ったロレッツァを見た途端、張り詰めていた気持ちも涙腺もパンと弾けて泣きじゃくってしまう。


 ロレッツァはそんなユージーンを膝に抱えて頭を撫で、

「ご立派でした。ここからは俺が守りますからね」

 安心するまで繰返されて、ウトウトしてしまうとは恥ずかしい。

「寝る子は育つ、竹よりおおきくなぁれぇ!」

 ロレッツァはいつも通りなのに、まるで知らない気配があって、そのもどかしさをユージーンは言葉に出来なかった。


  ▽


 ノルム城からナターシャの北に出発したのは翌日で、真っ白な雪の上、イリュージャはずっとロレッツァに抱えられている。

 ユージーンは号泣を挽回しようと、禁忌の森に先陣切って入る覚悟だが、かっこつけたところで、イリュージャが寝てしまったら台無しだ。

「ロレッツァ。イリュージャに構い過ぎだぞ」

「ヤキモチですか?ほらジーンさまも抱っこしますよ」

 な、なんたる屈辱、いっそうカッコがつかない。


「待ってロレッツァ。禁忌の領域よ。うん、平気そう」

 一行がノルムとの和平締結に抵触しないと、イリュージャは大気に確認した。

「ナターシャの北部は丸ごと禁忌の地だろう。よくノルム王を説得できたな」

「つきまとったんだよ」

「なるほど、軽犯罪だ」

 銀の魔女であることを最大に活かす心理圧がおススメとは、サラの助言である。


 イリュージャがノルム王に母親の最期を伝えれば、王はしばらく間をもたせ、それからふうと息を吐いて謝罪した。

「ノルムの民が迷惑をかけた」

「あんなことがあったのに、ノルムの民と呼ぶのですね」

「北は極寒で一人では生きられぬ地だ。私はエントを一人にすることで、死に相当する絶望へ堕とした」

 私情は自責の念になり、エントの死を以て贖罪の機会を永遠に失ったと天を仰ぎ見る。


「あのね王さま。オカーサマには銀の核がなかったの」

「さて、核とはどういうものだ?」

「魔力を帯びていて生み出す力はないもの。役割は大気を原料にして魔力を創る」

 魔力を創るかとノルム王は考え込んだ。

「それは血液を循環させる心臓の役割だな。核とは生命の制御、『命』と置き換えていいだろう」


 ノルム王の答えはイリュージャを確信に導く。

「ある人は終えた命に他者の核を動力にすることで魔力を循環させた。私には核がなくって、残っていただけでやりくりしている」

 しかし母親のエントは最期まで銀の核に衰えがなく、ならばその供給源、すなわち核の持ち主である本当の銀の魔女は生存しているのではと話す。


「ノルム全土を探したよ、残るは禁忌である北の果て」

 それが最後の望みで、ノルム王を支えてきた希望だ。

「私の愛する人に会えたなら、戻りたいと望むなら、」

「銀の魔力はすっからかんで、銀髪の人でもいいの?」

「力を望んだことなどない。私が策略を巡らせたのは、彼女を戦地に送りたくない一心によるものだ」


 王の告白に、イリュージャは眉間に皺を寄せ難しい表情で答える。

「ノルムの王さまはそこそこのお歳だけど、初々しくって恥ずかしくなりました」

「なぜサラはあなたを生かしているのだろう?」

「殺すと仕事が増えるからでしょうか」

「なるほどその通りだな」

 どうしてサラ絡みのときだけ意見が合うのだろう。


「伝言はどうしますか?五歳児なので長いのは噛みます」

 ノルム王は指輪を抜いて渡した。

「あなたをずっと待っている。例えガシャルに還ろうと、私の心はあなたにありますと」

「あらまぁ、甘酸っぱい」

「黙れ、チビ」

 頬を染めたノルムの王さまは、こんな可愛い人である。

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