32 血肉の継承者と消えた呪い
リヴァイアサンとディファストロは同化し、ロレッツァが切り刻んだ湖畔の大樹に魔力を注いだ。枯れた大樹が甦ることはなく、ただディファストロ自身の魔力を消費することで、内に宿る妖魔を覚醒させるのが目的だ。
半日もそうするうちに意識は朦朧として、あちらとこちらの途中、彼が目指した場所に辿り着いた。
「怨みが堆積してる、なんて醜い」
エメラルドの湖面から想像できないほど湖底は禍々しく、おびただしい数の思念が蠢くようすに鳥肌が立つ。
「話をしようよ、銀の魔女」
『残骸に過ぎぬものが小賢しいことを』
湖底の泥が舞いあがり、女の声が笑った。
『生粋のフューラの『ふたつ』を、后はふたつに割ってガシャルから隠したわ』
ディファストロの吐く息は真っ白で、命を縮めるほどに呪いの正体である銀の魔女を鮮明に象る。
『人の浅知恵で覆るものですか。絶望を見ようと苗床を産んだのに、あれが生粋の銀とは口惜しい』
定めの妖魔さえ壊せば赤子など一捻りだったと、そこに愛情は欠片も無い。
『王子の魔石が我が子のものなら、これほど待つ必要はなかったけれど』
双子の誕生はイリュージャよりすこしだけ早かったのだ。
「だからロレッツァを犠牲にしたのかっ」
『愚かね、犠牲でなく対価。あれは親和力に長ける最高の器だもの』
「そして娘の10年を守らせた」
『人は情が移るほど苦痛が増すもの。王子の誕生を祝う歓喜の中で、私は我が子に手をかけたの。まるで銀の消滅を慶ぶ歓喜のようだったわ』
うっとりと胸に手をあて北を見つめる。
『ガシャルは枯れて根は腐り、生粋の銀フューラに妖魔はない。銀の消滅は帝王の願いで、成し遂げた私を愛さずにはいられないでしょう』
たくさんの運命を歪めた銀の魔女は、我欲に過ぎぬものをそう正当化した。
▽
「ディファ!」
飛び起きたユージーンの手は虚空を掴み、真夜中をしらせる時計の音に体を震わせた。
「ディファが銀の魔女に・・。夢だ、ただの夢」
マーナガルムの報せで飛んできたなっちゃんは、ユージーンに宿る妖魔が覚醒していると確認すると、ぎゅっと手を握る。
「ユージーンさま。教員伝達の手管で、夢の語りを校長に伝えねばなりません」
急き立てられて書く文字が、なっちゃんの縦笛のような筒に吸い込まれていく。校長室にはこれを受信するアンテナがあって、音速の教員伝達手段だ。
「ディファを助けに行かなきゃ」
「ダメだっ!・・あなたは進むのです」
声を荒げたなっちゃんは、フウと息を整えた。
「選択のために進むのです。選択の権利はあなたにしかなく、イリュージャはずっと待っている」
進むほどイリュージャの世界は小さくなって、自分の笑い声に耳をそばだて、映す景色に永久の別れを告げる旅路。進むのも戻るのもあるのは終わりで、終焉から逃れる術はもうない。
▽
▽
教員伝達の手管を受信した校長が、ガラルーダを介してサラに情報を届けたのは、今この時が先の明暗を分ける土壇場だからで、応じたサラは『視る』を行使する。
『視る』が辿るのはユージーンに巣くう妖魔の記憶で、ずいぶんと過去まで遡ったために目玉がピキッと神経痛を起こした。
「后の逝去は、魔石をふたつに割いた魔力行使の対価だね」
元より持病があり、出産の負担による逝去の報に疑問を呈す者はなかった。
「懐妊中も心身が不安定だと、公の場に出ることはなかったな」
「公どころか私的にも徹底して私を避けていたよ」
腹に妖魔を宿したことにサラが気付かぬはずはなく、婚姻10年にして授かった我が子を諦める選択はなかっただろう。
「子をふたつに裂いたところで人と妖魔に分離はしない。ガシャルから隠そうとしたのだろうね」
瞼が痙攣して眉間を揉めば、ガラルーダがサラの頭を鷲掴みにして力を込めた。
「痛い!骸骨を粉々にするつもりかい!」
「マッサージのつもりだ。ロレッツァを真似てみた」
いくらサラでも昨今の仕事量は尋常でない。私利私欲の勢力を排除しながら地方に散った同士を集めて改革に乗り出し、トンズラ王子の捜索ばかりかノルムとの神経戦で目が血走っている。
「離せっ、充血目玉が限界だ。カタリ鳥が戻ったら起こしておくれ」
アイマスクを嵌めると同時に、スゥスゥと寝息が聞こえる。
このアイマスクはサラ監修で、寝返り時にもズレないフラットタイプ、頬まで覆って光を遮断し、耳が痛くならないバックストラップの24時間働く人の強い味方だ。
無防備になったサラの結界が弱まって、忍び寄る気配にガラルーダは剣を抜く。
「やあ、ガラルーダ。みんな幸せになる方法を教えてあげる」
それはディファストロの姿をしており、おいでおいでと手招きをした。
「そうやってあなたは我々を騙したのだ」
ガラルーダの光の剣が空を切れば、ディファストロの姿は歪み、エントである銀の魔女を象る。
『サラの命と魔力を貰うわね。これで全てを失ってお前にも安息が訪れる』
サラの金の環をシャランと揺らした銀の魔女は、激流のように大気を渦にして襲い掛かったが、すでに覚悟を決めているガラルーダは、一歩たりとも動かずスルリと光の剣を構えたそのとき、
「こんにちは、ガラルーダさん。ウチのオカーサマがスミマセン。ブッ飛ばすので身の回りにご注意ください」
不機嫌な声はイリュージャで、ガラルーダは急いでサラを抱いて大理石のテーブルを盾にし、ほぼ同時に地鳴りをあげる銀の蔓が地を蠢く。
エントは無数の氷で難なく粉砕するとほそく笑み、するとイリュージャは頭上を指差して、『なんにもナイ』がやって来たと冷笑した。
「あなたがポムポムの秘術を用いて創ったこれは虚無。世の不合理を喰らうから『なんにもナイ』だと私は恐れた。不合理とは私であってあなたでもあるから」
理には不合理を排除する役目があって、死んだ者が生きている非常識、人を妖魔に仕立てる非常識がそれだ。エントはポムポムの秘術を用いて、不合理を虚無で覆い隠し摂理に無理やり組み入れたのだ。
「ガラルーダ、女の動きを封じろ!」
扉を蹴破って飛び込んできたロレッツァは祝福を唱え、ガラルーダは光の剣でエントを影に縫い付けた。
「まったくやかましいことだ」
アイマスクを外したサラの頭上では、白目を剥いた不健康目玉が痙攣を起こし、血走った血管柱が槍となってエントを磔にする。
「うわあインパクトが半端ない・・」
なんだかいろいろ凌駕する目玉に、イリュージャの顎は外れそうになったが、
「手を抜くな、マヌケ娘!」
サラの怒声にハイっと返事をし、『なんにもナイ』にエントを放り込んだのだった。
▽
「なぜ目醒めたんだい、ロレッツァ・・」
この目醒めは永久の別れの合図で、震えるサラを抱き子供のようにあやす。
「一か八かだったがうまくいったな。あの存在以上の不合理は世にない」
虚無の残骸を『視る』サラは、ぞっとして身を縮めた。
「『なんにもナイ』とはまさに滅亡の縮図だ。これを操れば世界を意のままに出来ただろう」
だがロレッツァの袖を握ったイリュージャは、ずっとしかめっ面をしている。
「これは大技だけに準備が大変。まずは月を映した井戸水でイラクサを育て、草木も眠る丑三つ時に縄を編む」
「こら、子供が夜更かしなんてするもんじゃないぞ」
「あれは市場で買った縄で、私はいつだって早寝早起きよ」
ダメで元々のつもりで、縄を燃やすと脅して、いや奮い立たせたと話す。
偉いぞと頭を撫でたロレッツァにサラは呆れ、ガラルーダはイリュージャの頭に手を置くと本物かを確かめた。
「本物よ。ロレッツァを連れていくためともうひとつは、」
そう言いながら『なんにもナイ』を棒に絡め取り、袋に詰めてぎゅぎゅっと縛る。
「もうひとつはジ-ンの願い。ディファストロの助けになるように」
イリュージャがポシェットのがま口を開けば、
「ポッポー!」
素っ頓狂な鳴き声でユージーンのポッポが、ボサボサの羽で飛び出しガラルーダの背に隠れる。
「窮屈くらいが何よ。これだからいいとこの使役魔は」
がま口ポシェットはポッポを4回折り畳んだくらいのサイズで、ガラルーダは飾り羽が折れ、ツルッパゲになった頭部を撫でてやった。
「ディファさまのいる場所がわかるのかい?」
「大体の座標はね。そこから先はポッポが案内するってジーンが言った」
元はひとつの双子だから、近くまで行けば辿れるという。
「リヴァイアサンは正気じゃない。これの解決には妖魔使いが必要よ。シャラナ先生を同行してね」
「げっ、シャラナ!・・なっちゃんではダメかい?」
「だめ」
なっちゃんは銀に耐性があるし、笑いの相方として旅のお供にぴったりなのだ。
「ロレッツァ、それじゃ北へ行こう」
ポッポが押し込まれていたガマ口を開けばロレッツァは後ずさったが、取り出したのは白いチョークで、床に転移の魔法陣を描きはじめたイリュージャに、サラは呟く。
「マヌケ娘を屠ったら、ロレッツァはここにいられるのか・・」
サラのびっくり発言にキョロキョロしたのは、無敵目玉は全方向攻撃を得意とするからである。
「挙動がおかしい。ロレッツァが無くては深淵に辿り着けそうもないね。・・いいだろう、我が友を見送るとしよう」
サラの声は震え、ロレッツァは強く抱きしめ背を叩く。ガラルーダは胸の痛みに耐え、嗚咽をもらすものかと歯を食い縛った。
「大活躍するからな。別れの時だ、サラ、ガラルーダ」
水を差すのは気が引けますがと、イリュージャはポリポリと鼻を掻く。
「それがどうにもこうにも私ってば無敵で、このままじゃロレッツァは代打での出番も無さそうだから、取りあえず起こしたの。だから『大活躍』はないわね」
正直に話したのに、サラはイリュージャの顔を鷲掴みにした。
「千の目玉でドレスを仕立ててあげる。疲労ピークの充血目玉だよ」
ほとばしる充血目玉でデヴュタント・・。
「目玉だけに本日の目玉はこちらのドレス・・」
相方のなっちゃんがいなくては、オチがいまひとつ決まらない。
▽
北の湖畔へディファストロの捜索隊は直ちに編成された。
校長先生が同行するのは、湖畔の魔力に耐える魔法使いであるという理由だが、シャラナの手綱を握る期待値が断然高い。
久しぶりの遠征じゃとやる気に満ちる校長とは対照的に、北はこの間行ったから西に行きたいとシャラナのやる気は皆無で、出発前から空気は不穏だ。
「ディファさまを頼んだぞ、ガラルーダ」
「ああ。ロレッツァはジーンさまを頼む」
拳を合わせて健闘を祈るのは騎士の作法で、サラは昼間の空に揺れるオーロラを創り、旅に災い無きようにと祈りを捧げた。
「俺にもサラの護りを分けてくれ」
ロレッツァの頬に触れたサラは涙をいっぱいに溜めて、花の香りで旅の安全を願う。
「あの幼い日、お前に会わずにいれば、今でも時を傍観していただろう」
それから頬をそっと撫で、絶世の微笑みを浮かべた。
「幸せだったよ、ロレッツァ。共に見た空の上より水の底より世界は素晴らしく、友と過ごした月日は何ものにも代えがたい」
「サラが思うより世界はまだまだ広い。その目で見てくるといい」
「鎖に縛られた私にそんな日は来ない。だからここでおまえを想うとしよう」
行動を制限する金の環がシャランと揺れると、ロレッツァはいたずらっ子のように片目を瞑って、イリュージャに合図をした。
「まかせて。『血肉の継承者が解除を告ぐ』」
イリュージャに応じた大気に銀の文字が顕れると、チリチリと燃えて風に散り、サラの両手両足の金の環がパタリと落ちて、世界を隔てる透明な膜が威勢よく飛び散った。
「サラ先生とガラルーダさんを縛った呪いは、母親の血肉を継承した私が正しく解除した。その対価はロレッツァね」
ロレッツァはイリュージャを抱き上げて、俺の願いがとうとう叶ったぞと天を仰ぐ。
「サラはもうどこにだって行ける。ガラルーダはもう誰とでも生きていい。そして俺は、残りの時を愛し仔のために使う。なあ賢いだろう」
ロレッツァは目を細めて、幸せだと涙を溢し北へ転移を踏んだ。
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