34 『ふたつ』の選択
ガタンと車輪が氷を弾き、荷馬車で寝ていたイリュージャはむくりと起き上がった。
「おはよう、ジーン。ロレッツァはどこ?」
「ソリの手網を握ってるぞ」
答えたのはなっちゃんで、床ギリギリを低空飛行する理由は、タクンがもっこもこに重ね着をさせたからである。
「それじゃ私も御者台に行く」
ユージーンはムッとしたが、後で交代するから妬かないでと想いは伝わらず、渋々とホロを開いた。
「さ、ぶ・・い」
手網は握っているだけでソリは軽快に進み、これはトナカイの技量によるもので、ロレッツァの才能の有る無しは不明だ。
「私、ソリに乗るのって初めてよ」
カコカコ頷く筋金入りの寒がりは、活躍する前に凍結の可能性が高い。
「ぼはへさぶくあいおあ?」
「あ?オマエサムクナイノカって言った?服に魔法をかけてあるから温かいよ」
答えた途端にハシっと掴まれ、マントの中に押し込まれた。
「ふほっー、ぬっくーい」
「ひいぃ、ちべたいっ!スリスリするなっ」
「作物が育たないところじゃ、俺はしおれちゃうのよね」
手綱はとっくに離したがソリは安定し、優れているのはトナカイであることが証明された。
「この先にフューラがいるんだろう?」
「うん。ガシャルは小さくなって、フューラが顕在できる範囲は狭まってる」
「放っておけば消えるのだろう。危険を侵す理由はなんだ」
イリュージャは荷馬車にいるユージーンを気にした。
「『なんにもナイ』はね、母親がフューラの魔力で創造したものよ」
血肉を継いだ継承者として、サラとガラルーダの呪いは解除できたが、『なんにもナイ』の消滅に至らなかったのは、あの虚無の権限が母親になかったからで、残る可能性はフューラだけだ。
「私も生粋の銀だけど、核がなくては消滅するのは無理で、風呂敷に包んでおくのが精一杯」
ガマ口ポシェットを開けば、ぎゅぎゅっと押し込んだ風呂敷がのぞいた。
「『なんにもナイ』の所有権は私にあるけど、私が終わればフューラに移る」
「世界を無に帰す力とは厄介な遺物だな」
せっかくサラとガラルーダの呪縛を解いたのに、無にされては台無しだと気に喰わない。
「フューラの力が増せば、ジーンの妖魔を支配下に置くことができるでしょう」
「ただならぬ強さか」
「理性を無くしたサラ先生みたいな感じかもね」
そいつはマズいぞと、ロレッツァは思わず空に目玉をさがした。
「フューラは人を憎んでいる。話し合いは無理だろうな」
「どうだろう、私たち銀は感情が鈍いから」
世界はふつうでなければ生きづらい。銀を持つナクラは生まれた地を追われ、イリュージャは生まれただけで災厄だ。だから感情を俯瞰するのだろう、自分も他者も一線を引いて置けば憎むほどの熱量にはならない。
「心の防衛に長けているのであって、鈍感なのではない」
ロレッツァなら「ちがーう」とそれだけ言うのだろうが、イリュージャの定めの『ふたつ』と融合したことで、『ひとつ』を貶める言葉に敏感だ。
「銀は溶けるから感情を残さないためでもあるの。ナクラ先生の魂が人形に憑依できるのもそれで、私が溶けてフューラと融合すれば抑止力になるでしょう」
「却下。犠牲は選択にない」
ロレッツァは手綱に力が入ったが、トナカイはどこ吹く風の優等生だ。
「フューラが一番の犠牲者よ。エントは血縁でも銀の身内でもないもん」
案の定、子供の健やかな成長がライフワークのロレッツァが、鼻をすすりあげた。
「フューラも親兄弟に会いたいだろう」
銀の仔を持つ親は、神託による報奨金でひと財産を築いたと羨む声を幾度も聞いた。その金が子供の命の代金だと知らぬことはあるまいから黙っている。
「ジーンの内にある妖魔は、フューラを連れてガシャルに逃げたのよ」
それは一縷の望みで、しかし命懸けの逃走は、生粋の銀を狙った母親のエントにより悲惨な結末を迎えた。
「擁護のつもりはないけど、ジーンたちが生を受けたのはおかげでもあるわね」
生とは幸いで、胸を掻きむしるほど苦しい人生でも、生の奇跡があったから出会ったのだものと言えば、ロレッツァは赤くなった鼻を掻いてソリを止めた。
「食事にしよう。・・なあ、フューラは何を食べているんだろう」
「銀の枝じゃないかな?」
「枝か。俺ね、子供が寂しいとか、冷たい枝食べてるとかすごく嫌」
泣きだしそうなほどの意気消沈に、枝は冗談だと撤回しずらくなった。
「今夜はカレーにする。匂いに釣られたフューラがひょっこりやって来るかもしれない。そうだ、手土産に持っていくのはどうだろう」
子供みたいな子供のヒーローロレッツァ。大活躍がどんどん遠ざかっていくようで気が気でない。
▽
ガシャルの枝で浅い眠りにいたフューラが目を醒ました。
「人が銀を不要と決めてガシャルは消える。・・フューラはどうなるだろう」
氷に転がるのは冷たく、魔物に殺されるのは痛くて怖い。
「『ふたつ』を取り戻しガシャルに還る」
しかし世界中の大樹とガシャルの繋がりは脆くなり、フューラを運ぶ力を失っている。
『グォォン・・』
突如響き渡ったそれはガシャルの共鳴で、禁忌の森をやって来るものに目を凝らした。
「フューラの『ふたつ』だ!ああ、これでフューラは終わる」
鼓動が高鳴り頬を紅潮させ、隠れ蓑の結び目を解くと、
「おいでおいで、フューラの『ふたつ』」
泣きそうな声で呼び、いくども手招きをしたのだ。
▽
▽
イリュージャとは別のルートで北の果てを目指しているのは、氷粒をもろともせず飛ぶリヴァイアサンで、騎乗しているのはガラルーダとディファストロだ。
「ディファさまっ、手と顔を出さないっ!」
最速のため高度をあげているのに、ディファストロは物見遊山でキョロキョロし、ガラルーダにまた叱られる。
「鎧で前が見えないんだもん」
「氷の礫を防いでいるのですよ!」
「包帯グルグルお化けだから痛くなーい」
湖畔でみせたしおらしさはとうに無く、すっかり元通りのワガママ王子だ。
ノルムの入国許可は異例のスピードだった。
『空でも地でも好きに行け』
ヤケっぱちでもノルム王直々で、空と地を行く言質を取った。
「海でないのが幸いです」
ディファストロの護衛として濁流の泳ぎは鍛えてあるが、極寒の海中は備えにない。
「あはは、先発隊がアレだと僕らは役得だよね」
指差すのは首都ナターシャに聳える、元は勇壮、現在は倒壊しブルーシートがパタパタはためくノルム城だ。
『皇城に近づくな。まっすぐ北の果てに行ってしまえ!』
書き殴られた書簡の理由が、腑に落ちる有り様だった。
ナターシャを過ぎれば途端に待機は緊張し、静逸なる銀の森をリヴァイアサンの轟音が響き渡った。
▽
トンネルがフューラの招待と承知のうえで、イリュージャたちはソリを下りる。
「北の果て」
イリュージャの声が反響し、吐き出す息は煌めいて舞う。
「ガシャルがいるぞ」
なっちゃんは目を凝らし、マーナガルムとタクンが惹かれないよう銀の鎖を手に取り、私を護ることを選択した黄色は戦闘形態を取った。
「俺には何も感じられない」
焦るユージーンに、ロレッツァはそれでいいんですと微笑む。
「半分を持つディファさまがご無事だってことですよ」
裏腹にガシャルの枝の端まで把握出来るロレッツァは、己が『ふたつ』になったのだとあらためて思う。
「ガシャルが喚んでる」
温かくて優しい風が手招きし、自ずと早くなる歩みに、なっちゃんは平常心を保とうと深呼吸をした。
「なあイリュージャ。『ふたつ』の役目は銀をガシャルに連れてくることだろう?だがすでにガシャルにいるフューラが、還れないのは何でだ」
イリュージャは生粋の銀にしか見えない袋小路があると、羽の刺繍を一枚ずつ解いては道標になるようにと結んでいる。
「ガシャルが欲しいのは銀の素材で他は不要。愛しい我が子と呼ぼうとも、溶解剤の『ふたつ』が無ければ無価値なの。そうでしょう、フューラ」」
トンネルは突如終わって空洞が広がる。小さくなったといえども、ガシャルは見上げるほど高く、見渡すほど広く、その枝にフューラがいる。
「『ふたつ』は銀を溶かして素材になる。ガシャルの役目は再結晶すること」
死んだ銀の仔をガシャルに還すため、『ふたつ』の妖魔は融合するが、この溶解に最も適しているのが『定めの妖魔』で、ガシャルは妖魔の無い仔、定めでない妖魔を持つ銀の仔を受け入れない
「銀を抽出して再結晶することで不純物は除かれ、生粋の銀が生成される」
「不純物はどうなるの?」
「廃棄」
「それは私の知るとは違う。永遠の安らぎと本能に書き込まれてる」
イリュージャの意識下には、ガシャルで眠る姿が理想郷と描かれているのだ。
「消滅は恐怖だから夢を見せる。ガシャルは銀を生成するだけの道具だ」
ロレッツァは憤り、表情を歪めて声を震わせた。
「俺たちがガシャルに還るのは、愛してやまない『ひとつ』の願いだからで、そうでないなら手放しはしない!」
イリュージャを抱き寄せ、ガシャルに近付けるもんかと身を挺した。
「還らねば魔物の餌食になるだけ。フューラは嫌だ、ガシャルに還る!」
銀の弓矢を構えたフューラに、黄色とマーナガルムが咆哮をあげた。タクンは翼をすぼめ詠唱するなっちゃんを護り、ロレッツァは地剣を抜刀して大気に祈る。
「フューラは選べない。私たちは『ふたつ』の選択に従うだけよ」
「ならばフューラの願いを叶えることを選択させる!」
銀の矢が放たれゴオォ!と大気が唸りをあげた。これはエントの『なんにもナイ』と同じだが威力は段違いだ。
錬成される虚無を押し返したイリュージャの右腕はミシミシと音を立て、バギッと悲惨な音を立て肉が飛び散った。
直ちにロレッツァが己の腕を差し出し、みるみるうちに破裂した腕は再生して、代わりにロレッツァの腕がぐんと薄くなる。
「再構築は本物の『ふたつ』の証。フューラの本当を返せ!」
「ジーンっ、選択して!残滓の私にフューラを止めることは出来ない」
たすき掛けにしたガマ口ポシェットの中で、『なんにもナイ』がフューラの召喚でカタカタカタと振動し、体までカタカタカタして舌を噛みそうだ。
「俺の選択は・・」
ロレッツァはユージーンに駆け寄って、紺青色の髪を抱き寄せる。
「ジーンさま。その選択はこの場を凌ぐためではありませんか。そういうのは後悔するもんです」
「だが俺が決めないと!」
「相談してみましょう。ほら、来ましたよ」
銀の森に轟音が響き、鱗を鋼に強化したリヴァイアサンが樹木を薙ぎ払い着地した。
「親愛なる友ガラルーダ、間一髪のとこだった」
「お前はいつだって間一髪だな、ロレッツァ」
ロレッツァの消えそうな腕に眉を顰めたガラルーダだが、もう驚いてやらんとソッポを向いた。
「ディファが来たよっ。僕のジーン、愛してるぅ!」
「・・なんてこった、ガラルーダ。ディファさまがちっとも成長してない」
「大幅三歩進んだが、小幅で六歩下がった」
なんとも判定しがたい進退値だ。
ディファストロは、ユージーンの前に立って顔の包帯を取る。
「左目はボンヤリとしか見えない。似てない双子になっちゃったね」
血が滲むガーゼの下は、眉から頬まで大きく裂けて呪い火で爛れている。
「僕がいるとジーンは自分のための選択ができない。だから銀の魔女に一矢報いて逝くつもりだったけど」
「何てことを!俺はただディファが王位に就けるようにと・・」
「えっ、丸投げするつもりだったの?ワガママ王子だなあ」
元祖ワガママ王子が自分を棚に上げてると指を差したイリュージャは、ガラルーダに口を塞がれた。
「だけどさ、あんまりにも力差があってバカバカしくなっちゃった。何も動かせないなら、生きて結末を知るんだ。もうそれを叶えることのできない人の分までね」
ポカンと口を開いたロレッツァをイリュージャが代弁する。
「ワガママ王子がマトモだ・・もしや銀の魔女の呪い!?」
「ああ、それでか」
あっさり納得したガラルーダは、ディファストロに睨まれた。
ユージーンはおでこをコツンとぶつけて、ディファは凄いなあと言った。
「『ふたつ』は選択する。俺はエボルブルス国の王として世界にあり続けるよ」
それはフューラとの決別で、ガシャルの銀の光はフツリと消えて、四方から渦巻く風が柱になり禁忌の地を突き上げると世界が暗転する。
声にならないフューラの絶望は頂点に達し、銀は最期の力で世界を刈り取ると決めたのだ。
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