5 働き過ぎのロレッツァ

「あれがこの国の王子か?気に喰わぬから脅すとしよう」

 黄色は人に対して無頓着だが、よほどカタスミ違いの王子さまが気に入らないようだ。

「王族はダメ。私は海の孤島で優雅に暮らしたいのであって、海といえども断崖絶壁の牢暮らしではないからね」

 そして大人しく牢に入るつもりはない私は、一生逃亡生活を余儀なくされる。


 午後の授業は基礎薬草の基礎で、教鞭をとるのは薬草研究の第一人者ローラ先生だ。薬草は常備薬として永続的な需要が見込めるが、生育には神官の上位スキル『祝福』が不可欠で、それなりに割高になって利潤、つまり儲けが少ない。

 そんな貴重な祝福だが、ロレンツァの手にかかれば畑の肥料で、ニンジンにもきゅうりにもよく効くぞと、広大な畑に祝福を雨あられと降らせていたものだ。


 今日の授業は薬草から成分を抽出し、虫刺されの薬と虫除けを作る。いずれも魔力で錬成するものだから、魔力量が少ない一年生はヘトヘトになるが、私の魔力は未曾有で、しかもトンガリ屋根のおうちには虫が多く、人の倍、いや十倍は作る必要がある。

「これで今夜から快適生活だね、黄色」

 ゆうべ耳を蚊に刺された黄色は機嫌を直して尾を振った。


「今日も図書館で本を借りて帰るのだろう?」

 林の家はさぞや静かだろうと思ったが、朝も晩も精霊が遊びにやってきて、ドッタンバッタンと大騒ぎで、物語を読み聞かせている間だけ行儀がいい。

「うん。それと薬草図鑑も借り・・うわっ、出たよ!」

 校舎を出た中庭では、カタスミ違いの王子さまディファストロがティタイムを楽しんでおり、私に気付いて手招きをする。

「待ってたよ、特別な子。王家御用達のケーキを召し上がれ」


「目を合わせてはダメだぞ、イリュージャ」

「心得た、黄色」

 コクっと頷き、図書館の鐘に向かって足早に立ち去ろうとしたのだが、

「僕をひとりぼっちにするのかい?寂しくて泣いちゃうからね」

 カタスミ違いの王子さまは、まるでメトロノームのように左右に体を揺らし、行く手を遮ってくる。


「黄色、噛んじゃダメ」

 牙からブスブスと黒煙をあげる黄色を止めて、大きく息を吸うと奥の手を使う。

「生徒と先生とお仕事中のみなさーん。王子様が王家御用達のケーキを差し入れですぅ」

 遠巻きに様子を窺っていた人々が我先にと押し寄せて、

「これで寂しくない。脱ひとりぼっち」

 カタスミ違いの王子さまは、あっという間にもみくちゃにされたのだった。


  ▽

  ▽


「あれ、ディファがご機嫌斜めだ」

 ディファストロを愛称で呼んだのは双子の兄ユージーンで、むすっと膨らんだ頬を指でつつく。

 ここは礎寮塔王族の専用室で、それぞれに個室が用意されているのに、ディファストロは一日の大半をユージーンの部屋で過ごしている。


「お茶会が宴会になって凄く怒られたんだ」

 押し合いへし合いのティタイムは校長先生の閉会宣言を以て終了したが、苦くて長い説教にもうグッタリだ。

「ディファ。銀の魔女は様子見の決まりだろう」

「様子を見ようにも、接点がまるでないんだもん」

 おやつのチョコレートケーキを食べ、まったく手付かずのユージーンの皿に眉をしかめる。


 ユージーンが最後に食べたのはイリュージャのビスケットで、それ以降、体は食べ物を受け付けようとしない。

「ド庶民のビスケットは食べたくせに」

「おかげで魔力が戻り、食べずとも生命を維持してる。それでファゲル令嬢の印象はどうだ」

「妹のアリシャちゃんは美人で優しくて、それにおしとやか」

「姉の銀の魔女とは似ていないと、ロレッツァが言ってたな」

「姉妹云々でなく『人』であるかの次元からして疑わしいね。イデア・イリュージャは、人のフリをするものだよ。そうでなきゃあんな妖魔は従わない」

 キュルゥと鳴くリヴァンを宥めるように抱きしめた


「ディファが女の子を褒めないなんて驚いた。角か牙でもあったのか」

「そうなんだ。角と牙と鍵爪があってね、鞭をビュンビュン振るってた」

「嘘はだめ」

「嘘じゃなくってね、ふふ、勘違いかな」

 そう勘違いさせる女の子だと笑った。


  ▽

  ▽


 トンガリ屋根のおうちには、どこより早く夜が訪れる。

 カタスミ違いの王子さまから逃げ果せたイリュージャは、今夜も図書館で借りた童話を精霊に読み聞かせ中だ。


「シンデレラのドレスは熟れたカボチャの馬車で黄色くなって、『ピンクならいいのに』とぶつぶつ言いました。すると精霊は『レッツピンク』と一回転、途端に黄色いドレスはピンクの牛柄になって、あまりのケバケバしさに王子様もお客様も目玉がチカチカ頭がグルグルし、舞踏会はお開きになりましたとさ。めでたしめでたし」


『すごーい』

『ばんざーい』

 精霊のお気に入りは精霊が活躍する話だ。

「・・この童話の教訓は何だろうね、黄色」

「苦労せずに手に入れたものはそれなりでしかない」

 世の中は世知辛いと、黄色は深く感銘を受けている。


「次のお話はウサギとカメのかけっこね。先行はウサギさん、おっーと、精霊の罠に掛かったぞ、これはラッキー、カメさんは危険を回避したあ!」

 何だか実況風の童話だが、精霊たちは手に汗握り目を輝かせる。

「カメさんゴール!カメの一族は精霊の罠で犠牲になったウサギさんを教訓とし、呪われたうさぎさんの絵本を発行したところ、瞬く間に大ブレイクしましたとさ。めでたしめでたし」


「続編は『ズッコケうさぎのピョンピョン像』なるものが建立され、オモシロオカシク語り継ぐ物語だ」

『カンドーなの』

『友情なの』

 むせび泣く精霊たちの勘所は謎である。


 この本は短編集で、読み聞かせにちょうど良い長さだが、目次に連なる題名は、

 ・ジャックと人喰い豆の木と三倍返しの精霊

 ・母を訪ねて三千年、精霊に化かされた少年

 ・火攻め水攻めは精霊におまかせよ

 平穏な暮らしを望むなら、精霊と関わらないことが裏テーマのようだ。


 黄色が耳を立てガラルーダが来たことを報せ、今日はここまでねと本を閉じると同時にノックが聞こえた。

「こんばんは、ガラルーダさん。今からお出かけですか?」

 質素な服装だが、絵画に描かれた大天使そっくりの金の巻き毛とサファイアの瞳じゃ、何を着たってゴージャスだ。

「ええ、帰りは明晩です。土産菓子のリクエストはありますか?」

「ありません。もっと言えばいりません。ド庶民のお菓子を狙うセレブがいるんだもん」

 あのカタスミ違いの王子さまが、庶民のおやつを奪いにくるのだと頬を膨らませる。


「しかも『これって食べ物?土くれみたい』なんて言うのよ」

 そして庶民規格に適合した菓子を、バラ細工の純金トングでかっさらう。

「断ったら畑の野菜をむしったの!お菓子はガラルーダさんのお金で買ったもので、私が損したのではないけど」

 もしそうなら黄色の出番だと鼻息が荒くなる。

『怒っちゃだめー』

『ワケアリなのー』

 水精霊が涙目で訴えるのは、デイファストロが水妖魔の契約者のためだ。


「お菓子に付与した魔力が目的でしょう?素材と機材があれば薬を創ります。困ってる人を見捨てると、神様から頼まれたとエセ牧師がゲンコツするから」

 ロレッツァはなんでもかんでも神様のせいにするのだ。

「薬草を買うなら、郊外にあるボロい教会で牧師のフリした農夫に頼んでください。少しの寄付で寄付金以上の薬草をタダにするのでお得です」

「うーん。気が咎めるなあ」

 あっさり騙される旧友が目に浮かび、ガラルーダは心配になった。


  ▽


  ▽


 農家の朝は早い。しかしここは教会であって農家ではない。

 しかし教会の朝は農家よりは遅いが他より早く、どうあっても起きるしかないと布団を跳ねのけたロレッツァであったが、

「びっくしゅん、寒っ!」

 ブルルと震えて再び布団を手にし、それが布団でなくソファーカバーだと気付いた。夜更けに湯を浴びたところまで記憶にあるが、どうしたことか床で眠っており、凍った川で一心不乱に鮭を獲る夢を見ていた気がする。


 今朝は日曜教会で一週間ぶりの牧師服に着替えると、鍋で芋を柔らかく煮て、牛乳と塩とハチミツで味を整えると盆に置いた。

「温かいぞ。腹いっぱい食べような」

 話しかけたのは板に横たえた痩せた子供で、すでに命が尽きた骸だ。


「牧師さま、こんな服でいいかね」

 古い子供の服を手にした老人が窓から顔を出す。

「有難い。アッチに逝くのにこの服じゃ可哀そうでな」

 色褪せた子供服に、老人は目を伏せ骸に手を合わした。


 魔力を持って生まれたばかりに寄る辺のない子供を、ロレッツァは度々連れ帰る。どの子も痩せて生気を失くし、保護施設に引き取られることもあれば、しばらくここに留まり世話をすることもあるが、連れて来るのは生きてる子より骸が多く、神に魂を委ねるために果樹園の先にある墓に埋葬するのだ。


 赴任して十年が経ったが、この牧師は自分の過去を語らない。実直に畑を耕し家畜を飼い、人の助けになることを喜んで、何よりも子供を愛おしむ。それは死んだ子供でも分け隔てなく、老人はその度に彼が心に負った深い傷を垣間見るように思う。

「朝の祈りに遅れそうだから、小噺で繋いでおいてくれるか」

「ネタなら仕込んでおりますぞ、抱腹絶倒のやつですな」

 詮索しない老人に感謝して、子供を荷台に乗せると一人で葬送の道をいくのだった。


「昔、果樹園の先には何があるんだってイリュージャが駆け出してな」

 ロレッツァは誰ともなく話しだす。

「行くなと腕を掴んだらずっこけて、でっかいタンコブができた」

 イリュージャが6歳になったばかりのことで、泣くかと思えばスクッと立ち上がり、力任せに脛を蹴られて絶叫した。


 骸を乗せた荷台が揺れないように平たい道を選んでゆっくりと進む。

 果樹園の先にあるのは名のない墓地で、次の生への扉だ。

「神様に会ったら生まれ変わるなら魔力なんぞ要らないと言うんだぞ。それでダメならすぐに俺のところに来い」


 魔法使いの出生は教会に届けるのが決まりだが、その判断は一般人には難しい。臨終の際に丸い玉を吐きだすのは大気に魔力を返すためで、そのときになってようやく教会に届けられ、保護に向かったとて手遅れであることがほとんどだ。

「生まれることを恐れるな」

 墓地で骸を抱き上げ、温もりのない背中を擦って来世の幸を祈る。


 晴れた日ならばずっと向こうまで見送ることが出来るから、ロレッツァは眩しい陽が差す日に葬送すると決めている。


 ▽


「俺、働き過ぎだよね」

 マッチョな牧師様は鼻の頭を掻いて呟いた。

 礼拝の真っ最中に神の慈悲を説きながら、ぐぅぐぅ寝息を立てたのは働き過ぎだからで、ハッと目を覚ますと、

「なに、どっちよ?」

 キョロキョロと辺りを見回し、牧師さまが迷える仔羊だと子供に指を差された。


 見てないふりをしてくれる町の皆さんには感謝しかなく、聖書を胸ポケットから取り出そうとしたら、

「あれ?聖書忘れた」

 またもや鼻の頭を掻けば、前列の女の子が貸してあげると差し出して、三度頭を下げるダメカリスマ牧師だ。


 俺は働き過ぎに違いない。ユージーンの入学は一悶着どころか百悶着もあり、しかし王位継承権を守るためには学校入学が必須、どうにか体裁を整えたものの、いつボロが出るやもしれず戦々恐々。


 心地よいオルガンの演奏で、讃美歌を歌うつもりがイビキしか出てこず、

「神様ごめんなさい。俺ね、三日寝てないのよ」

 黄色い妖魔を追ったあの日から三日だ。まだ邂逅の時でないイリュージャとユージーンが一緒にいたことに目玉が落ちるかと思った。

 精霊の薬が手に入ったのは怪我の巧妙で、しかしこの一件が表沙汰になることはこれまでの苦労を水の泡にすることで、夜通し治癒魔法を施して一睡もしないまま入学式の警備についた。


 帰宅の途中で校長に呼び止められ、黄色い妖魔の対策を講じていたら空が白みだし、牛のお産がはじまるとガラルーダの愛馬を借りたが、このお馬様の気位は山ほども高く、お前なんか乗せたくないとばかりの暴れっぷりに、ロレッツァの腰はピキッと音を立てたのだった。

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銀色の魔女 @kamonoha

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