6 生物学の先生はシャラナ教授です
「牧師さま、お口が開きっぱなしよ?」
なんとも締まらない日曜教会を終え、ぐったり牧師を心配する町の子供達がロレッツァの家を訪ねれば、案の定口をポカンとあけてぼっーとしていた。
「すごく、眠い」
「牛が難産だったから?」
「馬のお産もあったんだよね?」
暴れ馬で痛めた腰をさすりながら牛舎にいけば、牛ばかりか馬までも産気づき、軒下では猫まで6匹の子を産む出産ラッシュだ。
「違うよ、薬草畑を荒らすもぐら退治のせいだろ?」
数日畑を留守にすればモグラが縦横無尽に穴を掘っており、男衆総出で駆除したのはそのすぐ後だ。
「父さんたちが手伝ってくれて助かった」
モグラは根絶したが薬草の納期に余裕がなく、肥料の祝福をアメアラレと降らして魔力はスッカラカン、腰痛を感じる感覚まで失ったのは嬉しい誤算である。
家に入るより早く鳥が卵を産まないとご近所さんが駆け込んで、ニワトリを励ますうちに昼になり、寝るつもりが最新式の薬剤散布機が届いて目が冴えて、使い方の説明で木に登って腰痛再発、ペンギン歩きと笑われた。
散布しまくるうちに夜がきて、療養中のおじいさんが亡くなった報せで駆けつけたが、嫁姑戦争に巻き込まれてタジタジとなり、空っぽの腹をさすり畑のニンジンを齧っていたところ、役所から魔力を持つ子供の保護命令が届いて直ちに出動朝帰り。
「牧師様の教会は人がいないもんね」
「そうなんだ。しかしウチほど立派な農園は他にはないぞ」
寄付金では運営が成り立たず、拡大する農地改革は町を活気付け、住民との関係も良好だ。
「お嫁さんを貰えばいいのに」
「簡単に言うなよ」
「知ってるぞ!牧師さまは隠し子がいるんだろう」
「ばーか、いねーよ」
プッと吹き出すのは訪ねて来たガラルーダで、質素な服がゴージャス(?)だ。
「鍛錬の時間か?」
「遊びの時間だよ、ガラルーダが鬼ね」
「よし、手加減はしない。子供らよ、満身創痍の覚悟で逃げるがいい」
ガラルーダという男は遊びであろうとも真剣で、夕暮れ時には隊長と崇められ、本日の任務として食後三分間の歯磨きを命じて解散となる。
「ロレッツァ、城に戻れ。さすがに私の手に余る」
土産だと酒の封を切り、コップになみなみと注いで渡した。
「狩る専門のイリュージャが妖魔を得るとは俺だって想定外だよ。しかも黄色は得体がしれない妖魔だ」
それでも城に戻るといわないロレッツァに、ガラルーダは眉を顰めた。
「あの子を10年守ったお前が、黄色くんを看過するのは銀を以て手なずけるためか」
まあなとロレッツァは地の大剣に目を遣って、
「俺が死ぬことを諦めた日から、もう10年が経ったのか」
そう呟いて北の方角に頭を垂れた。
▽
▽
『三日三晩たぎらせる鉄の大釜が、目もくらむ眩い光を放って魔女の秘薬が完成しましたとさ』
イリュージャは絵本を閉じてウームと唸る。
「薬の量は小瓶分。体より大きい釜底からこれっぽちを掬うには、命綱を頼りに頭から突っ込むしかない」
「危険極まりない。マントも脚立も大釜も禁止だぞ」
魔法薬を創る機材を運び込むガラルーダは、秘薬への期待感が薄れそうでコホンと咳ばらいをして包みをひろげた。
「郊外の教会で仕入れた薬草です」
「朝採れ新鮮薬草ね。しかも下拵えバッチリ」
それもそのはず、イリュージャが魔法薬を創る材料だとロレッツァに話したところ、トゲがあるから抜いておこう、茎が固いから潰しておこう、汁が飛ぶから蒸留しておこうと甲斐甲斐しく、予定よりずっと遅くなったのだ。
準備は万端とイリュージャは腕まくりをすると、まずはゴリゴリと乳鉢ですり潰して、スリスリになった粉剤を天秤で量った。新品のランプは芯にオイルが浸透しておらず、今回は火精霊の力を借りる。
「調合機材は使いこむほど馴染みがいいの」
ロレッツァの年季が入った調合道具は馴染んで使いやすく、私もそういう道具を揃えたいが、機材は値段が高いので悩ましいところだ。
沸騰したら材料を放り込んで上澄みをすくう。この薬草は冬の性質を持っていて、煮詰めるほど温度をグンと下げ、黄色はご機嫌に尾を振った。
「これは良い。我は暑いのは苦手だ」
「夏の調合にはこの薬草がいいのよね」
魔女の秘薬は魔力を固着できる自然素材なら何だって構わないのだが、教会が管理する薬草は、高価なだけあり酸化防止に優れて効能が長く持続する。
「地の精霊さんに手伝ってもらう」
ビーカーに銀の雫を一滴注ぐと、波紋が広がって波が立った。
「大地の恵み 地の安寧」
『大地の恵み 地の安寧』
イリュージャに続く地精霊の詠唱で大気は一瞬だけ霞み、波立つ波紋に魔力が固着する。
「完成だね」
『大成功なのぉ!』
『完全無欠なのぉ』
地の精霊ばかりか火と風の精霊まで、ばんざーいと万歳三唱が始まった。
『お祝いする?花火する?』
『ボーンボッカン、やっちゃう?』
ドーンドッカンでなく、ボーンボッカンとは不穏な響きではある。
「完成したのですか?」
ガラルーダが呆気に取られているのは、成功率の低い薬を造作なく創ったからで、これが銀の一族が大気に近いとされる所以だ。
「この薬は、空を飛ぶ奇跡も笑い転げるような副作用もないちょうど」
秘薬に奇跡を求めれば、相応の副反応があるものだ。
「地の祝福を得るなら風雨に耐えた岩で安眠香を焚くといい。風の精霊と水の精霊に、ミルクとクッキーね」
忘れたらコワイのと、『風精霊と共に去りぬ火精霊と水精霊と地精霊でしっちゃかめっちゃか』という本のタイトルを見せた。
主人公はどちらがよりモテるか競う精霊の愛し仔で、国を二分化しての精霊大戦争にお年頃の男性は戦場に行き、恋する相手がいないという大悲恋の物語である。
「一生を海の孤島で平穏無事に暮らしましたとさ。そんな話はないものね」
「うーん。本好きに聞いてはみるけど、面白さとしてはいまひとつかな」
「本にならない平凡な暮らしが一番ってことよね」
小瓶に詰めた魔女の秘薬をガラルーダは恭しく受け取ると、ユージーンがいる礎寮塔へ急いだ。
▽
▽
秘薬の行方をイリュージャが知る由はないが、カタスミ違いの王子さまが姿を顕さないことで穏やかな学校生活だ。
「一時間目は生物学の『生き物』の章ね」
生き物の定義は曖昧で、区分については未だ論争が絶えない。
黄色によれば総じて生き物は種の存続を本能とするが、妖魔は魔石が生命の源で、命を繋ぐ本能がないから使役の契約を交わし利を得るという。
「たかだか遊戯のために使役の契約を結ぶの?」
「妖魔には寿命が無いから、契約者の死を以て使役が終了する契約だな」
そうして対価の魔力を受け取るが、労力に対して妖魔の取り分が少ないとイリュージャは疑問を口にした。黄色は考えを巡らそうとしたのだが、その途端に理が介入し、疑問が胡散霧消するとはおかしなことである。
▽
生物学のシャラナ先生は、開口一番から変な人だった。
「皆さんは私の著書108巻を暗記しましたね?ハイ手をあげて。おやいない、それじゃテキトーでもバレません」
暗記してこないのが悪いと思わせる説得力があり、しかし108巻は多すぎだ。
「建国史によれば神は悪を一塊にして魔物を創造し、人に精霊という武器を与えたそうですが、精霊が人のいうことなど歯牙にも掛けぬのはご存じの通り」
建国史を一蹴したシャラナ先生は、授業開始のチャイムから、もう6本目の眼鏡に替えている。
「多種多様な生き物を見分けるコツを学びます。牛は牧場にいるから家畜であって獣でない。ではネコは?ネコはお外をテクテク歩く。これは野生の獣と同じだが、獣でないのはなーぜだ。ハイどうぞ」
ネコのような使役魔を肩に乗せた生徒はしどろもどろで答えた。
「獣は人を襲うから・・?」
「ネコだってネズミを狩りますよ?ネズミさんの学校で、ネコは獣に分類されるのでしょうか?されるかも?」
チュウチュウ鳴き真似をしながら教壇を三往復し、おっと授業中でしたねとオデコをペチンと叩く。
「生き物とはそういうものです。これ、試験に出ますよ」
そういうものと、まっさらな教科書に書き込んだ。
「獣と魔物の見分け方は簡単です。獣は血が通って温かいですが魔物はヒンヤリしております。ですが触れた途端にガブリですから、三十六計逃げるに如ずですぞ」
ウットリと手の平を見つめているのはなぜだろう。
「対処法はそれぞれ異なります。メモを取っていますか」
生徒はハッと我に返るとノートを開き、シャラナ先生は教室をゆっくりと見回して黄色に視線を止めるとニタリと笑った。
「今年は使役魔を持つ生徒が多いようで」
使役魔を所持するためには生物学が必須科目で、窓で昼寝中のケットシーを指差した。
「ネコさんに似たケットシーだがイタチに近い種です。気まぐれで毎年騒ぎを起こし負傷者が出ておりますよ」
契約者の男子生徒の手は引っ掻き傷だらけで、シャラナ先生は保健室に行くようにと頭を振る。
「パンシーがいますね。泣き叫んで授業を妨害したら退学です」
刺激しないよう三歩下がり、泣く子にゃ敵わないと言った。
「そしてそして、何ということでしょう!」
またもや眼鏡を替えたシャラナ先生がいそいそとこちらにやって来る。
入室時からキラキラと目を輝かせ黄色を見てたから覚悟はあったが、注目されるのは苦手なのだ。
「ふーむ。もはや正体不明です」
首を伸ばす生徒から黄色を隠せば、シャラナ先生はこれは何でしょうねと私に訊ねる。
「私と出会った時から黄色は黄色くて、きっとそういう生き物です」
「パーフェクト!!」
シャラナ先生が拍手をして、呆気に取られた生徒たちにも強要する。
「イデア・イリュージャは生き物の探求者ですね。生き物は学ぶものでなく、観察、鑑賞、そしてゾクゾクするものですぞっ」
「イリュージャ、得意科目ができたな」
割れるような拍手の中、イリュージャの背をイヤーな汗が流れ落ちた。
▽
▽
礎寮塔は王城の次に高くどこより早く朝陽が差しこむ場所だが、ユージーンの部屋はディファストロが展開した滝の結界に覆われ太陽の日差しを阻んでいる。
「ガラルーダ!ジーンに近づくな。魔女の秘薬なんて嘘で、聖なる毒薬か魔物を淘汰する聖水に決まってる!」
ディファストロが滝の結界を構築してから丸一日。結界の維持に大量の魔力を消費して、視野は狭まり手が付けられない状態だ。
「おお、凄い滝だな。涼しいじゃないか」
報せを受けてやって来たロレッツァは滝に感嘆し、疲弊した側近に交代するからと退出させる。
「薬瓶から魔力がダダ洩れなんだよ。そりゃディファさまも警戒するって」
ガラルーダから受け取った小瓶の蓋を取り、肩に乗る地精霊にどうだと問えばクンクンと鼻を鳴らした。
『うまそうだ』
「らしいです、ディファさま。あの子は下拵えが雑だが、そこは俺がやったんで安心安全」
つるんとした喉越しだよなあと同意を求めれば、これには地精霊も胡散臭い表情だ。
「嘘だ!僕がいればジーンはもういらないんだろう」
「・・ディファ、うるさい」
ユージーンは鉛のような体から声を絞り出す。
「薬の毒見は俺とガラルーダで、」
安心させるための提案だが、ディファストロは声を荒げて遮った。
「筋肉ダルマの毒見がアテになるもんかっ」
これはまっとうな意見だとロレッツァが口を閉じたのは、野営で毒キノコを食べたことがあるが、二人とも笑い転げて腹筋が筋肉痛になっただけだと思い出したからである。
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