31 ノルム王が愛した魔女

 ノルム王に謁見を許されたのは私とユージーンの二人で、それぞれが別の部屋で王を待っている。異様なのは10人もの大人が膝をつく光景で、監視にしろ警護にしろ息が詰まり、豪奢な服を纏うノルム王の登場に、やっと来たと舌打ちをして黄色に叱られた。


「ノルムは銀の魔女を歓迎せねばならん」

 歓迎したくはないとあからさまだが、私の目的はそこではない。

「ノルムの王さま、こんにちは」

「こんにちは、銀の魔女」

 ノルム王は白灰色の髪と瞳で、ガラルーダのような立派な体格の人だ。


「銀の仔を狩るのは、王さまがその色を持っていないから?」

「おや、銀の魔女は私を銀攫いと思っているのかな」

 王の隣にいた魔導士が私の瞳を覗きこみ、牽制する黄色を平気よと宥める。

「この魔女はすでに崩壊しております」

「ほう。それでは生き永らえる器を用意しよう」

 これは驚きだ、私は終わるのが定めだが、さすがは銀の生産地、生かす方法があるという。


「なんて、信じるはずないわよ」

「ハハハ!騙されてはくれんか。しかし人の知恵を以て永らえるのは可能だぞ」

「その対価に何を望むの?」

「要らぬ。我が治世に始祖の力は必要ない。人の驕りと笑うかね?」

 ノルム王は不躾にイリュージャをねめつけた。


「『ひとつ』である銀が、選べない理由を王さまは知ってますか?」

「強大な力の決定権を他者に委ね、罪なき神でいるためだ」

 視点を変えればそれも一理だと腑に落とす。

「銀の意志は大気の決定で直ちに実行されるからよ。だから眷属の妖魔に選択を委ねたのに、人は妖魔を使役し決定権を奪った」

「万事に恵まれた銀が、人の犠牲とはいいザマだ」

 そう言って剣を抜き、それを合図に武装した兵がイリュージャを取り囲んだ。


「貴女を招いたのはエボルブルス最強の人デナシ宰相をからかうためだ。金の鎖で繋いでやろうと返答してやった」

「うわあ、怖いもの知らずね」

 今にもロケット目玉が飛びこんできかねないと、ノルム王から距離を取る。

「人はすでに銀のない世界を選択し、やがてガシャルは消える。それでも銀を迫害する理由は何?」

 ガシャルは銀が還る場所で、還る場所を失くせば消滅だ。


「気が短いのだろうよ」

 黄色の警告が耳を掠めると同時に、魔導士が結界を構築し力を封印した。

「ノルムは抗魔法研究が盛んだ。ガーゴイルといえども突破はできん」

「その研究は摂理の成り立ちが抜けている」

 摂理という基盤がもつルールは人のルールと異なるが、ロレッツァほどの親和力でないと、これを窺うのは難しく言葉で説明を試みる。

「影は大気の領域でそこにある黄色を縛れば領域侵犯。黄色は選択できる」


「では理を侵した『人』へ、制裁を選択しよう」

 領域を侵された大気は応じて結界を破裂させ、牙を剥くガーゴイルに攻撃魔法を放ったが、大気の承認を前にかき消された。

「おいでおいで、ガシャルに還れぬ憐れな仔」

 イリュージャが手招きをすれば、風が叫び、樹木と雪と道が捻じ曲がり、地を貫く巨大な鎖が地下にある厄災に錨を掛けた。


「封印した古代獣を蘇らせるつもりかっ!」

 ノルム城は古代獣を封印する要塞であり、禁忌を犯すイリュージャに王は剣を振りかざす。

「その禁忌は人のルール」

 イリュージャが再び手招きすれば、捻じ曲がった路から来るガシャルに還れぬ銀の仔が王と兵士を壁に叩きつけ、鍛えられた使役の妖魔も、轟く古代獣の咆哮に怯えて統制を失った。


「ちっ。おいチビッ子、一騎討ちで終いにしないか?王の命を懸けてやる」

 簒奪者らしい狂気を纏うノルム王が剣を突き付ける。

「しない。どうせ街ごと消すの。人を『ふたつ』に変えて、ガシャルに還れぬ憐れな仔にあげる」

 ガシャルに還ろうと精霊が輪になって、ノルム王は剣を投げ出し膝を折った。

「企てたのは私だ、民に責はない!」


「・・・。ワッハハ?」

「ふむ。我の護る者は困るとひとまず笑う」

 黄色が珊瑚の角で脇腹を突いた。

「イテっ!人が妖魔になるなんて信じる?しかも王さまがっ!」

 指を差されたノルム王は言葉に詰まり、古代獣の雄叫びが城を揺らす。


「あれどうしようか、黄色」

「その考えなしは育て親似だ」

 黄色は体躯を反らすと咆哮で床をぶち抜いて、古代獣は石化し地に沈んでいく。

「ワオ!スゴイけどマズい」

 風穴が開いた皇城はゴゴゴと音を響かせ、

「逃げろ、崩れるぞっ!」

 ノルム城のおおよそ半分を倒壊させたのである。


  ▽


 良い行いは褒められるし、悪い行いは叱られる。

 城を倒壊させた私と黄色は牢屋が妥当だが、贅を凝らした賓客用のお部屋に案内されて逆に心地が悪い。

 顛末を聞いたなっちゃんはカンカンで、もう一時間も説教が続いている。

「使役魔の力量を把握し、調整をするのは契約者の役目だぞ」

「イリュージャの責ではない。あの者が『ひとつ』『ふたつ』を侮辱したのだ」

「その結果、黄色は契約者を窮地に立たせた」

 私を庇った黄色は返り討ちに遭い、すごすご引き下がる。


 サラのカタリ鳥がピューと声をあげて旋回するのは牽制で、責任の在処を追求しているというが、いつこちらに突進するかと戦々恐々だ。

「ノルムの王さまはイカレた王さま。ジーンは平気かな」

 サラの指示で交渉役はユージーン、マヌケ娘は寝ていろと厳命されている。

「いざとなったらちゃぶ台をひっくり返せと、マーナガルムに指示してある」

「我はそれを実行したのだ」

「ちゃぶ台と歴史的建造物を一緒にするな」

 タクンはもじもじと手を擦り合わせ、蚊の鳴く声で言った。

「アタシもゲドを窮地に立たせた。とても悪いこと」


 なっちゃんはその姿に肩をすくめると頭を掻く。

「銀を恨む俺が道理を説くのはおかしい」

 妖魔に銀は絶対だもんなと反省すれば、イリュージャは首を傾げる。

「世界の主軸は人、人が銀の無い世界を望めばそれが世の在り方」

 己の消滅を他人事のように分析し、こんなふうに感情が鈍いのは終わるためなのかなと呟いた。


  ▽


 ノルム王の本質は、王を弑し大国玉座の簒奪者だ。

 いわば世界一の危険人物だが、その彼が天敵と公言するのがサラで、罵詈雑言で鳴くカタリ鳥を遣わして、十分に苛立たせたところで要求を伝えるタチの悪さである。

「弁償どころか慰謝料を寄こせだと。銀の魔女はノルムのものであり、他所に指図される筋合いはない」

 サラの神経が海峡より深く太いのは周知の事実といえ、交渉を引き継ぐユージーンは腹に力をこめ過ぎて腹筋が痛い。


「イデア・イリュージャ・ファゲルは、我が国の侯爵家に連なる者です」

「では聞こう。城を崩壊したのが他国の貴族であれば、和平契約によって制裁が発動したはずだ。ごらんの通り城は散々の有り様だが、道理による制裁がない理由をどう説明する?」

 鼻で笑うノルム王に、ユージーンは表情を崩さない。

「我が国の民であるが、銀の魔力がノルム発祥のものだからです」

「人を内と外で分けるとは、ウィラサラサ卿の入れ知恵か。金の環で縛りながら崇め奉り、貴国はあれの犠牲のうえに成り立っている」

 逝く魂を留める金の環が脳裏を掠め、動揺の隙を突こうとノルム王が身を乗り出すと同時に、鏡がぐにゃりと歪んで剣を抜いた。


「ねえ、そのお話しは後にして」

 歪んだ鏡から顔を出すのはイリュージャで、よいしょと柵を跨ぐように鏡の縁を越えた。

「さすがお城の鏡は滑らかです」

 鏡を褒めたら、これはこれはとノルム王は笑った。

 いくら銀の魔女といえ、百戦錬磨の王が容易に命を絶たれはしないと余裕の笑いだ。


「これは奇襲です!」

 びしっと指を差せば、ノルム王とイリュージャがいる空間が切り取られ、窓も扉もユージーンまでも消える。

「奇襲を宣言する奴があるか。まったくお里が知れる」

「ええ。そのお里へ招待してくださいな」

 そう言うと指をノルム王の頭に押し込んで、強引に開示した記憶へ堕ちていった。


  ▽


「チビッ子、これは和平を揺るがす問題だぞ」

「銀の魔女はノルムのものと言質取りました、ほら」

 摂理がカチリと音を立てるのは、道理を書き込む音だという。

 イリュージャはノルム王の脳ミソを鍋のように混ぜ、チューブのように絞り、濡れ布巾のようにパンパンとはたいて開示した記憶にいるのだが、無遠慮で無神経さが母親そっくりだと、王はアオスジを立てている。


「ずいぶん懐かしい場所だな」

 そこは少年の自分と、共に学んだ級友が校庭でふざけている光景だ。

「領地の後継者はここで学び親交を深める。私は辺境伯の息子でね、あなたの母親は秘術の一族ポムポムだった。さて夢から醒めるためには、母親を探すのだろう」

「そーなんですぅ、ちっ、」

「・・母親は品だけはあったぞ」

「育ての親がこんなのでした。あの白い服の女性が本物の銀の魔女ですね」


 そこには銀の髪と瞳の少女がいて、小突き合う男の子にハラハラしているが、少年の王は気付かぬふりをして、悪ふざけにいっそう力が入った。

「あらまあ、甘酸っぱい」

「黙れ、チビ」


 だが銀の魔女を囲む人に紺青色はおらず、ノルム王はバルコニーで本を読む人を指差す。

「あなたの母親は聡明で、『ひとつ』に頼らぬ国の在り方を議論する同士だった。私は銀の魔女に自由をあげたかったのだよ」

「バラ色の青春をあげたかった?」

「・・あなたの育て親はサラだろう?」

「サラ先生の子分です」

 サラとロレッツァの関係は、部下や手先より子分のほうがしっくりする。

「まあいい。いくら聡明であろうが彼女はエントで、一生を里に捧げる運命だった」

 知識は貪欲で、古今東西の書籍と禁術にも精通していたという。


「帰還の前夜。エントは私に婚姻を求めた。里外の婚姻はポムポムに戻らない唯一の方法だが、私の心は銀の魔女にあり提案を断ったのだ」

 呼び起された記憶は、空に細い月、吹きすさぶ寒風、紺青の髪の女の声。


『銀の無い世界を約束したではないか。私なら銀の魔女を世界と隔絶できる』

 違うと若きノルム王も声を荒げる。

『私の望みは彼女の消滅でなく自由だ』


「交渉は決裂しエントは発った。そして私の愛する銀の魔女も姿を消したのだよ」

 ノルム王は次の記憶へ足を進め、思い出の中で微笑む銀色の少女に、愛していますと呟いた。


 記憶は三年後、革命の指導者になったノルム王の前に跪く母親がいる。

『私を愛しなさい』

 狂気を纏ったエントにあの頃の面影はない。

 銀を消す秘術があると瞳を輝かせ、必要ないと正して牢につないだ。

「長い投獄の末、ようやく銀の魔女を返すと言った」

 新月の晩、王は愛する人を抱きしめ、銀の瞳に口付けを・・

「それは私のお母さんだったのね」

「ああそうだ。銀の魔女の魔力と命を宿したから私を愛せと言った」


 ノルム王の殺気はすざまじく、怨みの深さが伝わる。

「銀の魔女は祝福でも呪いでもある。いくら憎もうと革命の決起を前に堪えるしかなく、魔力を欲するエボルブルスへ永久追放したのだ」

「だけど私はノルムで産まれ、後に父親の元に送られたのよ」

「ノルムで誕生せねばこの地に宿る精霊の加護はないからな。危険を顧みず戻らねばならぬ企てがあったのだろう」 

「企てねえ。母親の目的は銀の消滅ではなく、」

「銀の魔女になってエントである責任を放棄したのだよ」


 それも正解だ。しかし真の目的の序章に過ぎない。

「神託に少し手を加えれば、銀の仔狩りに打ってつけの名分となった」

 神託と崇めながら渡りに船と利用するとは人らしいが、銀の恩恵で成り立つノルムが銀を失えば、窮地に陥る時は遠くない。昨今の食糧事情がまさしくそれで、恩恵に変わる在り方を創れたときに、『人』は世界の主軸になるのだろう。


 記憶から醒めたノルム王は酷い目にあったと背伸びをし、イリュージャはしばらく考えこんで感想を述べた。

「赤面モノの青春でした」

「・・やはりあなたの育て親はサラだろう」

「もしもサラ先生が育て親だったら、今頃腹に鮭を詰めて海苔で巻かれてますって」

 事情は知らんがそうかもしれないと、初めて王さまと意見が一致する。


「私はサラと面識があってね。革命時に天才軍師としてノルムに招いたが、」

「あらまあ、ご愁傷さまです」

 事情を察したイリュージャはお悔やみを申し上げ、ノルム王は今もご愁傷さまだと、けたたましく鳴くカタリ鳥に溜息をついた。

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