30 エントの犯した罪
エントとはポムポムの里長を差す敬称で、イデアの名で生を受けた母親は幼くしてエントになり、一族を背負うのが定めだった。
「だけど母親はそうしなかった」
「ノルムで領主になる者は、皇城で学んで社交を行う義務があります。私たちも慣例に従い、あの子を首都ナターシャへと送り出しました」
しかし予定の期間が過ぎても、母親がポムポムに戻ることはなかったという。
「しばらくして、学友だった生粋の銀失踪の容疑者だと知ったのです」
「生粋?それは髪と瞳に銀を持つ人という意味で合ってる?」
ファームではそういう人を完全な銀と呼んだが、生粋とはより強い響きだ。
「銀がその身にあるものは大気との親和力に長けていますが、魂まで銀の生粋は、大気そのもので神と同義です」
「つまり母親は神様をどうにかしちゃったの?うわわ、よく一族が無事で・・ああ、秘術の担い手が滅んで困るのは国のほうね」
紺青の花畑が一族の命を繋いだのだ。
「数年後の真夜中、銀の髪と瞳をしたあの子がここにやって来た」
郷愁の念を哀れに思った古きエントは、空が白むまでの時を見ぬふりしたと告白する。
「それが過ちでした。あの子の目的はエントが伝承する『秘術』だった」
「秘術を得たのは銀の魔女になった後?ふぅん・・」
黄色が一人で納得するなと、珊瑚の角で脇腹を突ついた。
「イテッ。デキる使役魔とは思えない」
使役魔適正は相変わらずのゼロだ。
「偽物だけど本物、本物だけど偽物よ。前者がなっちゃん。ナクラ先生と見た目は異なるけど、本人の魔力で創った器に定着したから殆ど自分」
殆ど自分だから食べて寝て生命を維持できている。
「後者は母親。自分を空っぽにして他者の銀の核を定着させた。見た目は自分だけど腐敗を留め形を保つのは他者の核で、構成する殆どが自分ではない」
自分でないから突如夜道で踊り出してもおかしくないと、おかしな例えをした。
「では秘術を盗んだのは完全な乗っ取りのためか?しかし、」
黄色が困惑するのも最もで、それならば尚のこと、道理に抗える生粋の銀のイリュージャの体に己の魂を移すのが確実だ。
「事件はそのすぐ後に起こりました」
古きエントの声が震える。
「生粋の銀の魔女がやって来たのです。私を返せと花を枯らし、若きエントに手をかけました」
若きエントとは母親の代理に立った修行中の里長候補で、銀の魔女に殺された。里がかろうじて無事だったのは、それが銀の魔女の思念に過ぎなかったからで、魔力を生み出す核を奪われ力が枯渇していたためだ。
「核だけを奪った。つまり『ひとつ』になるのが目的ではなかったのね・・」
「伝承ではポムポムに花の種を与えたのは、『ひとつ』だとあります。しかし花を育て、秘匿されるまでに発展させたことが一族の矜持。私たちは森の民であることを誇り、『ひとつ』になりたいとは思いません」
古きエントの眼差しは真摯で、それが真実だと伝わってくる。
「その秘匿の技で、私をもうちょっとだけ大きくできませんか?」
「ごめんなさい、生を終えた体は癒せないの」
期待は儚く崩れ、舌打ちした私を黄色が笑った。
「手が届かない棚に物を置かないことだ」
「後ちょっとで四段目に手が届きそうなんだよ」
プゥとむくれた頬をプシュッとガス抜きする黄色い妖魔は、異質で異様でガーゴイルの面影はもはやない。
「代わりに汚染を解き、正しきガーゴイルにいたしましょう」
古きエントの提案に、黄色はイリュージャの言葉を待った。
「ちょっと考えてみたんだけど、ガーゴイルは黒みを帯びた緑色なんでしょう。略して黒帯って名前はどう?」
「由来の説明が面倒だ。我はこのままがよい」
古きエントは、幸せな『ふたつ』だと微笑んだ。
▽
ポムポム滞在三日目。
小さいエントはすっかりユージーンに懐き、半時も留守にすると機嫌が悪い。
「銀の姉さま、朝から昼寝なんてだらしがないです」
「ふわぁ。ジーンなら古きエントと話を・・ああ、戻ったみたい」
タペストリーが揺れてユージーンが花畑から戻ると、小さいエントは嬉しそうに腕にしがみつく。
「兄さま、お帰りなさい」
「ただいま、エント」
空に浮かぶうっすらとした満月を見たが、北の地で獣化することはなかった。
獣化はユージーンの身の内にある妖魔が、ガシャルに還ろうとするからで、彼の獣化は呪いではなくて、彼自身のあるべき姿の証明である。
「この旅はジーンのもので、旅立つタイミングはジーンが決める」
イリュージャはそう告げて、朝から昼寝するほど暇を持て余しているのだ。
「古きエントと話は終わったの?」
「うん。明日、ここを発とうと思う」
「いやっ!」
小さいエントが首を振って腕を掴んだ。
「兄さまはセナポムポムですから、ずっとずっとエントと一緒にいるのです」
「うーん、それじゃ後一日だけ・・」
「ジーンっ!」
イリュージャは急いで反対の腕を引き、エントも負けじとしがみつく。
この旅はユージーンのものとはいえ、隔離された里の暮らしは退屈で、外の世界を知った母親もそうだったのだろうかと頭をよぎるのだ。
「はいはい、右はエント、左はイリュージャ。ケンカをしない」
幼い時はこんなふうにロレッツァを取り合うものだった。
『ケンカしない。右はジーンさま、左はディファさまのです。どっちが早いか競争ですよ、ブーンっ!』
二人を両方の腕に抱えたロレッツァは、廊下を走って垣根を越えて、噴水をグルグル回ると、疲れるまで全力で遊んでくれた。
「出発は明日の午後にして、それまでエントといっぱい遊ぼう」
右のエントは嬉しそうに微笑み、左のイリュージャは希薄に微笑む。
時折見せるその笑みは絵のようで、ユージーンを不安にさせるのだ。
▽
▽
ロレッツァ、目を醒ましておくれ・・・
眠るロレッツァにサラは大粒の涙を溢す。これが延命の眠りとは百も承知だが、すでに生きてはいない事実が変わるものではない。
「守れなかったね、私は守れなかった」
嗚咽をあげたところで過去には戻れず、喉と胸を掻きむしってもがき苦しむ。
ロレッツァの唇がピクリと動いて細く煙があがり、サラは反射的に逝く魂を留める禁呪をほとごうとした。
『サラ先生、こんばんは』
その呪文より早く、煌めく煙はイリュージャを象って、キッと眉を吊り上げると怒鳴り声をあげる。
「マヌケ娘、千里を飛べばロレッツァの魔力を減らす!」
『お願いを聞いてくれたら帰ります』
「パパッと話せ!ロレッツァの魔力を一滴も喰うんじゃないよっ」
『ワワワッ、あるとこにいて、ある人が、あるツテで、ある人に会えって』
「さてはアルアル蜂の呪いをかけにきたのだねっ」
アルアル蜂の羽音はアルアルーで、肯定的に捉えれば実に気分が良いが、時と場合によってはバカにされた気がする大型蜂だ。この蜂のローヤルゼリーは血圧を抑える効果があって、キレやすいサラご愛用の逸品でもある。
『平気。私、花が無いから蜂も寄り付かない』
「壁の花だ」
『うまいっ!』
「ああっ、さっさと用件をお話しっ」
『ハイッ!ここはポムポム、里長言った、宰相の伝手仕え、ノルム王会え』
なぜ、電報風だ・・?
『あ、ロレッツァが起きる。ではよろしくお願いします』
「お待ち、わからないよ、こらっ!」
目を開いたロレッツァは、胸ぐらを掴みあげているサラにぎょっとする。
「俺、なんかやらかしたの?」
「ロレッツァ。あの娘は無茶苦茶だ・・」
目を醒ましてとは言ったけど、もうちょっと眠っててほしかったとサラは溜息をついた。
▽
▽
ノルムの首都ナターシャへは、海の妖魔が大型船を引く。この妖魔は巨大な海蛇のようで、緑色が四体と赤が一体の計五体が大海原をぐんぐん掻き分け進むのだ。
なっちゃんはずっと船首に立ちっぱなしで、
「赤は珍しいが能力は同じ。珍しいってうちの国では貴族の観賞用とは勿体ない」
「姿は大事だもん」
タクンはなっちゃんを手作りマフラーでぐるぐる巻いた。
「オー・デュポンは嫌われるもん。ゲドが困るからマントに隠れるの」
船首の手すりに腰かけるて、鳥の脚をぶらぶらさせる。
「ねえ、タクン。いっそゲドからお先真っ暗ナクラに乗り換えちゃどう?」
「ぐうぅ、将来性ゼロニート弾だぁ!」
「受けてみよ!ドドドド、ニート連射っ」
「やーらーれーた・・バタっ」
「アンタたちバカなの?」
タクンは呆れ、黄色は影で笑っている。
「旅はもうすぐ終わる。なっちゃんも今後を考えてよ」
タマシイさんをなっちゃんに押し込んだ時、有限であること、つまり私が終わることは告げてある。
「ジーンが帰る選択をしたら約束通り送り届けてね」
それがこの旅に同行する条件だ。
「アンタは帰らないの?」
タクンは不思議そうに首を傾げた。
「私は産まれてすぐに死んで、骸はとうに土に戻ったのよ」
『ふたつ』の妖魔は剥ぎ取られており、ガシャルに還れぬ魂は消滅するだろう。
海に流氷が増えたのはナターシャが近づいているからで、海蛇の妖魔は口から放射弾を放って氷を砕くたび、船上は拍手喝采テンヤワンヤのお祭り騒ぎだ。
砕いた氷がおでこを直撃したイリュージャは不機嫌だが、なっちゃんとユージーンはいつの間にやら群衆化しており、
「うおっーうおっー」
奇妙な歓声をあげるはしゃぎっぷりであった。
▽
船着き場についたのは正午過ぎで、凍る道を除雪車が走り、港特有の威勢の良い声が飛び交っている。
ユージーンは荷降ろしの仕事を手伝った賃金で、ナターシャで人気のホワイトチョコを買って、
「ディファにお土産だよ」
そう言うと袋に入れた。あのブラコンのことだから、ホワイトチョコ記念日なんて国民の休日にしかねない。
子供ばかりの旅でこうやって宿が取れるのは、オーデュポンのタクンが人の顔をしているからで、なっちゃんよりずっと役に立つとお礼を言えば、姿がコンプレックスのタクンはテレテレと照れる可愛い一面を見せた。
この調子で自尊心をくすぐって、なっちゃんのお世話係にする魂胆だ。
「サラから公式に申し入れがあり、ノルム城から面会許可が下りた」
サラにコンタクトを取ったのは、理を知る古きエントの助言でもある。
未成年とはいえ、他国の王族が皇城に入ることを摂理がどう判断するかは曖昧で、この機に乗じてノルム王が謀を企てる可能性は否めないと古きエントは言った。
それがセナポムポムのユージーンを慮ってのことか、或いは一族の後継者を他国へ追いやった怨みかは、私にはどうでも良いことだ。
「なんにせよ先に報せておけば、凄くは怒られないと思うの」
半端な伝達のせいで、サラはすでに怒髪天を衝いているとは知る由もない。
「サラに謝るコツなら俺に任せて」
心強いのか潔いのかと笑うイリュージャだが、その頃にはもう自分はいないからコツを訊ねる必要はない。
なっちゃんは私の指をぎゅっと掴んで、残された時間を止めようとしているようだった。
▽
▽
地に沈むようだとロレッツァは呟いて、ずっしりとガラルーダにもたれかかる。
「雪合戦をしてるな・・ジーンさまは手加減してるのに他は容赦がない。部屋には暖炉があって、精霊に童話を読む愛し仔がいるんだ」
それは妖魔の核が見せる能力で、とうとうロレッツァの魔力が終わり『ふたつ』に融合する合図だ。
「みんな元気いっぱいで偉いなあ」
背の重みがフッと軽くなり、ガラルーダは生唾を飲んだ。
「そろそろだな。俺とイリュージャは選べない。誰かの選択が残りの時を決めるが、そう遠くはないだろう」
シャランと鎖を引き摺るサラは、ロレッツァの頬を優しく撫でる。
「私が逝くときには、お前が迎えにくるのだろうね」
「サラには千の天女がやって来るよ。俺の魂は消滅するから迎えは無理だな」
「何てひどい友だ」
「・・どう言えばサラは笑うのだろう」
「助けてと縋ってごらん」
ロレッツァは眉尻を下げ、ごめんと謝った。
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