タヌキングの幸せ探し

タヌキング

幸せは日々の暮らしにある

車で何となく外の風景を見ていると、桜が咲いているのを発見した。

桜なんてものは気づかぬ間に咲いていて、気付かぬ間に散っていることもあるので、見つけられたことに小さな幸せを感じた。

何が幸せなのか?それは人それぞれであり、他人から決められるものでは無いような気がする。だが人というのは自分の幸せの定義を他人にも当てはめようとする。

そうすることで、現状の自分は幸せなのだと感じたいのであれば、それは如何にも浅ましい人間らしさであろう。

結婚して子供が居れば幸せなのか?金を持てば幸せになれるのか?スポーツ選手として活躍すれば幸せなのか?まぁ色々あるが、最近はそのどれもが幸せには当てはまらないと感じるようになった。

一人だって幸せになれるし、金が無くても幸せになれる、スポーツは趣味で皆でワイワイやってる方が楽しかったりする。

要は現状の幸せに気付けるかどうかが大切なのだろう。

例えば近所の山々を見てみると、一面同じ緑ではなく、部分部分の色が違って、それらが何とも言えない味わいを出していて、それを見てタヌキング的に癒されたりしている。

お前の幸せはその程度なのかとあざ笑う人が居るかもしれないが、そうやって人の幸せを嘲笑することに何の意味があるのだろうか?きっと満たされていない人こそ、そうやって人の小さな幸せを笑うのだろう。幸せのマウント合戦なんて聞いただけで不幸せが漂って来る。


タヌキングは30過ぎで女性とお付き合いしたことも無い。20代の頃は彼女が欲しいと思ったこともあったが、徐々にそういう欲求も無くなって来て、人生は一人でも良かろうと思うようになった。そういう男は世間において叩かれることが多く『早く結婚しろ』『どうしてお前は結婚しないんだ?』と言ってくる人も多い。

負け惜しみに聞こえる人も居るかもしれないが、自分達の幸せの型に私をハメようとしている様にしてならない。結婚しない奴なんて、結婚している人からすれば認めてはならない存在なのかもしれない。結婚なんてものは流れに身を任せて、キッカケがあればやってみるぐらいで構えていれば良いと、タヌキングは構えているし。キッカケなど無くても別に構わない。


誰かと自分を比べることでしか幸せを感じられない人は、小説のネタにはなるが虚しい存在では無いだろうか?まぁ、そういう人も居るから人間は面白いのかもしれないが、タヌキング的には、そういう人には近寄らずに、遠くで眺めているぐらいが丁度良い。

大分話が脱線してしまったが、要は幸せなんてものは自分の気付き次第、他人なんか気にせずに自分だけの小さな幸せを見るのが健全だと思う。

そうすれば人生はより良くなるのでは無いだろうか?

こうやってキーボードをカタカタ叩いて文章を作るのも、小さなタヌキングの幸せなのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タヌキングの幸せ探し タヌキング @kibamusi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画