公爵様は困ったがその妻も困っている


「さて、今日まで邸のことを任せっきりですまなかった。報告書には目を通したが…これは全て本当のことか?」


俺が執事長と侍女長へと胡散臭げに視線を向ける。


「はい。全て真実でございます。」


「私たちが見てきた全てにございます。嘘偽りはございません」


感情のわからない表情で俺を見る二人。いや、少しだけだが侮蔑の色が見え隠れしている気がする。


「わぁーこれが本当なら、やばいね。早急に謝らないと」


俺の横で苦笑いをしてるコイツは俺と行動を共にしていたので邸の事がどうなっていたのか知らなかった。


俺もコイツも言い訳をしたいわけではないが、仕事が忙しすぎて邸にまで手が回らなかったのだ。


父の代に重用していた執事長がいれば邸は回ると思い聞くこともしなかった。


「…俺はどうすればいいんだろうな」


「今すぐ奥様の部屋に行って誠心誠意謝るべきかと」


そういう侍女長に俺は問いかける。


「アレは随分と変わったが何かあったのか?」


その問いに対して侍女長は視線を鋭くさせ俺を見る。


「アレとはなんですか、奥様はアレではありません。そしてその問いですが、そもそも旦那様は奥様を数度夜に相手をしただけでずっとここへは帰ってきませんでしたが、その程度で奥様の何がわかっていたと言うのでしょう?」


「…すまない。妻は皆に好かれているのだな、帰ってこなかった俺なんかよりも」


子供の頃から知っている侍女長にそう言われた俺は、いい大人になったと言うのにこんな言い方しかできなかった。



それもそうだろう?俺が知るあいつはさっきとは全く違うあいつだったんだから。






「旦那様ぁ」


甘ったるい香水をふんだんにつけて俺に媚を売る女だった。


「わたくしドレスが欲しいんですの」


邸の中にいるだけだというのに豪華すぎるドレスを着て俺の前に現れるあいつ。


「もっとお話ししませんかぁ」


仕事が忙しいと言っているそばから自分のために時間を使えという。



全てが自分の思い通りになると思っていそうな女。


怠惰で強欲な女。


着飾り色気を無駄に振りまいて気位が高い女。


他人の気持ちなんて慮る必要はないと言葉の端々に滲み出るようなお女。



そんな姿しか俺は見たことがない。


それがなんだ?子供が生まれたからといってアレほどに変わってしまうのか?


それとも以前の姿には何か理由があったとでもいうのか?





「寵愛してくださいませぇ」


そう言っていた口で今度は俺に愛は要らないと言った。


「子供は産まれたら全て乳母に任せますわぁ、育て方なんて分かりませんもの」


そう言った口で俺に子供のことをわからないくせにと言った。


「わたくしへの愛を一番にしてくださいましね」


そう言ったお前はどこへ行ったんだ?わからないことばかりだ。






「子供が生まれてからの妻に会いにきていなかった俺が悪いか…。」


そう口にした俺は椅子に深く腰掛け、その背もたれに体重を預ける。


「頭の中がゴチャゴチャで全く意味がわからない…」


両手で顔を覆いながら天を仰ぐ。


そして長く大きくため息を吐いた俺は、姿勢を正し正面にいる二人へと向き直った。





「もう一度、きちんと向き合ってみようと思う。すまないが、妻と会話をしたいから先触を出してきてくれないか」


「分かりました。ですが、くれぐれも傷つけることがないようにお願いします。まだまだ奥様は情緒がとても不安定な時期です。言葉は選んでくださいますように。くれぐれも先ほどのような言い方はしないようにお願いします。」


侍女長はそう言って部屋から出てゆく。


「旦那様、私は息子の言葉遣いなどを教育し直しますので御前を失礼させていただきます。…行きますよ。」


そう言って執事長は俺の補佐をしていた執事を連れてゆく。


「いやだぁああああ!」


そう叫んでいるが、今の俺はそれを見て何も考えることができない。


これからどう話をするか、どう謝るべきなのか、いや…謝るべきなのか?


以前は俺も散々苦労させられたのだ、それが今回俺が一度だけ失言をしたからとここまで言われる謂れはあるのだろうか?


俺はぐるぐると何度も謝らないでいい理由を探して時間を過ごすのだった。





『生まれてきてくれてありがとう』『愛してるわ』


毎日毎日リリーにそう言葉をかけているという報告書を眺めながら、俺はなんだか少しだけリリーが羨ましくなった。


「母親からの無条件の愛…か」


そう呟く俺の声に返答する人は誰もいない。


「乳母はあくまで補佐、主として育児をしているのは奥様」


「睡眠が十分に取れない日が続いても笑顔で過ごしている」


「リリーが泣き止まない時は何時間でも抱っこして過ごす」


「リリーが体調が悪い日は寝ずに看病」


「使用人皆に毎日ありがとうと言葉を伝える」


「声を荒げることも無く、何かを欲しがる様子もない」



噛み締めるように報告書に書いてある信じられない単語を呟いてゆく。


その中に俺に対しての文章はひとつもないことが、なんだか無性にいやな気持だった。



「俺のことは何もないのかよ」


つい口から出たそんな言葉に対して、自信がどんな感情を持っているのか俺自信が分からないまま。


居心地の悪い時間を過ごしていた。


「早くスッキリしたい」


胸の中に燻るこの気持ち悪さの意味がまだ俺はわからないでいる。






「奥様、旦那様がお話ししたいことがあるとのことですが…どうなさいますか?」



「ええっ…。どうしようかしらね」


その頃の私はその言葉を聞いて、とても困っていた。

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