道端にないようなものを見る目





「おかえりなさいませ」


私は玄関ホールにリリーを抱いたまま向かい、帰ってきた旦那様に向かって笑顔でそう言ったのだった。



「なぜお前はこの子を抱いている?」


「はぁ?」


(あ、いけない。つい反射的に声が出た)


「えっと、何を言ってらして?」


私が改めて旦那様にそう言うと、ひどく嫌そうな顔をしながらとんでもない事を言い出したのだった。



「いや、だから、お前はなぜ俺の娘を抱いている?こう言った時にだけいい母親ぶって俺の気を引きたいのか?残念だな、俺はお前が何をしようが気になることはない」


「はぁ?」


今度ははっきりと言ってやった。この男…私の敵である。


「なんだその反応は?言い当てられて悔しいのか?早く乳母へ俺の子を渡せ。お前はこれからお得意の癇癪を起こすのだろう?」


私が黙っていると、それを肯定と見做したのか更に驚く事を言い出す。


「わかったなら早くしろ。そしてお前はこの屋敷で大人しくしてるんだな。俺の娘のお披露目会の為に俺はわざわざ帰宅したのだからな。間違っても夜に俺の部屋にこようとするなよ?」


私はもう、はらわたが煮えくりかえり視界すら真っ赤になりそうだった。


その時ふと旦那様の後ろに目をやると、私と旦那様の会話を聞いている周りの使用人達も皆怒りで震えているのが見えた。


(いけない。私にはこんなに味方がいるんだもの。落ち着かなきゃ…)


そう思った私はニコリと微笑んで旦那様に言いたい事を言ったのだった。



「あの、私別にあなたに愛して欲しいだとか抱いて欲しいだとか言ったことも、思った事もありません。

この子も私の子です。

あなたはこの子が生まれて一度も顔を見せにこなかったじゃないですか?

もはや他人ですよね?ね?

この子からしてみても、このおじちゃん誰?としか思いませんよ。

しかも、顔も見ずに名前だけつけた男が偉そうに…。

えっと?私がすることは気にしない、大人しくしてろ、部屋にくるな?はい、そうしますわ。喜んで。


ですが、乳母に渡せ?何を言ってるんですの?私とこの子と乳母でもうすでに育児のタイミングは決まっていますの。

口を出してこないでくださいますか?


お披露目会も、あなたはこの子をどうするつもりですか?ないた時はどうしますの?おむつが濡れた時はどうしますの?全て乳母へ任せる気じゃないでしょうね?

あなたの奥さんは乳母なのですか?

それなら私はこの子を連れて実家にでも帰りますので、お好きにどうぞ」


言いたいことはこれで全部だと言うほど長々と矢継ぎ早に話す私に対し、旦那様は赤くなったり青くなったりまた赤くなったりと忙しそうな顔色をしながら私を見ていた。


旦那様の後ろにいる執事はそんな旦那様を白い目で見ているし、周りの使用人達は小さく拍手をしていた。


(この屋敷の中に今は私の味方ばかりなのでいえたことでもあるのだが…言いすぎたかな?いやでも、あのまま言われっぱなしもストレス溜まるしな…。ほんとに出て行けって言われたらどうしよう?私確か実家とはそこまで仲良くない気がする…。)


ちょっと弱気になった私だが、言葉は吐き出すと後には戻すことができないのでそのまま『では、失礼します』と言ってその場から逃げることにしたのだった。





私がその場からいなくなってもしばらく旦那様は唖然とした表情でそこに立ち尽くしていたと、後からメイドに聞いた時は少し笑った。




「どんな噂があろうと、悪い事をしていた証拠とか無いのにあんな事を唐突に言われたら誰だって嫌な気持ちになるよね。私何もしてないのにさ」


私が唇を少し窄めてそう言うと、ミナと乳母が全力で頭を上下に振ってくれた。


ただ、それだけで私はなんだか怒りが少し治った気がした。


「旦那様は、自惚れていると思います。」


「こんなにリリー様に心を寄せている奥様に対してあの言葉は夫として不合格です」


ミナと乳母がそう言ってくれて、私の目から涙がまた溢れた。


「ありがとう。ちょっと言いすぎちゃったかなって思ったんだけど、そうだよね?私頑張って育児してたもんね…見てもいないのにあんな言い方ってひどいよね。」


もはや私の言葉も前世に引っ張られているが、ミナも乳母も全く気にすることはない。


今日この日までに何度かこう言った話し方をしているからである。どうやら、心を開いてくれたから話し方が変わったと思っているらしい。(他のメイドが言ってた)




(とりあえず、夫は敵!)


私は深く心に刻みつけたのであった。





☆執事


「旦那様。あれはサイテーです。奥様がこの数ヶ月何してるか知りもしないであの言種は酷いと僕でもおもいますよ。」


「なぁ、あれは誰だ?」


「え、奥様ですが」


「あいつあの臭い香水はどうしたんだ?」


「僕が知るわけないじゃないですか…」


「あの顔も化粧はしてたのか?目の上が青くなかったぞ?」


「それも知りませんよ、子供産んだんですよ?趣味が変わったんじゃ?」


「あのドレスもなんだったんだ?レースは?フリルは?宝石はどうした?」


「…そんなに気になるなら本人に聞けばいいじゃないですか」


「…。聞けるわけないだろう。流石にそんな空気じゃないことはわかってる」


「そうですよね。旦那様が喋るたびにうちの使用人の旦那様を見る目が…」


「目が?」


「道端に落ちている汚物を見るような目をしてきました」


「雇用主を汚物」


「そうです。早急に奥様に謝るべきだと僕は思います」


「いや、まずは侍女長とこの館にいる執事を読んで話を聞いてからにする」


「そうですか、あ。」


「なんだ?」


「旦那様を見る目が」


「なんだ?」


「存在しないものを見るような目になりました」


「それ、俺のこと見ていないって事か?」


「旦那様のことが目に見えなくなったんだと思います」


「…。」


「早急に奥様に謝るべきだと僕は思いますね。」


「なら、早く二人を呼んできてくれないか?俺は執務室にいる。」


「ハイハイ、わかりました。」




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