第105話【夢枕】

 気がついたら、白い部屋にいた。

 夢現ダンジョンで最初に説明を受けた、あの部屋によく似ていた。けれど、体は動く。


 そして僕の目の前には、ひとりの男性が立っていた。


 武藤さんによく似た人、だけど武藤さんじゃない。


 申し訳なさそうな顔をして、僕を見ている。


「敬命」


 彼が口を開く。低くて、穏やかで優しい声が響いた。


「……父さん?」


 僕の問いかけに、彼は頷く。僕が2歳の時に、消えた父。肉体だけを取り戻せた父。

 父の思いではない。写真の1枚もなく、母の話だけで知っていた父。


「僕のせいで、すまない。敬命にもみんなにも、迷惑をかけてしまった」


「父さんは巻き込まれただけで……」

「違うんだ、敬命。僕が願った。願ってしまったんだ」


 父は、苦しげに顔を歪めて言う。


「僕の生涯の幸福を約束した神に、僕が願ってしまった。この世界のすべての人間が幸福であるようにと」


「? それの何が悪いことなのか、わからないよ。普通に生きていれば、一度は誰もが万人の幸福を願うものじゃないの?」

 父と母が失敗した事業も、慈善事業だったと聞いている。


「その願いは、僕だけは、してはならなかったんだ」


 父は寂しげに、そう言った。


「僕には、元の世界の、魂の記憶がある。前世、その前も、そのもっと前も。その世界には悪人はいなかった。僕は、ことあるごとに、この世界の矛盾に何故なのか考える癖がついてしまっていた」


 悪人は悪人になると同時に魔族になり、人ではいられない世界。

 父はそこから来て、その世界のことを覚えていた。


「僕は願い続けた。万人の幸福を、神の平等を、矛盾なき世界を。香澄と、敬命の幸せだけを考えればよかったのに、僕は欲張った」


 父の幸福を。生涯の幸福を叶える為の神。


「異星の神は、それを叶えようとした……?」

「そう。あの事故も、今のこの状態もすべて僕の願いの所為だ。すまない、敬命」


「父さんは悪くない」


 万人の幸福を願うことが罪だなんて、そんなのはあんまりだ。


 人は人を幸福にして、誰かの欲望を叶えて、生きて行く生き物なのに。

 その願いが罪だというのであれば、誰かの幸福を願うすべての人間が罪人になってしまう。


「みんなの幸せを願うことは、悪いことじゃないよ」


 父さんの願いを叶えようと、異星の神は、この星の輪廻システムに触れた。

 それがこのアポカリプスの真相なら、それはあまりに不幸な事故だ。


「だけど異星の神は、僕たち人間を憎んでいる。本当に幸福を願うなら、憎んだりはできないはずだ」

 異星の神のあの言葉。人類を憎む言葉。強い憎悪。


「この星の人類に影響を受けていたのかもしれない。だから尚更に、願うべきじゃなかった。僕が愚かだった。その所為で側にいてやることもできなくなった、父親らしいことも何も……すまない敬命」


「父さん。もう謝らないで。僕は、僕はいいんだ。僕より、母さんといてあげて欲しい。母さんは今でも父さんのことを愛しているから。ずっと会いたがってたんだ」


 僕に、父の記憶はない。母から聞く父の話は愛情に満ちていて、聞いていて嬉しかった。

 周囲も父親不在の家庭も珍しくはない。僕がそれで迫害されることもなかった。


 父さんがいなくて、寂しくなかったわけじゃない。


 だけど僕以上に、たくさん思い出がある人を、最愛の人を突然失った母の方が寂しい思いをしたはずで。


「僕は、大丈夫だよ。仲間も、彼女もいるから。大丈夫」

 僕の言葉に、少し目を見開いてから、父が微笑む。


「立派に、なったんだね。香澄さんのお陰だ」

 父が僕の頭を撫でて、ゆっくりと抱きしめる。温かい。


「うん、だから心配しないで。どうにかして、世界も、父さんも、僕たちで取り戻すから」


「ありがとう、敬命。香澄さんのところへ、行ってくる」

「行ってらっしゃい。気をつけてね」


 そう言うと、父の姿は温もりを残して消える。

 つい癖で気をつけてと言ったけれど、夢の中で、気をつけることがあるのだろうか。


 夢の中で、父に会えるとは思っていなかった。

 母の言う通り、父はとても穏やかな人だった。まだ温もりが残っている。

 僕も父に会いたかったんだな、と自覚する。


 父の魂はバラバラになって、散らばってしまっているはずなのに。

 それともこれは、僕の願望から創造した夢なのだろうか。


「肉体が戻ったから、記憶体が戻ったんだよ。夢でなら対話ができるよ」

 気付けば背後に星格オルビス・テッラエがいた。


「この世界には夢枕に立つ、という概念があるからね」

「父さんは母さんのところへ?」


 僕の問いに、星格オルビス・テッラエは頷く。

 

「よかった。もっと聞くべき事は、あったのかもしれないけれど」

 でも、早く会いに行って欲しかった。

 母さんに。


 きっとずっと寂しいのを我慢していたのは、母さんの方だから。


星格オルビス・テッラエも夢に入れるんだね」

「僕の本体もアストラル体だからね。そろそろ最後のレッドゲートダンジョンが踏破されるよ」


「わかった」

 僕は頷く。レッドゲートがすべて踏破される。目覚めれば、いろんなことがまた起きる。


「頼みがあるんだ」

 星格オルビス・テッラエの頼み。それは。


「美味しい朝ごはんが食べたい」


 とても普通の、当たり前の、日常的な、願い。

 思わず笑うと、目が覚めた。


 朝の、空が窓の外に見える。

 眠ってしまった僕を武藤さんがベッドに運んでくれたらしい。


 起き上がると、隣のベッドには誰もいない。寝た痕跡はあるけれど、既にもぬけの殻だった。

 ぐっすり眠って、体が軽い。


 僕は朝食を作りに寝室を出た。


 そこには、テレビを見ながら、ソファでくつろぐ星格オルビス・テッラエの姿がある。武藤さんの姿はない。


「おはよう、星格オルビス・テッラエ。朝ごはん、作るね。武藤さんは?」

「おはよう。彼なら寝室にいるはずだけど」


 武藤さんが……消えた?

 ベッドには誰も居なかった。


 ぞわりと、不安を感じた。父さんが夢に現れるなら、それができるスキルを持つ人間がいないとは、限らない。


 僕は慌てて寝室に戻る。


 見回したそこには、やはり誰もいなかった。

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