夜更け


 部活動の練習が終わるのは午後6時半。それから運動後のクールダウンと、軽いミーティング。着替えなどが終わると、時刻は午後7時を回っていた。

 まだ5月中旬ということもあって外は暗くない。けれど部員の多くはお坊ちゃまお嬢様なので、寄り道することなくそのまま帰路につくのがいつもの光景だ。


 私はと言えば、わざわざ寄り道をする理由はない。だから普段は友達と家に帰るんだけど、今日は先輩に誘われて近くのファミレスでお食事することに。


「でもいいんですか? 私なんかに奢るだなんて」

「全然いいよ。校則上ほんとはダメなんだけど、実はちょっとアルバイトをしててね。お金には困ってない。だから祈乃莉もだけど晴人も好きなの頼んでいい」

「ヨッしゃ。じゃあ遠慮なく頼んでやるぜ」


 早速店員さんを呼び、あれもこれもと大量に注文していく渡辺先輩。私はそれをジト目で見つつも、渡辺先輩に続いてきのこの和風スパゲッティを注文。双葉先輩はミートドリアといちごパフェを頼んだ。


「あれ? 先輩甘いものお好きでしたっけ?」

「いや、これは祈乃莉の分。晴人を見てから遠慮してるように見えたからね。なにか事情があっていらないってことなら晴人に食べさせるから安心して」

「……それなら、ありがたくいただきます!」

「なあ葵、俺追加でデザート頼んでいいか?」

「…………。大丈夫だよ、遠慮は要らない」


 本当に大丈夫なんだろうか。

 渡辺先輩、食べっぷりがいいのは好感が持てるけど、双葉先輩は甘やかしすぎなんじゃないだろうか。なんだか、近い将来、渡辺先輩がヒモになっていく未来が見える気がする。


「いやほんとに祈乃莉は気にしないで。財布には10万入ってるし、いざってときはpoypoyと銀行口座直結させてるし、一応カードも持ってるからね」

「カードってクレジットカードですか? 未成年は作れないはずでは……?」

「まあまあ、細かいことは今はいいから」


 言いながら、先輩はおもむろに3枚の原稿用紙を取り出した。部活前に職員室で渡された反省文だ。どうやら料理が運ばれてくるまでに書き上げるつもりらしい。ものすごい速さでペンが進んでいる。


「……それ、ちゃんと書けてるんですか?」

「嘘まみれだけどね。反省文なんてそんなものだよ」

「そりゃそーだ。けどよ、ちと書くスピード早すぎやしないか? ちゃんと考えて書いてるのか?」

「もちろん、呼吸するように嘘をついてるところ」


 瞬く間に1枚目の右半分が文字で埋まった。なんということでしょう。文字は達筆で綺麗に書かれているからむしろ見やすく、内容もまともだ。

 私はすっかり感心させられてしまって、書かれている文章をじーっと眺める。


「……まあ、葵が授業中とか休み時間中にいなくなるのって今日に始まったことじゃないしな。ついに反省文書くのも慣れてきたってところか」

「え?」


 渡辺先輩がいきなりカミングアウト。

 私は一瞬、意味が分からずに口をぽかんと開けた。


「ところで祈乃莉、どこか体調に変わったところはない? 倦怠感とか大丈夫?」

「え、あ、ああ……特に体調に変わりないですけど……。いったいどうしたんですか? 部活前も似たようなこと聞いてましたけど」

「可愛い後輩だから心配なんだ」


 さらりとナンパ師みたいなことを言う。

 私は嬉しくなって頬を赤くしながらも、誤魔化されないぞという気概を込めて顔を近づけた。


「本当は?」

「本当はって、俺のことを疑ってるの?」

「疑ってはないけど疑ってます」

「嘘はついてないんだけどね。一応、部活中の祈乃莉がたまに上の空になってたからなにかあったのかなと。相談事なら聞こうと思って今日誘ったんだ」


 私は目を丸くして双葉先輩を見つめる。

 嘘はついていなさそうだ。


「……そんなに、部活中上の空でしたか?」

「ごく稀にではあったけどね」

「ほーん、よく見てんじゃん葵。俺には全然そんな風に見えなかったけどな」

「だから晴人には彼女ができないんだよ」

「やかましいわ!」


 双葉先輩のいじりに、渡辺先輩は発狂する。その表情があまりにおかしくて、私はくすりと笑った。

 ちなみに余談だけど、双葉先輩にも彼女はいない。だけどそれはモテないということでは全くなく、告白の全てを断っているから。それでも人気が落ちないのは断り方も素敵だからだそうだ。


「コホン、話を戻そうか。それで祈乃莉は大丈夫なの? 大丈夫ならこの話はこれでお終いだけど」

「……実は、今朝ある夢を見たんです」

「夢?」

「はい。それがかなり酷い内容で、……」


 私は内容を思い出し、言葉を詰まらせる。だけど双葉先輩は話を急かすことなく、私の話の続きをただ待っていた。それから一呼吸置き、再度始めた説明を聞き終えた先輩方は眉を顰める。


「……それは穏やかな内容じゃないね」

「祈乃莉の親御さんが信者で、アルカディアの隊員の方々に始末されただって? なんだそりゃ」


 アルカディアとは、世界中にいる異能使いを束ねた国際機関だ。ごく稀に発現する、人間の理から外れた能力―――。それを持つ異能使いを保護し、管理するのがアルカディアの目的であり、彼ら異能使いは信者が招くに対応するための武力でもある。


「こんな酷い夢を見たというのに、よく今日学校来れたね……。ご両親に心配かけたくないのは分かるけど、無理をしてはいけないよ」

「最初はお父さんとお母さんに心配かけたくなかったからというのもありましたけど、今は大丈夫です。友達とか先輩方と話してた方が気が紛れますから」


 私は嘘偽りない気持ちを先輩方に伝えた。

 実のところ、家に帰るのはあまり気が進まない。お母さんとお父さんと顔を合わせてしまったら、またあの光景が鮮明にフラッシュバックしてしまうんじゃないかなって……気が気じゃない。


「それならいいんだ。にしても、……夢か。内容は酷いけど、祈乃莉に直接害があることじゃなくてよかった。夢ならいつか忘れるだろうしね」

「案外、正夢だったりしてな」

「縁起でもないことを言うな馬鹿」


 バシンと、双葉先輩が渡辺先輩の頭を叩いた。


「あの、この話には続きがあるんですけど」

「ん? どんな続きなのかな?」

「……その、夢の中で会ったアルカディアの隊員さんは2人いたんです。1人は白銀の長髪に赤色の目をした綺麗な子で……もう1人が、双葉先輩だったんです」

「え、葵がアルカディアの隊員? は、はは、ははははは! なんだそれ、面白え冗談だな!」


 何かがツボにはまったようで、笑い転げる渡辺先輩。店員さんからの注意を受ける前に、双葉先輩は渡辺先輩の頭を再度叩いた。


「……それならひとまず安心だね。そんな事実はないから、祈乃莉が見たのは単なる夢だ。だから気にすることはない。普通に過ごしてればじき忘れるよ」

「そうですね。やっぱりただの夢ですよね」


 私はくすくすと笑う。変にリアリティがあったせいで、双葉先輩がアルカディアの隊員なんじゃないかと本気で思い始めてたさっきまでの私が馬鹿みたいだ。

 普通に考えてそんなことはない。

 だって、アルカディアの隊員さんなら学校に通う必要なんてないし。


「うん、ただの夢だね。その話で確信した」

「……いやいや、分からないぜ?! なんたってこいつ嘘つきだからな! 一般人のフリして実はアルカディアの隊員でした、なんてことあるかもだぜ?!」

「ノンデリ晴人は少し黙ろうか」


 双葉先輩が睨みを効かせると、渡辺先輩はひいいっと身を縮ませた。


「……全く、本当にデリカシーのないやつだ」

「悪い悪い。つい口をついて出ちまったんだよ。祈乃莉ちゃんも不快にさせちゃってたらごめんな」

「あはは、次はないですからね?」


 私はアルカイックスマイルを渡辺先輩に向けた。

 すると先輩は冷や汗を垂らし、それから周囲の目も憚らずに全力土下座。当然のようにファミレスの床に手をつけて。この先輩、もしかしなくても頭がおかしいんじゃないだろうか。


「……ごめん、少し席を外すよ」

「ええっ?! この状況で私を渡辺先輩と2人きりにするおつもりですか?!」

「本当に申し訳ないけど耐えてて欲しい。ちょっと電話がかかってきててね。すぐ戻ってくるから」


 そう言って外に出ていく双葉先輩。

 さすがに暗くなってきたためその後ろ姿は見えず、私は渋々、ダイナミック土下座を続けている渡辺先輩に目を向けた。そして目を逸らした。

 もう気にしてはいけない気がする。

 それから数分もすればさすがの渡辺先輩も席に座り直したものの、待てど暮らせど双葉先輩は戻って来ない。少し心配になってきたちょうどその時、私に1通のDMが届く。双葉先輩からだ。


『ごめん。ちょっと急用ができたからこのまま帰る。晴人にpoypoyで食事代送っといたから、お会計はそれでしといて欲しい』


「えええええっ?!」

「なんだ?! どうした?!」

「……なんか、双葉先輩急用ができたらしくて」


 私はぶすっとした表情で、先輩から送られてきたDMを渡辺先輩に見せた。もう帰りたい。正直これから、渡辺先輩と2人きりと考えると億劫になる。双葉先輩がいるから一緒に夜ご飯とることにしたのに。

 私は嫌な顔を隠せず、渡辺先輩から目を背けた。

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