カウントダウン


 朝の8時半。ようやく体調が回復した私は、布団から起きてすぐに身だしなみを整える。頑張っても45分から始まる朝のホームルームには間に合わそうだけど、今からなら1時間目には出席できそうだ。

 玄関先の上がりかまちに腰を下ろし、ローファーのかかとを中指で押さえて足を入れる。


「祈乃莉ー! お弁当忘れてるわよ」

「あ! ご、ごめんお母さん……!」

「全く、相変わらずおっちょこちょいね。あとこれ。朝食食べてないんだからゼリー飲料持ってきなさい」

「うんありがと。じゃあ、そろそろ行ってくるね」


 そう言って私がドアノブに手をかけたところで、さっき起きてきたお父さんが姿を見せる。


「もしあれだったら学校近くまで送るぞ祈乃莉」

「いーから。お父さんは足怪我してるんだし、私より無理しないでよ」

「……車の運転程度なら余裕だぞ?」

「あなた虚勢張らないの。この前だって気晴らしにドライブ行ってきた挙句、足痛めてたじゃない」

「…………。記憶にないな」

「あはは、気持ちは嬉しいけど本当に大丈夫だよ。もう体調も万全だから心配しないで」


 私はにこっと笑いながらサムズアップする。

 もう時間もやばいし、そろそろ行かなきゃ。私は行ってきますと言って家を出る。


 今日は気持ちがいいほどの快晴だ。

 どこかからか聞こえる、ほーほけきょというウグイスの鳴き声。それから甘い花の香りと、爽やかな風。春をこの身で感じながら、私は足を早めた。







 玉響たまゆら学園は、神奈川県横浜市内にある共学校だ。

 幼稚園から小学校、中学高校までが隣接して建っており、そのため膨大な敷地を誇るここは、いわゆるお坊ちゃまやお嬢様が集う学校でもある。

 そのため警備も厳重で、私は校内へと入るため、警備員さんに学生証を提示する。それから敷地内に通され、まずは職員室に寄って遅刻届の記入。そして教室前で上履きへと履き替えて


「遅れてしまってごめんなさいっ」


 私が焦りながら教室へと入ると、挨拶が次々と飛んでくる。私はそれにぺこぺこ答えながら着席。

 よかった。1時間目にはギリギリ間に合ったみたいだ。それから素早く必要な教材を鞄の中から取り出していると、私の右肩がちょんちょんと突かれた。


「珍しいね。祈乃莉が遅刻するなんて」

「あはは……なんか昨夜寝つきが悪くってさ。起きたらもう8時前でびっくりしちゃった」

「寝坊なんて、もっと珍しい。祈乃莉っておっちょこちょいだけどそこら辺はしっかりしてたのに」


 そう言って微笑む隣の子は、石崎美嘉みかちゃん。私の一番の親友だ。幼稚園からエスカレーター式でここまで上がっている本物のお嬢様なんだけど、高校から入学してきた私にも不思議なくらい分け隔てなく接してくれる。クラスの人気者だ。


 最初はおっかなびっくりしていた私がすっかりこの学園に馴染めているのも、そのほとんどが美嘉ちゃんのおかげ。本当にいい親友を持ったなと私は思う。


「むぅ、今はしっかりしてないって言いたいの?」

「あはは違うよ。ただ可愛いなって思っただけ。ところで話は変わるんだけど、昨日の数学の宿題解けた? 分からないところあるから教えて欲しくて」

「か、可愛い……」

 

 私は恥ずかしくなって頬をかいた。

 美嘉ちゃんは凄腕ナンパ師だ。凛々しい顔立ちで、ボーイッシュな笑顔に私の魂は抜かれかける。


「おーい、祈乃莉帰ってこーい」

「はっ! ……数学の宿題だっけ? 別にいいけど、美嘉ちゃんのお家って家庭教師さんいなかった?」

「わたしは祈乃莉がいいんだよ」

「もう、褒めたって何もでないよ? 貧乏だし」

 

 一応、この学園では無金利で奨学金を借りれるぐらいの成績はとれてる。だから自信はあるし、やっぱり頼ってくれるのは嬉しい。

 そんなわけで意気揚々と宿題を見直し始める私。

 その様子を、美嘉ちゃんは横でじっと見つめる。


「―――さて、そろそろ授業を始めるよ」


 時刻は9時ちょうど。

 1時間目の歴史の授業を担当する先生が教壇に立つと同時に、私は数学の宿題プリントを仕舞う。それから目を輝かせて前を向いた。

 今日は誰もが好きな伝説が語られる。


 それは第三次世界大戦と、戦争を止めた1000の話だ。







 放課後になると私は美嘉ちゃんと別れ、運動着に着替えて体育館へと急ぐ。

 お嬢様とお坊ちゃまの集う学校ということで運動面は控えめかと思いきや、運動系の部活動も活発なのがこの学校の特徴だ。文武両道の体現。それが理念であるためか、顧問の人もかなり本気で指導をする。ほとんどの部員も練習には熱心だ。


 中でもすごい人はもう本当に―――。


「おはようございま〜す!」


 挨拶とともに体育館の鉄扉を開ける。

 するとまず目に入ってきたのは、上にトスされたバレーボール。キュキュっと、シューズと地面が生む小気味いい音とともに男の先輩が助走をつけ、高く高く飛び上がる。まるで吸い込まれるようにボールは手のひらのど真ん中にフィットし、ドライブをかけながら押し出され、ダンッと相手コートで強く跳ね上がる。


 それから間髪入れずにもう一球。もう一球。

 床板に転がったボール数々を見るに、どうやら先輩はすでに長い時間練習しているらしかった。

 ちなみにまだ、6時間目の授業が終わってから15分程度しか経ってない。何かがおかしい。


「双葉先輩、来るの早すぎません?」

「6時間目を途中で抜けてきた。少し落ち着かなくてね」

「当たり前のように授業抜けないでくださいよ……」

「気がついたら体育館にいたんだよね」


 そんな馬鹿なことがあってたまりますか。

 私はつい突っ込みを入れようとするも、先輩が真顔で私を見つめてきたため言葉を引っ込める。


「どうかされましまか?」

「いや。話は変わるけど体調は大丈夫かと思って」

「大丈夫ですけど……、不調に見えますか?」

「ううん、そういうわけじゃないんだ。この時期は風邪を引く部員が多いからね。春の新人戦も控えていることだし、少し心配になっただけだよ」


 なんだ、びっくりした。

 まだ夢に見た内容を引きずっているのがバレたと思ったけど、よくよく考えたらそれはあり得ない。


「ご心配ありがとうございます。なんか、今日はやけに優しいですね。ちょっとムズムズします」

「残念だけど俺は常時優男だよ」

「本物の優男は優男を自称しませんよ」

「……祈乃莉って実は毒舌キャラ?」


 双葉先輩は胸を押さえてうずくまった。

 どうやら、私の火の玉ストレートにKOされたらしかった。


「よォ葵、それから椎奈さん。2人は6時間目が終わって早々密会か? お熱いことだなあ」

「俺と祈乃莉はそういう関係じゃないよ」

「そうか? 祈乃莉ちゃんもそういう認識か?」

「えっ、と……」


 下世話な笑顔を向けられて私はどもる。

 というかいつのまにか来てたの、この人。双葉先輩と同じクラスの先輩だけど、事あるごとにちょっかいを出してくるからあんまり好きではない。


「晴人。あんまり1年生を脅かさないでよ」

「ははは、悪い悪い。人様の色恋話に首を突っ込むもんじゃねえなやっぱり」


 悪びれもせず、豪快に笑う渡辺晴人先輩。

 そんな彼を冷めた目で双葉先輩が見る。


「それで、バレー部員でもない晴人が体育館になんの用だ? まさか冷やかしに来ただけじゃないよね」

「ああ、6時間目の授業の先生から葵を探してこいって言われてな。授業中に堂々と教室を抜け出した罪で反省文3枚だ。とりあえず職員室行こうぜ」

「…………いや、行かない」


 これはどう見たって双葉先輩が悪い。

 けれど先輩はこの場を離れることなく、むしろ体育館の長椅子に寝そべったそのときだった。


『あー、あー、高校2年6組の双葉葵。至急職員室の岡崎のところまで来なさい。繰り返す。高校―――』


 突如として流れ出した校内放送。

 私と渡辺先輩は顔を見合わせ、それから頷いた。


「とりあえず行きましょう! 双葉先輩! 大丈夫です、私たちも最後まで付き添いますよ」

「ええ俺もォ?!」

「待って欲しいこれには大事な理由があって―――」

「知りません! ほら、早く行きますよ!」


 スタンドアップ!

 私は渡辺先輩の手も借りて、双葉先輩を職員室へと連行することに成功した。

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