第3話 なぜ化物になったのか?

「俺は、死体を埋めて、血を洗い流すために川に入りました。傷が痛みましたが、痛みを感じる肉体が、まだ生きている自分が、とても恨めしく感じました。俺は、なんで化物なのだろう?なぜ化物になったのだろう?自問が頭の中で何度も反芻されました」


「悩みと苦しみと痛みを感じて、それからどうしたのですか?」


 厳しい質問だとは思ったが、質問をしないと、彼の魂は今にも散り散りになりそうだ。この猿の化物の魂は、ころころと様子を変える。しかし、もう長くはないだろう。


「都に下りました。追っ手から逃げるためと、醜い人間を食い物にするために」


「人に恨みを感じたのですか?」


「はい。人間は醜い。自分のことばかり考えている」


「醜くない人間はいませんでしたか?」


 沈黙が流れた。


「い、いました・・・」絞り出すように声を発した。


「その人が、あなたが化物になるきっかけだったのかもしれないですね。どんな人だったのですか?」


「俺が、猿の群れから追い出されて、生きていけなくなった時に拾ってくれた人です。汚くて、獣臭くて、無口で、自分の腹が減っていても、俺に食べ物をくれるような人でした・・・。ずっと忘れていたのに、久しぶりに思い出しました。確か、その人は、独りで山ん中で暮らしている鉄砲撃ちでした。すごく寂しそうで、普段は喋りもしないし、笑いもしないのに、酒を飲むと、俺によく話しかけていました。その時だけは、笑うのです。最期は、飢饉の年に何も食べなくなり、酒だけ飲んで死にました。でも、俺には食べ物を残してくれました。お前は長生きしろって言ってくれていたようです。」


「なぜ、その人はあなたをそんなに大事にしていたのですかね?」


「俺を死んだ子だと思いたかったようです。俺は、恩が返したくて、何を望んでいるのか知りたくて、その人の言葉を理解したくて、ずっとずっとそれを望んでいたのですが、その人の言葉が理解できるようになる前に、その人は死んでしまいました」


「でも、その人は、あなたを死んだ子供だって思いたかったのは分かったのですよね?」


「それは、俺が、猫の化物と行動を共にしていた時にどっかの仏様が教えてくれました」


「そうですか・・・どこかの仏様ですか・・・」


 恩返しがしたい、恩人の言葉を理解したいという願いが強い念となったのもあるでしょうが、もしかしたら、その山で鉄砲撃ちが撃った鹿なり熊なりが神の食べ物で、この猿が食したことで、普通の猿でなくなったのでしょうか?または、神の使いを食して、神の如き力が宿るとも言われているので、その可能性もあるのでしょうか?どこかの仏様も気になりますが・・・。


「それから何年も生きている内に、身体も大きくなり、人語を解する猿の化物に声をかけられ、仲間に入りました」


「しかし、人に恩を返したいと思っていたのに、人に生贄を要求するような化物たちとよく行動を共にしましたね」


「俺が恩を感じていたのは一人の人間だけです。その人が死んだ後に、まもなく、家も焼かれ、住処を追われました。その時には、身体が大きい俺も山に住む化物と同じに見えたのでしょう。何度も人に殺されそうになっていました。そこに、似たような姿形の猿の化物から声をかけられたので、何の疑問も持たずに合流しました。生贄には同意できませんでしたが、人に対する恨みはありました」


 おそらく、声をかけてきた猿の化物は狒狒(ひひ)と呼ばれている化物だろう。大きいものは三メートルもあったという言い伝えもありますから、普通の猿と比べて大きいこの猿の化物を仲間と思ったのでしょう。しかし、狒狒とこの猿の化物では本質的な心の部分が違い過ぎる。この者の苛立ち、過ちの原因が見えてきた気がしますね。


「円覚さん、お話し有難うございました」

 私は目の前の猿の化物の人の名前を初めて呼んだ。


 円覚は、うなづき、すがる様な眼差しを向けた。


「安心して下さい。私は、アメノミナカヌシですよ」


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