従兄弟と私、価値観の差異
先日、私の家に従兄弟が遊びに来た。
この訪問は数週間前から予定されていたもので、事前に連絡を受けていた父がいとこを駅まで迎えに行き、家に招き入れた。家に来たのは朝の10時頃だった筈だ。
いとこは私の父の弟、即ち叔父の息子である。私より2歳年上で、今年20代に初めて突入する。私と違ってストレートに大学に進学した為、彼は今大学三年生にあたる。
去年は私が高校3年生で受験を控えていた事もあって叔父夫妻が遠慮し、いとこをこちらに寄越さなかった。そのまた一年前(2022年)も一度2月にあったきりだったので、実質会うのは二年ぶりであった。
理系の大学三年生らしく翌日にも何らかの予定が入っていたようで、その日の夕方には家に帰っていった。私が四六時中勉強していた事もあり、交流できたのは僅かな時間であったが、互いの近況や彼の大学生活での様子やアドバイスを確認できて有意義かつ楽しい時を過ごせたと思う。
ただ、一点だけ、いや一つの事柄において、ヒジョーに気になったことがある。
それは、彼の装いである。
『赤(ピンク)髪』☆『耳ピアス』☆『ダメージジーンズ』
いかにも「若者らしい」ファッションの怒涛の3コンボ。
初めにこの衝撃的(少なくとも私の家族にとって)な服装を目撃したのは迎えに行った父であった。『駅についた』という連絡を受け取った父は、『〇〇改札から出られる駅前ロータリーで待ってて』という指令を出しつつ、目視で彼の居場所を特定しようとした。成長期の子供みたいに身長が急激に伸びるわけでもあるまいし、いくら二年経ったからといって甥っ子の顔を忘れるわけがない。父はそう思ったのである。
ところが。不思議な事が起こった。
駅前の道路を三往復し、そのたびにロータリー近辺を注意深く眺めてみても、見知っている筈の甥っ子の顔が全く見当たらなかったのである。この時、父はいとこが別の改札で降りてしまったと本気で勘違いしてしたらしい。
結局、いとことは別の地点で改めて合流し事なきを得たのだが。元の顔の特徴が薄まってしまうくらい、彼の装いは二年前と比べて変わってしまったのだった。
彼と再会した時の事を数日経った今でも鮮明に覚えている。車のエンジン音が聞こえ、喜び勇んで家の扉を開けると、そこには『知らない人』。そう錯覚したのはほんの一瞬で、その後直ぐに気付いたが、逆に言えば本当にそう錯覚してしまったのだ。親しみ慣れた従兄弟に対して。
ただ、違和感というか彼の場違い感はやはり半端なかった。こんなものを書いている時点でお察しだと思うが、私にそんなカルチャーや価値観は無いのである。頭では「そういう人もおる」と理解っているのだが、目の前で見るとやはり頂けなくなってしまう。更に、そこへ数年前の黒髪の彼の姿が重なってしまうのだ。これはキツイ。
向こうも自身の身なりの激変は十分承知していたようで、その後もどこか家族に対してよそよそしい雰囲気を醸し出していた。初めはぎこちなかったが会話していく内にそれらも雲散霧消し、中身の人格は今までと同じであることが確認できた。
……誤解なきようもう一度注記しておくが、私はなにもそういったファッションに対して反感を持っている訳ではない。髪をどの色に染めようが、どこに穴を開けようが、どんな身なりをしようが、常識を大きく逸脱したものでなければ全く問題ないと考えている。何なら、大概の場合、世間の常識(若者のファッションに関してなど)から逸脱しているのはむしろ私である。……まぁ、私は生涯にわたってそれらを身体に付けるつもりはないが。しかしノータイムでそう思ってしまう所が、些細なことでは覆せぬ価値観の差異の『根本』なのだろう。
――とまぁ、すっかり見違えてしまった従兄弟と昼ご飯を食っていた時のこと。
従兄弟から、浪人生活に関して質問を受けた。
「一年中家にいてキツくないか」
「一年ずっと勉強してキツくないか」
その質問に、私はしばらくの間考え込んだ。浪人生活に突入してからというもの、今までそうした話題に関して考えたことが無かったからである。
「キツイことにはキツイが、浪人前に考えていた程ではない」と答えた。私は元々外に出るのが余り好きではなく、一週間以上ずっと家にいても平気な性質なのである。(犬の散歩で毎日外には出ているが)
また、「勉強してキツくないか」という事に関しても、今のところはまだ平気である。短時間に一気に集中して勉強をこなすよりも、適度に休憩を入れながら長時間勉強を続けていく方が、どうやら私的にあっているらしかった。
その事も一緒に伝えると、彼は、ほーんと何度か頷いた後に、「そうかぁ」と笑って呟いた。「俺は大学なんて工学部さえあれば近くの所でいいと思ってたからなぁ。」とも言った。
そういえば、彼の大学はあまり高い偏差値では無かったのだったか。Fランではないが、それなりに低かった筈……
――そう思った瞬間、少しだけ、ハッとした。
私の周りの同級生、というか私の学校では、大学で上の方を目指すのは当然という観念があった。世間的には偏差値が高く「進学校」としてみなされている為、周囲の熱や将来への意識が高くなるのも当たり前の事なのだが。私が他人様について貶めるような言い方をするのもあれだが、その同級生の中には、一体何のためにその大学を目指しているのか自分でもよく分かっていない人たちも結構な数がいた。
だから、彼のたった一言に込められた「大学選択論」には、少しだけ新鮮なものがあった。身に沁みていた筈の習慣を久しぶりに思い出したような。志や偏差値が低いから馬鹿にしている、とかそういった侮蔑の意を込めたものでは決して無い。純粋に、「そういえばそうだった」と感じたのである。どうやらこの数ヶ月でそんな当たり前の事も忘れかけてしまっていたらしい。
同時に、その一言に大学選択における真髄があると見た。高い低いもそりゃ当然大事ではあるが、最も大事なのは自身が納得できるかどうかに尽きると思うのである。その意味では従兄弟は大成功していると言えるだろう。大学生活を心の底から楽しめていることを言葉の端々から感じ取れるし、つい少し前には彼の専門分野で何らかの賞を取ったとも聞いている。
……無論、大学のレベルが将来の選択の幅にとんでもなく重大な影響を及ぼすのは言うまでもない。低レベルすぎる大学ではそもそも面接に至る申し込みの時点で落とされたり、仮に面接に行き着いても碌な扱いを受けない(と聞いた)。最低限のレベルはどう考えても必要だ。そういった大学のレベルの加味した上での「納得」であるとも私は思う。
それらも踏まえた上で、私は今目指している大学が、自身の価値観において「納得」できている事をいとこの言葉によって再確認できた。また、価値観の違う発言は真っ向から否定するのではなく、自身の中で昇華することが大事だとも実感した。
その他、従兄弟とは話が通じない、というより通じづらかった場面が何度かあった。より詳しく従兄弟と話し合うにつれて、金銭面や勉強面、さらには恋愛面など、向こうとこちらの家庭環境による価値観の差や、大学生と浪人生の立場の差で発生する噛み合いの齟齬も当然あった。
だが、それが原因で非難の応酬に発展したとかそういう事は一切無かった。どこかの場面で話がつっかかったら、お互い「そういう違いもあるんだなぁ」と笑い合って済ませられた。
――帰り際、従兄弟から、「勉強頑張れよ!!」と肩を小突かれた。言われなくても分かっとるわい!!と思いっきり小突き返してやった。大学に受かってから今流行りのゲームを一緒にプレイする事も約束した。
進む道は全く違い、互いの価値観に様々な差こそあれど、事実として私達は仲が良い。十年後も二十年後も、この関係が続くことをここに祈る。
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※途中で「偏差値が高い学校に通っている」とか勉強に対してやたらと強気かつ意識高めな態度が見受けられますが、普段はそうでもないです。あくまでも理想がコレだというだけで……。
筆者の学力についても、執拗に言及しようとしない時点でお察しください()
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