わたしの黒歴史(祖母と潮干狩り編)
長崎
祖母と潮干狩りに出かけたおもいで
私の出身地である宮古島には旧暦3月3日を「サニツ」と称し、海へ出向く風習がある。ひな祭りと同じ日、つまり女性にとって大切な日でもあり、女性は海水に手足を浸すと無病息災のご加護を得られると言い伝えられている。
当時10歳位だった私は祖母に連れられて、実家から歩いて30分ほどのウパーマと呼ばれる海浜を訪れた。ウパーマは漢字で書くと「大浜」、その名の通り数百メートルにわたり白い砂浜が広がっている。
普段は閑散としているこの浜も、サニツの日はそれなりの人が訪れていた。観光客の他に、潮干狩り目当ての家族連れも多い。島の海は内海と外海に分かれており、干潮時には内海の縁まで歩けるほどの遠浅になる。無数に点在するサンゴの隙間に潜む貝や魚を見つけては獲る、一大行楽イベントでもあった。
子供だった私は獲物を捕らえられるほど器用ではなく、適当に磯遊びをしていた。
一方、祖母はといえば、好物らしいナマコをせっせと獲ってはバケツに入れていた。そしてバケツがいっぱいになると浜辺に戻り、獲ったナマコを持参してきた包丁で下処理を始めた。まず褐色の身を縦に割き、切れ目に手を突っ込んで体内から糸こんにゃくみたいな内臓をびゃーっと取り出す。ただでさえアレな外観の、断末魔に身もだえするナマコから臓物が引き出される様たるや。一度見たら忘れられない衝撃映像かもしれない。躊躇せずに次々と捌く豪快な祖母の周りにはいつの間にか人だかりができていた。
なんだなんだ。
ナマコだよ、あれ。
祖母に好奇の目が向けられる。10歳の私は次第にいたたまれなくなってきた。そして私はそっと、さりげなく、祖母の側から離れて、見物人の一人として紛れ込んだのであった。つまり身内だと思われたくないばかりに他人のフリをしてしまったのだ。今思うとなんて姑息な子供であったことか。
高校生になり、生物の授業であのナマコの糸こんにゃくは「キュビエ器官」とよばれる臓器だという事を知った。外敵に襲われたら放出させるもので、海中でも強力な粘着力を発揮するらしい。私は授業を受けながら祖母のあの姿を思い浮かべていた。唯一の武器をいともたやすく剥ぎ取り屠った祖母は、ナマコにとって恐るべき天敵だったことだろう。
ナマコは美味しいらしいが未だに食べた事が無い。魚介類は好きだからきっと美味しく食べられるだろう。そしてナマコ料理が供されたらきっと子供時代のこの事を思い出すだろう。おばあ、あの時はごめんと詫びながら噛みしめているだろう。
わたしの黒歴史(祖母と潮干狩り編) 長崎 @nukopin
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