3.

 由里は、久しぶりに実家に行った。

 実家に行くと実花と実花の息子の宗太がいた。宗太は三歳で、やんちゃ盛りだった。

 由里はこの宗太が苦手だった。

 汚い手でべたべたと触ってくる。奇声を上げる。食べる方も汚い。

 リビングで席につくと、さっそく宗太が近寄ってきた。

「みてみて、これー」

「へえ」

 曖昧に由里は笑った。

 宗太が手にしていたのは、武器のおもちゃだった。マシンガンのような。

「お母さんが買ってくれたのよ。宗太の好きな戦隊ものなの」

「宗太はいいこだからね」

 母はそう言って目を細めて宗太を見る。

 宗太は家中を駆け回り、手にしたおもちゃを鳴らす。由里は眉根を寄せた――うるさい。子どものおもちゃって、どうしてこう、うるさいのだろう? 走り回る音もうるさいし、さらにはしゃぐ声もうるさかった。耳が痛い。気持ち悪い。

「由里、もう少し明るい顔をしなさい。そんな顔していたら、博之さんにも迷惑でしょう」

 母が言って、実花も「ほんと、お姉ちゃん、妊婦さんなのに、全然幸せそうじゃないよねー。変なのー」と言った。

「……気持ち悪くて」

「でも、もう妊娠後期でしょう? 気持ち悪いなんて、おかしいわよ。悪阻の時期は過ぎているはずよ」

「そうそう。気の持ちようよ」

 ……気の持ちようでこの気持ち悪さがおさまるなら、よかったのに。

 由里はこっそりと溜め息をついた。

 母も実花も悪阻がほとんどない体質らしく、由里の悪阻の大変さは少しも分からないようだった。だからこうして平気で、遠方の実家に呼びつける。大した用もないのに。

「ごはんにしましょう」

 と母が言って、由里はげんなりした。食べられるだろうか、と不安になった。

 食卓には唐揚げやコーンスープなどが並んだ。

「からあげ……」

 由里は胃液が込み上げてきた。においだけでも気持ち悪かった。

 すると、宗太が走って来て、「からあげ!」と大声を上げた。

「宗太が好きだから、唐揚げにしたのよ」

「ありがとう、おばあちゃん!」

 宗太は大きな音を立てて椅子に座った。みなが席について、由里も席につこうとすると、「お姉ちゃん、子どもが生まれたときの練習で、宗太にごはん食べさせてあげてよ」と実花が言った。

「え?」

「そうよ、そうしなさいよ」と母も言う。

 丸椅子が持ってこられ、宗太の席の隣に置かれ、由里はそこに座った。

 落ち着かない宗太を席に座らせておくのは大変だった。食べこぼす、唐揚げが好きだと言っていたのに、投げ飛ばす、お茶碗はひっくり返し、当然お茶もこぼした。そのたびに、由里はふいたりなだめたりした。由里自身、少しも座っていられなかったし、食べることもできなかった。もっとも、食べられないことは都合がよかった。揚げ物など、食べられるはずがなかった。重い身体で、宗太のめんどうを見ていたら、へとへとになってしまった。

 嵐のような宗太の食事が終わり、由里がほっと溜め息をつくと、実花は言った。

「ね、お姉ちゃん、大変でしょう? 練習になった?」

「……たいへんね……」

「そうよ、大変なのよ。お姉ちゃん、澄ましているけれど、そんな顔していられなくなるから」

 実花はそう言って、笑った。由里は嫌な顔だ、と思った。

 由里は、丸椅子から立ち上がったとき、くらりとした。丸椅子は座り心地も悪くて、お尻が痛かった。そして、食べ物のにおいに圧倒されて、吐いてしまいそうだった。

「由里! 洗い物しなさい。実花は作るのを手伝ってくれたのよ。小さい子がいるのに」

「……はい」

 由里はのろのろと立ち上がり、流しへ向かった。

 食べ物の残骸を見ているだけで、気持ちが悪かった。

 ……だるい……

 由里は必死になって、洗い物を済ませキッチンをきれいにして、リビングに行った。

 母親と実花と宗太が、仲睦まじく遊んでいた。

 由里はその輪に入ることが出来なかった。どうしても。

「あの。……わたし、そろそろ帰るね」

「え? もう?」

「うん、遠いから」

「あ、お姉ちゃん、じゃあ、最後に宗太のおむつを替えていってよ。練習に! 宗太、たぶんうんこしたから」

 どうしてわたしが、と由里は思ったが、言ってもどうしようもないので、言われるままにおむつを替える。宗太は少しもじっとしておらず、しかも力も思いの外強くて大変な思いをしながら、由里はおむつを替えた。途中でお腹を蹴られ、由里はひやりとした。


 由里は特急列車に乗り込んだ。電車の揺れも気持ち悪くて、目を閉じた。身体がひどく疲れていて、鉛のようだった。

 わたしには子育ては無理かもしれない、と暗い気持ちで由里は思った。

 最寄り駅から自宅まではタクシーで帰った。歩いて帰る体力は残っていなかった。なんとか自宅に戻りベッドに入り、由里はそのまま動けなくなってしまった。

 暗くて重くて苦しいものが、お腹の中にいて、由里を責めるように蹴飛ばしているように感じた。

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