第11話 混ぜてはいけない何か。
「――――どうだ、メイドは目を覚ましたか?」
「……先程、一度だけ目を覚ましたのですが、急に頭を抑えて苦しみ出し……今はまた気絶しております」
上質な皮で仕上げられたソファーに、一人の男が背を崩して座っていた。
本来は三人並んでもゆとりのあるそれを、この男はその肥大した身体一つで占領している。
ソファーの側に直立しているのは、黒甲冑と赤羽の兜、そして腰に長剣を携えた騎士、フェリックスである。
「は、伯爵様……私の屋敷で荒事を行うのは少々、控えて欲しいと言いますか……」
「ん? なんだね町長。大罪人を捕まえられるこの好機を逃せと? その代価を君は、君の町は支払ってくれるのかね?」
「いっいえ! あのリリアナめをこの町で捕らえたとなれば、それは私としても大変喜ばしいことでございます」
巨漢の向かいに座っているのは白髪を散らした老人、コートン。この町の長でもある彼は、領主の言葉に逆らうことが出来ないでいた。
突然町にやってきたかと思えば大罪人を捕らえると言い出し、騎士を町中に散りばめたその男は、屋敷の応接間にずっと居座り続けている。今晩中に捕まえられないのなら、今度はここに宿泊すると言い出すだろう。
なぜ一伯爵がそこまで指名手配犯に執着しているのか察せずにいたコートンは、思い切って聞いてみることにした。
「あの……伯爵様はどこかリリアナにこだわっておられるようですが、理由をお伺いしても……?」
「おお、君も理解したいのかね? 黒の美しさを!」
あまり話の流れを理解できなかったコートンは、少し良くなりそうなマクラーレンの機嫌を見て、口を挟まず静かに聞いてみることにした。
その常軌を逸した、変態的かつ偏執的な思想を。
「私はね、彼女の黒髪に惚れたのだよ! 黒は良い、全ての色彩を塗りつぶす存在感、威風堂々たる風貌を放ちながら、深く吸い込まれる神秘の美をその奥に秘めている。人の目によく止まるのも長所だ。赤や黄色のような安っぽい派手さを一切漂わせず、ただそこに高貴があるのだ。格好良いだろう? 私の服も髪も、騎士も黒だ。数が少ないゆえに、並んだ黒はよく映える。そう、黒は数が少ない! 希少性がある、唯一無二の証だ! 髪の色は特にな。
だから、私は彼女との子が欲しい!! 他の血が混じってはいけないのだ、黒は黒としか共存できない。より純粋な漆黒を、あの美しいリリアナとなら目指せるだろう。あの社交会で見たときから、私はずっとそれを心に決めていた。それなのに、パルテウスが勝手に婚約を――――」
「マクラーレン様、もう良いでしょう。そろそろあのメイドが起きる頃です。一度話してみたかったのでは?」
思想語りから愚痴へ転換しかけたところを、フェリックスが制する。
彼は“黒鉄の騎士団”の中でも一番歴が長いため、少しの無礼はマクラーレンに許されている。
「おお、そうだったな。お前と渡り合えるほどのメイドだ。少し興味が沸いてね、素性も調べてみたのだよ。それに、大罪人となったリリアナに付き従うほどの忠誠心を持っている。私がリリアナを
「そう簡単に折れるような女には見えませんでしたが……」
「なに、私の計画を話せば分かってくれるさ。さあ、行こうぞ」
マクラーレンはその太い短足で立ち上がり、応接間を出てフェリックスの案内で地下牢へ向かう。その後ろ姿を見送ったコートンは、罪人でも妻でもいいから、厄介事が起きない内に町から離れてほしいと、ただただ願うばかりであった。
――――――――
「――ぁ…………」
暗く閉ざされた檻の中で、アリスは再び目を覚ました。
手錠ごと腕を持ち上げて薄紫の頭をさするが、あの破裂するような痛みはすでに消え失せていた。
頭痛と入れ代わるように残ったのは、前世の記憶の欠片。
自分の死因や享年、最期までどう生きたのかは分からない。
だが一番重く苦しい、決して開けるべきではなかったモノが“アリス”を蝕む。
「ぁあ……ぁぁぁあああ!! いやだ、いやだ、いやだいやだいやだ――――」
思い出したのは、封を解いてしまったのは、どうしようもない孤独感と並々ならぬ愛への渇望。
暗闇に一人残された彼女の心が、かつての願望に再び
「――――お嬢様っ……そうだ、私にはお嬢様がいる……早く、早く会わなきゃ……お嬢様なら、私を…………」
次に彼女が求めたのは、この世界でようやく掴むことができた愛情。狂乱しかけた心を、狂愛に限りなく近い純情で塗りつぶす。世界を
彼女の存在だけが、孤独に震えた今のアリスを支えてくれる。
生まれ変わってなお
だが、今この場にあるのは冷たい床と明かりの無い部屋、一人ぼっちの自分。
崩れる
侍女として屋敷に派遣され、初めてリリアナと出会ったこと。
アリスを小間使いではなく、一人の友人として扱ってくれたこと。
“
二人でこっそり屋敷を抜け出したこと。二人で一緒に怒られたこと。初めて刺客という存在を見て二人で怯えたこと。彼女が流した涙を拭ったこと。自分だけは絶対に味方だと告げたこと。自分が守ると言ったこと。強くなった自分を見て彼女が喜んでくれたこと。一緒に公爵夫妻の愚痴を吐いたこと。二人で笑ったこと。少しくっついてみても拒まれなかったこと。調子に乗ったら怒られたこと。怒る姿でさえも愛らしいこと。彼女はいつでも美しかったこと。胸が高鳴るほどに好きだったこと。親に立ち向かう姿も素敵なこと。ときどき天然な性格も可愛いこと。別れ際の寂しげな顔がたまらないこと。寝ている顔も可愛いこと。薄幸な雰囲気も悪くないと思ったこと。何かを堪えている顔も愛おしいこと。何かを決めた顔が凛々しかったこと。童心が出たときの姿が可愛いこと。夢中になったら止まらないこと――――
「お嬢様……私のお嬢様……お嬢様の私、私だけのお嬢様、お嬢様だけの――――」
リリアナと過ごした日々、リリアナがかけてくれた言葉、リリアナが見せてくれた笑顔。頭の中を彼女との思い出で満たし、空いた穴を深愛で満たしていく。
だが、かつては純粋だった記憶が目覚めてしまった願望と入り混じり、アリスの心は歪んでしまう。狂愛ゆえに純粋、純愛ゆえに狂ったそれは果たして彼女の本質なのか、混じった後となってはもう分からない。
ただ一つ確かなのは、
「――――……ハァ、ハァ……よし……大丈夫、私はもう、一人じゃない」
混乱が収まってきたアリスはゆっくりと立ち上がり、暗闇の中現状の把握に
「……私は……騎士に捕まって、それで……ここは牢屋……?」
拘束されている手を前に突き出し、暗闇を歩きながら辺りを探ってみる。
手錠には鎖が繋がっていて、その先端は足下の鉄らしき器具に固定されていた。
元の位置のすぐ後ろは石っぽい壁、そこから四歩歩けば棒状の何かに指が触れる。近くで見れば、細長い輪郭が狭い幅で並んでいた。
「鉄格子……やっぱり、ここは牢獄。町の中にあった? あまりお嬢様から離れてないといいけど――――」
アリスが鉄格子を引っ張りながらそう呟いていると、左前方、檻の外から急に光が差し込んできた。
久しぶりの眩しさに目を細めていると、見覚えのある騎士が入室してきた。続いて、全身を黒で揃えた巨漢が狭い入り口を精一杯通り抜けて入ってくる。
「やあ、リリアナのメイド君。牢屋の居心地はどうだったかね?」
たるんだ頬肉を動かして、男がアリスに話しかけた。
アリスは男の容姿と口ぶりから高貴な身分であることを推測、そして黒騎士を従えていることから、自然に行き着く答えが一つ。
「……あなたが、お嬢様をつけ狙っていた黒幕ですか?」
そう推察したアリスに、この男は――――
「“黒”幕……そうだ。私がお前たちを追い回した黒幕にして、リリアナの夫となる男、マクラーレンだ!!」
「……は?」
アリスの覚醒直後のそれを、見事に踏み抜いてしまった。
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