第9話 商人たるもの。
「――――ハァッ、ハッ――――早く、知らせなきゃ――――」
暮れた道を、ソフィアが必死に駆け抜けている。両手に抱えているのは、路地に転がっていた五本の短剣と女性服が入った袋。それらを落とさぬように抱きしめながら、彼女は宿への帰路を急ぐ。
商売のための情報収集に出ていたソフィアは、その帰り道でアリスが二人の騎士に連行されていく場面を目撃してしまったのだ。
その黒甲冑から相手の正体と連行先を察した彼女は、武器と情報をいち早く持ち帰ることにした。
この行動だけでも、彼女は十分に機転を利かせたと言えるだろう。
騎士の後をつけるだなんて愚行を犯せば、素人の彼女はほぼ確実に捕まっていた。
急ぐ足で宿に着いた彼女は、勢いをそのままに階段を駆け上がり、リリアナが待つ部屋の扉を勢いよく開いた。
「リリアナさんっ!! アリスさんが――――うわぁっ!?」
「ソフィアさんっ!? ちょっ、ストップよ!!」
部屋の入り口で警戒を任されていた二体の人形が、侵入したソフィアに反応して顔の前まで跳び上がり、綿の腕を振りかぶったところでリリアナが制御をかけた。
ドタバタと階段を駆け上がる音が聞こえて、リリアナは侵入者を警戒していたのだ。
「びっくりしたわ、ノックもなしに開くんだもの。一体何を――――あれ、その短剣……」
安堵を得たリリアナが、ソフィアが腕に抱えるものを見て再び顔を
「アリスさんが、騎士に連行されてしまいました。これはその付近で落ちていたものです。とりあえず、話を聞いて――――」
「アリスは、あの子は無事なの!? 場所を教えて!! 今すぐ襲撃をかけて、騎士共から救い出さないと――――」
「落ち着いて下さい!! リリアナさん!」
連行と聞いた途端、半ば狂乱状態になって肩をゆするリリアナを、さらに大きな声量で強引に制する。
まだ出会って間もなく、二人の関係を理解し切れていなかったソフィアはリリアナの豹変ぶりに少なからず驚いた。
ただの主従関係にしては距離が近いと感じていたが、どちらかと言えばアリスからすり寄っている印象のため、リリアナの取り乱し様は予想以上のものだった。
それでも感情は内に抑えて、ソフィアは最善の行動を考え続ける。
アリスは気絶したまま連れて行かれた。殺すだけならその場で出来たはず。
つまり敵の目的はアリスを捕獲し、リリアナの居場所を聞き出すこと。
とにかく、アリスがすぐに殺されることはない。まだ考える時間はある。
そして何より、関係がまだ薄い分、情で動けるほどの熱がない彼女には選択の余地がある。
ここで冷酷になれる彼女だからこそ、二十二歳となった今まで商人を続けてこれたのだ。
罪人に協力したことがバレれば、ソフィアまで逃亡生活に
危ない橋を渡る前に二人との縁を切り、人形販売とは別の借金返済を模索するか。
二人の手助けと共に恩を売り、期待値の高い人形販売に人生逆転を賭けるか。
「……ソフィアさん? 早く、早く教えてくれないと、アリスが――――」
ソフィアの血族は生粋の商家。水晶と魔力結晶を間違える愚行こそすれど、物事を見抜く目を何より大切にしろと父から教わってきた。
世の流れと人の情には身を任せるな。
一期一会の絆など半値の半値で売ってしまえ。
代々受け継がれてきた家訓は、ソフィアの胸に深く刻まれている。幼い頃から口酸っぱく言いつけられ、今でも鮮明に思い出せる言葉の記憶。
思考から戻ったソフィアが、話を続ける。
「リリアナさん、私にあなたたちを助ける義理はありません。下手を打てば私まで騎士に狙われてしまいます。ここであなたたちを売れば、少なくとも私は損をしない」
「…………それは、確かにそうだけど、せめて場所だけでもっ」
「正直私は、リリアナさんが悪人かどうかなんてどうでもいい。人の感情ほど不完全で曖昧なものはありません。善悪の区別なんてつけるだけ無駄です。私が信じるのは、私とお金だけ」
リリアナはここで、彼女の本質を悟った。そもそも自分たちを助けたのは、人形に商機を見出したから。彼女は一度も善意や同情で動いていない。大罪人と行動を共にするのは、相応の覚悟と目的があってのことなのだと。
まさしく、ソフィアの本質はその通りである。
何よりも利益を優先しろと、それが商人だと示してきた家訓と親の言葉の数々。
彼女はそれを受け止め、理解し、共感することができる人種だ。
それでも、何より彼女の耳に残っていたのは、「商人たる者、常に賭けに貪欲であれ」。
ソフィアは賭けを恐れない。手を伸ばすことを
「だからリリアナさん、取引をしましょう。私はこれから先、お二人を助けるために全力で動きます。その代わりにお二人も私の商売に協力すると、契約してくれますか?」
彼女が持ちかけたのは、取引と契約。お互いに利益のある協力関係。
彼女が“契約”だなんて口だけの言葉で済ませているのは、もちろん二人の善意を信じているからではない。
大罪人の居場所という情報を持っているだけで、それは二人に対する抑制力になるのだ。無論、その情報を騎士に売る前に殺されてしまえばそれまでではあるが。
「契約……するわ。私たちは、あなたに協力する。だから、今はアリスを助けるために全力を尽くしてほしい」
ソフィアの揺るがぬ意思を見て、落ち着きを取り戻したリリアナは契約を結ぶ。
仲間ではなく、あくまで利害の一致した協力関係として。
「ありがとうございます。ではまず、私が持ってる騎士の情報を話しましょう。とりあえず、アリスさんは無事なはずです。あと、黒甲冑の騎士は――――――――」
こうしてソフィアとリリアナは、狭い宿の一室でアリスを救うための作戦会議を始めた。
ソフィアは町の住人から聞いた情報を元に、アリスの位置や敵の正体を予測する。
その話を静かに聞くリリアナの瞳には、己の従者を絶対に取り戻すという執念と、報復に燃える焔が宿っていた。
――――――――
――――暗く閉ざされた部屋で、一人の少女が目を覚ます。
痛む頭を抑えようとすれば、両手が固い何かに縛られていることに気付く。
「――――うっ……」
拘束された手の感触、暗い密室、殴られた頭の痛み。
それらが揃ったとき、少女の頭の内から何かが込み上げてくる。
「ぁ……ああアァァッ!!」
頭が割れるように痛みだす。今度は外傷によるものではない。
もっと深い場所から、魂に刻まれた何かが浮上していく。
本来は存在しないはずのものが、覗くべきではない記憶の蓋が今、開こうとしていた。
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