第4話 運賃は護衛料で。
「―――では、行きますよ」
リリアナを抱えたアリスは、部屋の外から助走を取り、対角の薄汚れたガラス窓へ駆け出す。
勢いのままに跳び、身体をひねってリリアナを窓から背ける格好へ。
そのまま、衝突の直前に蹴りを繰り出し――― ガシャンと割れる音がして、リリアナとアリスが宙空へ飛び出した。
「―――ッおい! 窓から逃げたぞ!」
「分隊長はやられたのか!?」
「待て、矢は放つな! 町中だぞ!!」
「マクラーレン様より、罪人は殺すなとの命令だ!」
直後、青色の瓦へ着地し、そのまま建物の屋根を伝って逃げていく。
包囲していた騎士たちは、地上からそれを追うが、重い甲冑が加速を許さない。
一部の手練を除いては、だが。
風のように
「―――そこで止まれ、大罪人。」
重鎧をものともせずに跳んだその騎士は、長剣を突きつけて風を止めた。
他の騎士とは違って兜に赤い羽、左腕に腕章がついている。
おそらく、実力と階級が数段上なのだろう。
「チッ!」
思わぬ障害にアリスは焦る。
まさか、屋根の上に跳んでこれるとは思わなかったのだ。
アリスたちに時間はない。
増援も来るだろうし、町人の避難が済めば矢も放ってくるだろう。
迷う暇があるのなら、少しでも身体を動かすべきだ。
一瞬の停止の後、今度は右方向へ走り抜けるが、視界の端では黒が並走したまま。やはり相当な強者であると、アリスは悟る。
軽いリリアナを抱えて走るアリスに、その重鎧で追いついてくるのだから。
「ッ!」
進路前方からもう一人、赤羽の兜が姿を現す。
右手に鎌、その尻から繋がっている鎖を左手に持ち、先端に付いた小さな鉄球を遠心力で振り回している。
鎖鎌と呼ばれる、珍しい武器の使い手は宣告する。
「もう諦めろ、お前らに逃げ場はねえよ。俺たちは別に、そっちの嬢ちゃんを取って、王に差し出そうってわけじゃねえんだ」
「メイドに対する命令は出ていない。命が惜しいなら、大人しく投降してくれ」
いつの間にか背後を取っていた長剣の騎士も、アリスの投降を促す。
投降なんて論外だ。
名も所属も知らぬ騎士に、大切な主を渡すわけがない。
もちろん名乗ったって渡さない。
とにかく、相手が強気に出てない以上、今この場で主を殺すことはないはず。
そう思考をまとめたアリスは、その場にリリアナを下ろした。
「お嬢様、敵が抜けてきた時はプー太郎で殴ってください。今、この場であいつらを斬ります」
「……勝てるの?」
「余裕ですよ」
メイドは不敵な笑みでそう言う。まるで、心配するなと言わんばかりに。
二本の短剣を抜いたアリスを見て、騎士二人も戦闘態勢に入った。
リリアナはそれを見て、少し離れた位置へ。
アリスは騎士二人に前後で挟まれた位置。
重鎧をものともせず駆ける騎士に、戦い慣れていない鎖鎌の騎士。
短剣五本で、勝てるだろうか。
「余裕ねえ。言うじゃない、のっ!」
先制したのは鎖の尾を引く鉄球。
鋭い放物線を描いて迫るそれを、剣で受け流しながら駆ける。
狙うは前方、鎖鎌の男。
まっすぐ走る、と見せかけて少し右にステップ。
直後、たぐり寄せられた鉄球が後ろから左を通る。
「振り返りもしねえか!」
振り返れば鎌が迫る。それをアリスは分かっている。
後ろの状況は音で判断。
ガシャガシャと響かせながら背後に迫る男がいることも、気づいている。
長剣の騎士はリリアナを攫うより先に、アリスの排除を選択した。
二対一の状況で確実に潰したいという判断だろう。
だが、アリスが鎖鎌に迫る方が早い。
「はぁっ!」
右手の剣を投擲し、鎌で弾かれる。
だが、その隙に肉薄したアリスは、三本目を抜きながら連撃。
これで挟み撃ちのポジションから脱出。
同時に、アリスは今の打ち合いで理解した。鎖鎌の男は接近戦にそこまで強くない。
何合か打ち合えばそれで殺せる。
問題は、その後ろから迫る長剣の男。
「ハァッ!!」
「――――ッ!!」
長く伸びる刀身とその重量を使いこなし、舞うようにアリスを攻め立てる。
屋根の瓦が、踏み込みと斬撃の余波で砕け散る。
互いの距離的にはアリスの短剣に分があるはずだが、それを感じさせないほどの力量。たまらず身を引けば、追撃の鉄球が足を止めさせてくれない。
「――――!」
ここでふと遠くを見れば、離れたリリアナがプー太郎をこちらに向かわせていた。
トコトコというより、跳ぶように走ると言い表した方がいい、人形らしからぬ走り方ではあるが。
援護を察知したアリスは、再度接近して長剣と打ち合う。
猛攻を仕掛け、人形の接近を悟らせない。
一合、二合、三合――――きた。
「――――グッ!!」
リリアナはどちらの騎士がアリスにとって厄介か、しっかり見て理解していた。
綿の拳を受けたのは長剣の騎士。咄嗟の反応で剣を盾にするが、不安定な体勢に陥る。
その隙を見逃すはずもなく、十字に胴を二閃、ダメ押しの回し蹴りで屋根から落とした。
「フェリックス!! ――ぐッ!」
残るは鎖鎌一人。鉄球を放たれる前に右の剣を再度投擲。
後は先程と同じ流れ。四本目を抜きながら剣戟を繰り返す。
だが、助けてくれる長剣の騎士、もといフェリックスは下の道で転がっている。
小熊の人形が手を出す前に、打ち合いに負けた男の首が飛んだ。
「――――ハァッ――――ハァ――」
思わぬ強者との戦いに息を荒げているが、屋根上の戦場を制したのはアリス、とプー太郎。
遠くで人形を操っていたリリアナが慌てて駆け寄ってきた。
「下の騎士たちが
「そうですね、ではまた――――……馬?」
アリスが
アリスと同じ方向を見たリリアナは閃き、少し興奮した様子で言う。
「馬車! あれに乗せてもらいましょうよ!」
彼女はおそらく、荷台に乗せてもらうという行為に憧れている。
人形を愛せるほどに生粋なリリアナの子供心は、もちろん冒険譚に出てくるような話も守備範囲内である。
加えて、貴族という立場が消えた今、彼女の童心を抑える理性のネジは緩んでいた。
「逃亡中の私たちをですか? 引き受けるとは思いませんが……」
「乗ってから考えればいいのよ!」
「……それもそうですね!!」
主の子供のように眩しい笑顔を見て、メイドは考えるのをやめた。
そのままリリアナを抱えて、馬車の方へ走り出す。
馬が走るすぐ近くの屋根まで並走し、荷台めがけて飛び降り――――
「――――うわぁっ!! え、ちょ、誰!? 誰か乗ったの!?」
「次の町までお願いね! 運賃は護衛料でいいわよ!!」
リリアナは、ずっと憧れていたセリフを口にした。
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