第2話 部屋の片隅に咲く。

―――大罪人、リリアナ・カレイドナイトの衛兵殺し及び逃亡事件から一週間後。


 とある町の小さな宿屋にて。


「―――ん……んぅ……」


 長く艶めかしい黒髪を乱したまま、その女は朝の寒気に襲われて目を覚ました。

 現在指名手配中の大罪人、リリアナ・カレイドナイトである。

 

 小さい温もりを感じて自分の横に目をやれば、「宿賃を節約したいので一緒に寝ましょう」と合理と欲望を都合よく混ぜて押し付けてきた少女が寝ている。

 

  否、身体こそ微動だにしていないものの、そのエメラルドグリーンの双眼はしかと開いていた。

 

「おはようございます、お嬢様。今朝の寝顔も素敵でしたよ」


「アリス……やっぱり、それが目的なんでしょ」


 リリアナはいつの間にか絡められていたアリスの足を解いて起き上がり、その紫紺の瞳を細めて己のメイドを睨む。


 だがその風貌も長くは続かず、癖になりつつあるため息を漏らしては現状を嘆く。


「もっとも、こんな地位も将来も奪われた元令嬢には、添い寝程度しか需要がないかもしれないけれど」


「そうですね、お嬢様の取り柄は抱き心地くらいでしょうね」


「……誤解のある言い方はやめてよ。同衾どうきんしたのもあなたが初めてなんだから」


 リリアナに続きアリスも寝台から立ち、後ろからその黒髪をきはじめる。


 彼女の髪は生来から波打つ癖を持っており、入念に梳いて整える必要がある。


 もっともアリスは、そのままの癖毛も可愛らしくて好きだと公言しているが。

 

 その間、する事のないリリアナは、アリスが屋敷から持ってきてくれた人形を弄ぶ。 

 ツギハギが少し目立つ、小熊を象ったもの。


 膝から下ほどの大きさを持つ、リリアナお手製のぬいぐるみだ。


 だがこの時、彼女が人形を持つ場合に限って、彼女が持つ小熊は一般のそれとは全く違う様子を現した。


 彼女が指先を振ると、


 まるで人間のようにリズムをとり、されど関節を持たぬぬいぐるみの如き固い演舞。


 これぞ、研究の果てにリリアナが開発に成功した魔術、“人形ドールズ”だ。


 子供の幻想を具現化したような光景が、安宿の片隅に咲く。


 それもそのはず、この魔術は、幼き彼女が自らの願望を叶えるために創造したのだから。


「その魔術、私好きですよ。小さいのに頑張る姿が愛らしくて」


「……私も好き。こんなに素敵な光景を見せてくれるのに、なんて最悪の屈辱だわ」


 そう、この魔術こそが事件の発端。


 いや、そんな言い方をしては魔術に失礼だ。


 この魔術を、として王に告発したパルテウスこそが、リリアナの失墜の元凶。


 パルテウスが見たと証言した光景には、たしかに心当たりがあった。

 

 まだ屋敷に居た頃、日々の勉強の息抜きに、リリアナは久々に“人形”の研究を進めた。

 だが、詰まっていた等身大人形の研究が思わぬ拍子で解け始め、休憩の為に少しさわる程度だったはずの開発に、つい熱が入ってしまう。


 作業はついに睡眠時間までもを削り取り、リリアナは夜な夜な人型の模型を弄っては薄く微笑む魔女に成り果てた。

 もちろん魔女というのは、あくまで第三者から見たときの感想だが。


 ちょうどその時期は、婚約者でもあったパルテウスが家に滞在していた期間と一致する。

 よってリリアナの立てた予想は、人型の人形を弄っては笑う彼女を、どこかで覗き見たパルテウスが、人体創造と勘違いして王に密告したという筋道だ。


「戦争の英雄ともあろう者が声もかけずに立ち去るだなんて、根拠が薄すぎる話だと思いますけどね」


「……私もそう思うわ。明らかに、誰かの思惑があった。公爵の娘なんて立場だから、狙う者がいるのも不思議ではないけれど。……それに、もう全て終わったことよ」

 

 いくら黒幕を探したところで、リリアナの処遇を撤廃させる手段が思いつかない。


 追放の刑を受けた元令嬢と、国を救った英雄。


 大衆がどちらに傾くかなんて明白だ。抗って時間を浪費するのはやめて、アリスと二人で慎ましく暮らそう。


 これが、助けられてから一週間、リリアナが悩み傷ついた末に出した結論である。



――――そして今日は、その思いをアリスに伝えようと決めた日。



 彼女なら、自分を肯定してくれるはずだ。

 彼女なら、共に日々を過ごしてくれるはずだ。

 私が大好きで、私も大好きな彼女ならば、きっと。


 逃げと諦めに、屈辱と打算。

 およそ前向きとは言えない心で、彼女は未来の話をする。


 リリアナは椅子に座って髪を梳かされる姿勢のまま、己のメイドに喋り始めた。


「……ねえ、アリス」


「何でしょう、お嬢様」


「……私と国外へ逃げて、一緒に暮らしてみない?」


 メイドの、髪を梳く手が止まる。

 主は、告白を続ける。


「最初は貧しい思いをさせてしまうだろうけど、私には魔術があるわ。働き口もきっと見つかる。

 今度は、あまり目立たずに、人の目が少ない田舎で、二人だけで生きていたい。

 一緒に寝ることも許してあげる。あなたが望むのなら……この身体も。私には、あなたと人形が居れば、それで十分だから」


 リリアナは、一思いに胸の内を晒した。


 もし拒否でもされたなら、今度こそ彼女は喉を切り裂いて死ぬだろう。


 そのほどの覚悟を賭けた決断に、アリスは逡巡ののち、口を開く。


「……いいのですか?」


「もちろんよ。私が頼んでいるの」

 


 果たしてメイドは、想い人の決断を肯定しない。


なぜなら、


「本当にこのままで、いいのですか? 大罪人なんて濡れ衣を着せられて、大人しく引き下がるようなあなたではなかったはずです」


 メイドは、主の本領を見ている。


「墜ちたままで、いいのですか? あなたはその身を勉学に捧げてまで、領民を豊かにすることを心に誓っていたはずです」


 メイドは、主の覚悟を見ている。


「……あなたの人形を、幼い頃の夢を、禁忌なんて言葉に、侮辱されたままでいいのですか?」


 メイドは、主の夢を見ている。


「――――」


 主は答えない。


 それは、従者に己の決断を拒まれた故か。


 はたまた、もう枯らしたはずの涙を、必死にこらえているが故か。


「……よく、ない。絶対に、良いわけがない。私は、私を貶める奴を許さない。ズタズタに引き裂いて、人形より小さくしてやる。領地も私が導く。王にかまけてばかりの親なんて、畑の肥やしにでもなればいい。それに――――」


 リリアナの口から、心の底に沈んでいた言葉が溢れ出る。

 彼女は繊細だが、強かであった。


 何一つ狂わせない、未来を奪われるまいと、復讐の焔が灯る。 

 そして、何より許容できなかったのは。


「――――この子たちは、私の夢の結晶。私の大切なともだち。禁忌魔術なんかにされたままじゃ、絶対に終われない」


 リリアナの指と、人形の小さな手が触れる。

 

 小さくて儚い、友情の魔法が咲いた。




「それでこそ、私のお嬢様です。……身体を私にくれるのは、全てが終わった後で良いですよ?」



 そのメイドは、半ば本音の混じった冗談を口にしながら微笑み、また髪を梳きはじめる。


 されるがままの姿勢には信頼が、撫でる手つきには慈愛が、より深く宿っていた。




 



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