とかく小学生の世は住みにくい

夢月七海

とかく小学生の世は住みにくい


 アラサーの現在、暗い・卑屈・非社交的という負の三拍子が揃った性格で人生を歩んでいる私だが、幼稚園、正確には小学一年生のあの日までは、明るくて、人見知りや物怖じもしない子供だった。

 と、書けば悪くないのだが、裏を返せば空気の読めない子供であった。友達と楽しく遊び、好きな男の子に一方的にキスをして(これは記憶にないけれど)、数歳年上のいとこのお兄ちゃんについて回り、向かいの家の子供たちとも一緒に遊ぶ、そんな生活を送っていた。


 小学一年生に上がっても、それは相変わらずだった。ただ、全く無自覚ながらに、友達をイラっとさせる言動は取っていたのだろうと思われる。

 転機は学年集会の時だった。私の小学校には、教室に出入り口のドアや廊下側の壁がなく、廊下と教室の間に「広場」という絨毯を敷き詰めたフリースペースがあった。小学校入学したての私たちに、これがある学校は珍しんだよと、先生たちが教えてくれていた。


 それを聞いた私は、とてもいいことを閃いた。直ぐに手を挙げて、先生の話を途切れさせると、「この広場は、わくわく広場という名前にした方がいいと思います!」と宣言したのだ。

 先生は、この発言を気に入ってくれた。「それじゃあ、そうしましょう」ということで、色紙と画用紙で「わくわく広場」と書き、その広場の天井近くの壁に貼り出したのだ。


 それを見て、私はいいことをしたと鼻高々であったが、他の同級生たちは、結構反感を覚えていたらしい。仲良しの女の子・Aちゃんともう一人と一緒に下校中、Aちゃんからこう言われたのだ。

 「わくわく広場なんてダサいよ。○○学校の名前第一広場の方が良かったんじゃない?」


 ガーンと、頭を鐘のように撞かれたほどの衝撃を受けた。空気が読めないということは、相手の気持ちも慮れないということで、Aちゃんのように、わくわく広場という命名に嫌な気持ちを抱いている人の存在など、想像も出来なかったのだ。

 それから、私は人前で発言が出来なくなった。その後も、空気が読めない言動はあったはずだが、目立つことが極端に怖くなったのはこれがきっかけだったと断言できる。


 新しい友達が出来たこともあり、Aちゃんとはだんだん疎遠になっていた。それだけだったら、まだリカバリーできたのかもしれないが、四年生の頃、その新しい友達たちにいじめられるようになった。

 休み時間、彼女たちに私は引き摺りまわされて、掃除の時間には、掃除機で手の甲を吸われた。皮肉にも、これらの行為が行われていたのは、四年生の広場だった。


 このいじめは、一年経たずにピタッと止まった。しかし、いじめられていた相手と再び仲良くできず、私は友達がいない状態になってしまった。休み時間には図書館に行って本を読み、時間を潰していたので不登校にならなかったのだが、両親はそんな状況を心配した。

 両親の強い勧めで、私は吹奏楽部に入部した。運動音痴だったので、学校内の唯一の文科系の部活がそこだったからだ。パーカッションの担当になったのだが、その同学年生や先輩は少しオタク気質のある子たちで、漫画の話題ですぐに打ち解けた。


 と、書けばやっと安楽の地に辿り着いたかのように見えるかもしれないが、実際はちょっと歪んでいた。何故か、私だけ、彼女たちの間で流行していた漫画を読ませない、ということをなされていたのだ。後々読ませてもらったが、そのわだかまりは今もちょっと残っている。

 やっと、やっと心から友達と呼べるような、安心できる子たちと巡り会えたのは、小学六年の後半だった。卒業後は、その子たちと同じバドミントン部に入り、そこには私をいじめていた子たちもいたのだが、いつの間にか仲直りしていて、それなりのトラブルはありつつ、小学生ほどの波乱はない学生時代を過ごした。


 高校生になって、インターシップで我が母校の小学校に行った。担当は一年生だったので、久しぶりにその教室に来た。

 ふと、広場の上の方を見ると、「わくわく広場」と書かれた紙が、そのまま残っていて苦笑した。黒歴史というのは、案外しつこい。現在はどうなっているか分からないが、あれ以降も校舎を立て直していないので、残っている可能性もある。


 さて、このように自分の黒歴史を振り返った時に、思うことがある。Aちゃんの発言が無かったら、私の性格は変わっていなかったのだろうか? ということだ。

 実のところ、Aちゃんが「わくわく広場」というネーミングを否定していなかったとしても、私の性格が非社交的になりそうな瞬間は多々起きていた。例えば、スイミングスクールの自由時間におよいでいて、頭がぶつかってしまった男子に「キモい」と言われたこととか。掃除時間に、自分の机は自分でで仕入れするというマイルールを崩されて、大泣きした時とか。


 ドラえもんで、タイムパラドックスが起きない理由として、「どの交通手段を使っても、東京から大阪まで行くことが出来る」と説明したように、どのイベントを避けようとしても、根本的な空気の読め無さゆえに、私は今の性格になってしまうような気がしてならない。

 だから、全ての責任をAちゃんに押し付けるべきではない。とは分かっているのだが、割り切れないのも確かだ。


 もしも、今の私の目の前にAちゃんが現れたら……後ろ手で隠し持っていた包丁を、相手の鳩尾に刺してしまう……まではいかなだろう。

 ただ、「こんなことあったんだよ、覚えていないでしょ? これがきっかけで、私は人前で発言できなくなったんだよ」と満面の笑みで言いたくなるかもしれない。


 目立つのが怖くなり、人と関わるのが怖くなり、本を読むことを覚え、自分でも小説を書くようになった。読書や創作の喜びを思えば、今の人生も悪くないとは思うのだが、しかし、これまでの人生で舐めた苦汁を思い出し、でも、やっぱりとは言いたくなる。

 結局の所、私はまだ若いのだと思う。これは、年齢的な事ではなく、自分の半生を全肯定できるほどの経験や成熟が足りないということを表している。


 そして、Aちゃんに恨み言を言った後に、Aちゃんから、「でも、あの時にさー」と、私が覚えていない一言をぶつけられる可能性もあるのだ。何せ、空気が読めなかったのだから。

 現在、Aちゃんはどこで何をしているのか分からない。ただ、不毛な戦争を巻き起こすのならば、今の私と会うべきではないだろうと、結論付けている。


















  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

とかく小学生の世は住みにくい 夢月七海 @yumetuki-773

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画