2話【婚約破棄の代償】
「それで首尾はどう?」
王都からレストライア公国までの道には、いくつかの他領を挟み移動することになる。今は王都に隣接するケーライゴス領にある屋敷に到着し、私は湯浴みを終えた。
ドレスから動きやすいワンピース型の紺色に染め上げたナイトドレスに繊細なレースのカーディガンという夜着に着替えて寛いでいる。
万事は家臣たちが整える。
質の良いふかふかに手入れされたソファに座わり、メイドが差し出す湯上りのレモネードを口にしながら、私はシュレーゼに問うだけでいい。
生け捕った夜盗たちは地下に繋いで、この屋敷に普段から詰めている執事兼尋問官が楽しいお喋りを終えているだろう。
「夜盗についてですが、やはり雇われの下っ端共で、大した情報はありませんでした。何人か仲介を噛ませていますね」
私は目線で次を促す。
シュレーゼは「屋敷の周辺に敵影はありません。それと、本国へ早馬を走らせております」と跪いたまま言う。
「あなたも座っていいわよ。指示の出し通しね、いつもの物をシュレーゼに出しなさい」
控えているメイドに命じると、「かしこまりました」という返事と共にワゴンの上でドリンクを作り始める気配がする。
シュレーゼは命じた通りに美しい石造りのテーブルを挟んだ正面のソファに腰掛ける。
彼は執事であり、私の相談役でもあり片腕でもある。こうして同席させることは珍しくない。
それでも大きく身分に別たれてはいるため、同席を許された栄誉にシュレーゼが口を開く。
「寛大なご配慮を賜り、真に有難うございます。姫様」
「配下の管理も私の仕事のうちよ。あなたには本国へ戻るまでの間、私の側つきをしてもらうのですからね。常に万全であるように命じるわ。しっかり休息もとりなさい」
本国までの行程を考えると、どこの領の何者が敵対してくるかわかったものではない。備えは万全にしておくほうが戦を楽しめる。
それに戦闘能力は過信によって落ちるもの、油断によってもまた落ちるものである。相手が例え蟻の如き小さき者でも、毒を持っていればこちらが殺されることはある。
弱い振りをすることで勝利を収めるものがいるのもまた、人間であるのだから。
シュレーゼの前に蜂蜜入りの葛湯が置かれる。普段から彼の愛飲しているものだ。
手で飲んでよいと示すと、彼は恭しくカップを持ち、一口飲む。
「情報は何かとれていて?」
テーブルに置かれた装飾の美しい皿の上には、フルーツが芸術品のように飾り切られている。そのうちのひとつをつまみ、口に入れる。
濃厚な甘みが口に広がる。湯浴みの後にレモネードと季節のフルーツを口にするのは、私の夜の習慣でもある。
「我らを追って王家の者たちが馬車を走らせているようですね。多分に、交渉かと」
「交渉。フフ、交渉ね、その余地があると思っているのなら、この果実より随分と甘いこと」
もうひとつまみ、口に入れ、噛み砕く。くしゅりと口内で弾ける果実は、よく熟れてとても甘い。
私がシュレーゼから話を聞き終わり、皿から果実が消えると部屋にノックの音が響いた。
「どうやら到着したようです」
「ええ、参りましょうか」
シュレーゼから差し伸べられた手をとり、ふかふかのソファから立ち上がる。
屋敷のエントランスには、我が家のメイドから執事から騎士からが揃っていた。
その前には王の臣下たちが跪いて待っていた。
「宰相様、このような夜更けに何の御用かしら。寝不足は美貌の敵なのですけれども」
私はかしずく宰相をはじめとした王の家臣たちを見下ろして、囁く。
「この度はとんだ非礼を致しましたこと、とにもかくにも迅速に深くお詫びをと、……重ね重ね大変申し訳なく」
宰相はかしずくままに口にする。
「そうね。非礼を詫びるには、少し頭が高くてよ?」
私は微笑み、隣に控える騎士クレイデュオの剣をするりと引き抜いて、一息に宰相の首を落とす。
ゴトリと頭が床に落ち、血が噴水のように噴出す。私が血に濡れないよう、クレイデュオが前に出てマントで血しぶきを受けた。
「非礼を詫びるのであれば、頭は地につけなければ、ね」
剣をクレイデュオに返す頃には、かしずいていたほかの者たちは皆平伏していた。
「シュレーゼ」
名を呼ぶと、血の噴出す宰相の死体の懐からシュレーゼが書状を取り出す。
血に濡れた書状を受け取り、王印のつく封を開け目を通す。読み終わったそれをシュレーゼに渡し、「読み上げなさい」と命じると、シュレーゼがその美声で書状の内容を全員の耳に届ける。
一つ、王子と聖女は捕縛し、幽閉していること。
一つ、王子と聖女は公開処刑を行うこと。
その命を持って、非礼を詫び、賠償金の用意もあること。公での謝罪を王自ら行い、再びの会談を請い願うこと。
書状の内容を知らなかったようで、王の臣下たちの何人かは息を飲む。
「どうなさいますか、姫様」
「最も強い1人を残して首を刎ねなさい。平伏を解いて、抵抗し、戦うことを許します。私が書状を書くまでの間、皆、楽しむといいわ」
私はシュレーゼを伴って、執務室へと足を運ぶ。その背後では、剣戟と怒号、血と肉弾け跳ぶ美しい曲が聞こえていた。
「随分穏便になさるのですね。書状まで書き与えるとは」
執務室にの椅子に座ると、シュレーゼが名工の作った美しい筆記具を揃え置く。
それを手にとり、透かし入りの高級紙にペンを走らせる。
「処刑だなんてつまらないことはさせないわ。殺してくれと懇願させるくらいでなければ、罰にはならないでしょう?」
最も卑しい身分として、最も王に遠い仕事に従事させ、殺すことは禁じなければ。
復讐や報復を、処刑ひとつで終わりにするなんて。そんな甘いことは無い。苦い苦い後悔は長いほうが良いのだから。
「大体ね、自身の息子の行った非礼でしょう? 謝罪に王自らがこなくてどうするというのかしら?」
さらりさらりと心地よくペンが走る。
「王の首のひとつ差し出せないのなら、国ごと滅びたいということなのでしょう。あの王も耄碌されてしまったのかしらね。年月とは残酷なものね」
最後に署名を入れると、公国印の入った小箱が差し出される。首から提げたネックレスの1つを摘み、小箱の鍵となるペンダントトップを詰まんで小箱の鍵を開ける。
巻いた書状に蝋を落とし、押印する。
領主や王の持つ印は、公式文書に不可欠なものであり、財の1つでもある。私や兄の持つ印は、お爺様の印より小さい。同じ家紋徽章を使い、サイズで当主印と分けられている。
小箱は常にシュレーゼが持ち、私は鍵を常に首にかけている。もしこれらが揃って奪える者がいるとするならば、私はその者に見も心も捧げてもよいとすら思う。
「掃除は終わっているかしらね」
書状をシュレーゼに持たせ、屋敷のエントランスへ戻ると死体があちこちに散らばっていた。
「アレをやったのはミトラね、そっちはムファ、ソガム、メェレ」
死体1つ1つを指差して、王家の騎士たちを倒した者の名を挙げる。私が戦うことを許可したのがよっぽど嬉しかったらしい。
潰れて原型を留めない頭部から四肢全てが欠損したものまで、完全に鏖殺されている。それでも戦場には遠く及ばない。
「よくやりましたわね。偉いわ」
私はにっこりと微笑み、血と臓物の匂いに満ちたエントランスを歩く。
「クレイデュオ」
私が呼ぶとクレイデュオが1人の男を血塗れの床に平伏させた。彼が唯一の生き残りであるらしい。
「面を上げなさい」
男が自分のとも仲間のともつかない血塗れの顔を上げる。その目はまだ死んでいない。怪我はしているが死なない程度。少なくとも王都で書状を渡すまでは死ぬことないだろう。
クレイデュオはこういう手加減は上手い男だ。
「書状を持って疾くお帰りなさい。ああ、そうそう土産も持たせなければね」
目配せをすればクレイデュオが男に差し出したのは宰相の首である。
首と書状を持ち帰れば、もう少し王の頭もシャッキリするのではないかしら。
差し出すのが許される首は、王の物のみ。それ以外は許されはしないということも、きっと理解出来るに違いない。
ああそれにしても。
今の私は機嫌がいい。久々に血が騒いでいる。
戦いの残滓に身も心も昂ぶっている。明日の朝になったのなら。少し剣舞でもやろうかしら。
何にしても、今宵は軍靴の音を夢想して、よく、眠れそうだわ。
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1話のみのエイプリルフール企画でしたがご好評を頂きましたのでゆるりふわりと連載に移行しました(更新頻度は多分低めです)
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