押しに弱い俺が、彼女を一生推すようになるまでの話

ヘイ

第1話 おしに弱い

 

「…………」

 

 イヤホンから流れる音楽でいつも通りの現実逃避。周囲の音をかき消してくれる。しかも、俺の好きな音で。

 

「昼休み、終わりか」

 

 四〇分の昼休憩。

 教室から抜け出して一人。あの空間ほど耐え難い世界と時間がない。

 

「帰りてー……」

 

 ただ、一回でも抜け出したら戻るのも相当な覚悟が必要になる。溜息を長く吐き出してから立ち上がり教室に戻る。

 

「…………」

 

 体育館裏から教室に戻るまでの間、途中にある玄関ホールのゴミ箱に昼食で出たゴミを捨ててく。

 昼休み終了間際のホールは静かなもんだ。

 

「あ、おはよ」

 

 玄関で一人の女子生徒と出くわす。

 

「うす」

 

 たいらゆい、有名人だ。

 午後からの登校も割と普通にあるくらいの。それに学校を休む事もちょくちょく。だからと言って不登校という扱いでもない。

 

「もう授業始まらない?」

「うす」

「急いだ方よくない?」

「……話してる余裕はないっすね」

 

 靴を履き替えた平が俺を急かす。

 

「ほら、教室行こうよ!」

「うす」

 

 断る理由はなかった。

 

「……はあ」

 

 一歩一歩、授業ぜつぼうが近づいてる。

 後少しの地獄を乗り切ろう。今週は今日が終わっても、あと四日もあるが。

 

「はぁ〜」

 

 俺の溜息に平が振り返って「どんだけ溜息吐いてんの!?」とツッコミを入れてくる。

 

「平さんは凄いですね、尊敬しますよ」

「え? 何? いや、まあありがとう?」

 

 何のことだか分からない様子の平は教室の扉を開く。

 

「おはよ〜!」

 

 明るい声。

 本当に、平は凄い。俺は学校生活だけで苦しいのに、彼女は高校生の身の上ながら仕事と学業を両立させてるのだから。

 

「…………」

 

 しかも交友関係まで。

 友達同士で楽しそうに笑ってる。俺は勉強も、運動も、コミュニケーションもそれなりだ。いや、コミュニケーションは見栄張った。コミュニケーションだけは自信ない。俺にコミュ力があれば体育館裏で現実逃避しながら昼を過ごしてない。

 

「────万能超人だな」

 

 授業が始まって少しの間、平を目で追ってしまっていた。

 

「…………ん?」

 

 何か、平がこっちを見てる。

 と言うか、目が合ってる。何で目が合ってるのか。

 

「んん?」

 

 あ、そうか。

 

「…………すんません」

 

 俺は申し訳なく感じて顔を歪めて視線を逸らした。不躾に見てごめんなさい。別に好きな人を目で追ってるとかではなくて、と誰に対する言い訳か。

 

「────ね、茂森しげもりくん」

 

 帰りのホームルームが終わり、鞄に教科書をしまい込んでると平に声を掛けられた。

 

「何でしょう?」

「よし、まずその敬語を止めてね?」

「私の敬語は尊敬する方に遣う物で……」

 

 形式的には先生や先輩とかにも遣ってるけど、目の前の彼女ほど尊敬に値すると思える人物は出会っていない。

 

「それお父さんとお母さんにも遣うのかな?」

「平さんは私のお母様ですか?」

「お、お母様……って、それはどうでもよくて。同い年に敬語使われるの何か嫌なんだけど!」

「これがデフォルトなんで、会話の」

「なら」

「まあ、どうしてもって言うなら止めますけど」

「……止めれんのかい!」

「不快に思うなら戻しますが」

「……うーん、それはちょっと聞いてみないと分からないかな」

 

 平に言われたから。

 尊敬する人に言われたのなら敬語はやめておこう。

 

「それで……平、さん」

「平でよろしく。或いは唯でも可」

「唯呼びはハードル高いんで、平……さんで」

「平。さん付けはない方が好きかな」

「譲歩とかないの?」

「茂森くんは押しに弱いと見たね、わたしは」

「ぐっ……」

 

 その通りだよ。

 

「えー……と。た、平」

「オッケーでーす」

「よし、カット入った! それで平さん」

「思ったよりノリがいいね」

 

 それは俺の精神安定のためだ。

 

「それで何か?」

「ん? ああ、わたし?」

「いや、アンタ以外に何かあるかな? 何か用があったんじゃ……」

「あー。ほら、授業中茂森くんがわたしに熱視線向けてきたから」

「熱視線ではない」

 

 俺の否定に「もっと見てても良かったんだよ?」と笑う。

 

「な、何が目的だ」

「目的ー? そーんな簡単な事も分からないのかい、茂森くん」

 

 演技がかった言い方。

 

「わたしは、ね……君を堕としたいんだよ」

 

 愉快そうに。

 

「……は?」

 

 何、俺を堕としたい。そう言ったのか。笑ってしまう。

 

「いやいや、何言ってんだ。俺はもう平唯を尊敬して止まないってのに……ふー、意味が分からないネ」

 

 俺はこめかみに手を当てながら冷静を装って言ってやる。

 

「茂森くんをわたしの沼に引き摺り込んで……大ファンにさせて貢がせたい」

「鬼畜か!?」

 

 思わず叫んでしまった。

 

「出来れば一生」

「な、何の為に……!」

 

 俺から搾り取れるものなんて何もない。そんなことをしても先物商売とかそう言うレベルだ。

 

「わたしの将来の為に」

 

 平はどこまでライフプランを見据えているのか。

 

「と、と言うか何で俺が……」

 

 俺は平から興味を持たれるような面白い所はない。

 

「茂森くん」

「は、はい」

「────は、押しに弱そうだから」

「平ァアアアア!!!」

 

 俺の叫びに平がクスクスと笑う。

 

「あ、来週からわたしが出るドラマ始まるから」

 

 絶対観てね、と俺の手を握る。

 

「毎週、確認するから」

「……ハイ、毎週見マス」

 

 押し切られたし、番宣もされてしまった。

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