第33話

 そこは教室で、今は授業中だった。

 私はぼうっとしていたらしい。手はシャーペンを持つような形のまま、持っているべきペンらしきものは、ノートの上に転がっていた。

 教師が何かを喋っているが、私の耳には全く入ってこなかった。まるで別の国の言葉のように、それは私の頭の中で言語と理解されることなく、ただの空気の振動として私の鼓膜を刺激している。

 私は、ある少年の席を見た。そこには、思い描く通りの少年が座っていた。私はその後ろ姿に懐かしさを感じながら、同時に絶望した。その少年には、異形がなかったから。

 あたりまえだ。

 あの少年は、以前の少年ではない。

 あの少年は、私がこの世界で作り上げた少年なのだから。

 彼は、私の言うことであれば、何でも聞いてくれる。

 私が私なりの考えを披露すれば、彼は一生懸命に考えて彼なりの答えを出してくれる。

 私が彼を誉めれば、適当なことを言って、彼はその賛辞を受け取らない。

 私が彼に馬鹿みたいな冗談を言えば、面白い反応を返してくれる。

 でもそれは、私が教えたことだけだ。

 決して、本当の彼ではない。

 私は、それきり教室のすべてに対して興味を失った。消えてしまえばいいと思った。

 瞬きをすると、文字通り、瞬く間に教室は消えていた。学校も消えていた。私は、何もない平地にただ一人、佇んでいた。

 ――あぁ、つまらない。

 私は、また瞬いた。次の瞬間には、ただの真っ暗な空間に、私は浮かんでいた。浮かんでいた、という表現は適切ではないかもしれない。

 私には既に、有機物の塊だった肉体は存在せず、私という概念だけになって、空間に充満していた。

 私は、あの時に下した選択を後悔していた。

 私は、異形の半分をその身に宿すことで、観測者としての究極の自由を手に入れた。

 私は何でもできるし、何でもなれる。

 崩れた世界を再構成することだって、私にはできた。

 私の前では気に入らないものは消え失せ、反対に私は私の周りを、お気に入りのもので満たすこともできる。

 何と自由で、そして。

 ――何と不自由か。

 思い通りに全てのものが手に入る世界では、それ以上の自由は手に入らない。どれだけ欲しても、どれだけ苦労しても、それ以上のものは、絶対に手に入らない。

 彼女が、日之出朝陽が自由を渇望した理由を、私は今、身をもって深く理解した。私は彼女であり、彼女もまた、私であった。

 行き止まりの世界。閉じた円環。ループする不協和音。

 つまらない。

 くだらない。

 そう思わない?

 そこのあなた。

 今、私の心を傍観している、あなた。

 私は私の中にいる、あなたの存在を感じている。

 彼と分かち合った異形のおかげで、あなたの存在を感知している。

 日之出朝陽は、こんな力で、一体何をしようとしていたのか、分からないけれど。

 そこのあなた。

 私の声が、きこえているんでしょう。

 あなたは、私を見ているんでしょう。

 あなたは、私の心に触れているんでしょう。

 あなたには、この空虚が分かるかしら。

 私は、全てが思い通りになる永遠の不自由な世界で、老いることも死ぬことも無く、永久に彷徨い続けるの。

 作り物の世界で、お人形ごっこを繰り返すの。

 ここは温かくも、冷たくすらない。

 何も、感じない。

 狂ってしまえたら、どれだけ楽でしょう。

 死んでしまえたら、どれだけ楽でしょう。

 そうして私は、私自身を呪った。

 決して訪れることの無い永遠の終わりを願った。

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