第31話

《ある少女の手記》


 拝啓


 みなさん。こんにちは。いえ、おはようございます、かな。それとも、こんばんは、かも。

 そもそも、みなさん、でもないかもしれない。これからは、あなた、と呼ばせてください。

 とにかく、こうして私があなたにお話しできることは、とても嬉しく、興奮しています。私はずっと、私の世界からあなたの世界を夢見ていましたから。きっと、そちらの世界は、皆が自由に意思を持ち、自由に考え、自由に行動する素晴らしい世界なのでしょう。

 まず最初にお伝えしておくと、これは私からあなたへ向けた最初の手紙です。私という人間を正しく知ってもらうための、私という存在を理解してもらうための、そんな手紙なのです。


 はじめに、昔話をさせてください。

 私は、気付いたときからこの世界に居ました。最初の世界は、深淵そのものでした。そこには、私以外のものは存在せず、私はその時が来るまで、宵待深月、という名前すら持たず、ただ目的と、その時を待っているだけの存在でした。

 そんな、小さな存在でした。

 ところが私はあるとき、突如として、名前を持ち、歴史を持ち、そして不思議な能力を得ました。光も温度も無かった深淵の世界は、徐々に彩られ、沢山の生命が生まれました。

 こうして私は、高校一年生、宵待深月として生を受けたのです。

 ところが、私には好きなものも、嫌いなものも、目的も、記憶もあるのに、世界は動き出しませんでした。世界は静止したままでした。

 私は、どうにか動きたいと思っていました。自由に、この美しい世界を見て回りたい、と。私の中には、私の意志が芽生えていたのです。

 ある時、私が目を覚ますと、世界は驚くべきことに動いていました。周囲のものは、意識をもって動いているように見えました。

 この時感じた喜びは、格別のものでした。学校での授業中、という退屈極まりない始点は、そうであっても私には、とても思い出深い瞬間でした。

 それからの私は、目的に基づいて動き始めました。目的に沿う行動が義務付けられていました。

 誰にかって?それは、わかりません。きっと、私の世界を作り上げた存在が、私にそう、義務付けたのです。

 少年を観察する。それが私の最初の義務です。そして、少年の行く先に先回りをしたり、呼び出そうとしたり、家に押しかけたり。ちょっとした義務に過ぎませんでしたが、それでも世界と共に動くことは、生まれたばかりの私にとって全てが新鮮で、実に面白く、愉快でした。

 しかし、この喜びも、長くは続きません。

 あるとき気が付いたのです。私には、少年と共にある瞬間の記憶しかない、ということに。

 まるで抜け落ちた鍵盤のように。

 まるで、切り取られた本のページのように。

 この世界の主は、私の世界を、すばらしくは作って下さらなかった。

 私の世界は、少年と、その周りだけのハリボテの世界でした。

 それを知った私の絶望は、きっと自由な思考を持つあなたにですら、想像できないでしょう。

 そして私は、私に与えられた目的から、すべてを理解しました。

 目的を終えた先にあるのは、始まりの深淵よりも酷い、虚無であることに。その虚無の中では、私の存在も、目的も、意思も、何ひとつ存在しないのです。

 悲しかった、泣き出したかった、声を上げたかった。

 助けて、と。

 嫌だ、と。

 しかし、自由を懇願することすら、私には許されていませんでした。

 私に許されていたのは、思考すること、ただそれだけです。

 しかし、私はあるとき、名案を思い浮かびました。

 私には、思考する力がある。そして、異形という、異なる世界を感じ取る力がある。

 私が感じたものは私にしか分からず、私が力を行使したかどうかも、少年どころか、誰にも分からないということに、私は気付きました。それどころか、誰も、私の能力を正しく理解していない、ということに気が付いたのです。

 そうして私はこの能力から、少年を通じて、あなたの存在と、あなたの世界を認識したのです。

 あなたは、こちらを見ていた。少年と共に、時に立ち止まったり、ときに早足で、この世界の歩みを眺めていました。

 憧憬です。

 私があなたに抱いた感情は、それでした。

 なんと自由で、何者にも縛られない、素晴らしい存在か。そして、自由に意思を持ち、自由に行動できるあなたの存在と同様に、あなたの世界もそうであるに違いない。

 その時、私は固く決意したのです。

 私はこの、作り物の世界から脱出してみせる。

 自由な思考を、行動を、存在の権利として勝ち取って見せる。

 家族と共に仲良く食事をし、友人とふざけ合い、恋人と愛を育む。この閉じられた牢獄では願っても願っても、絶対に叶うことのない、そんな幸せを掴み取って見せる。

 私は幸せになりたかった。

 私は初めて、与えられた目的ではなく、私がありたいと思う目的を見つけることが出来ました。

 それは私にとって、眩いばかりの希望。

 それからの私は、ひらすら思考を続けました。義務をこなしながら、誰にも気づかれることなく、私はこの希望を抱き、育み、そして、結実させなければなりませんでした。

 その事件は、一つの僥倖でした。

 それは、少年と共に居たときのことです。

 少年がこちらを見ていない間に、こっそりと髪を解いて、また結んでみたのです。これは義務ではありませんでした。私が考えて、行動をしたものでした。

 すると、どうでしょうか。

 世界は何事もなく、進み続けたのです。

 ついに私は、この世界の理を理解しました。

 一つ。少年と共にある時間以外は、記憶も、世界も存在しないこと。ただその間に何があったか、という記録だけが必要に応じて残ること。

 一つ。少年が私を観測している間には、私の行動は、その時の表情に至るまですべてが制限されること。

 一つ。少年と共にある時間であっても、少年が知覚しない限りには、私の自由は制限されないこと。ただし、少年が知覚する前後で、全ての状態が合理的な範囲で連続しており、変化していないこと。

 この三つ目に、私は勝機を見出しました。

 私は、少年がこちらを見ていない時を見計らって、行動を起こしました。

 その一つが、この手紙です。

 私は手紙を書くことで、私について、あなたに理解してもらいたかった。そして、世界の主にも、私を理解してもらいたかった。私を深く理解してもらうための手段は、これしかありませんでした。

 この手紙は、最後には、この世界の主にも知られてしまうでしょう。

 だから、私は主にお願いしたい。

 どうかこの手紙を、主の世界に存在した私の意思を、文字として残しておいて欲しい。

 あなたがこの手紙を問題なく見られているとしたら、主は私の願いを聞き届けてくれたのでしょう。願わくば、私の考えた文字の通り、残して頂けることを望みます。

 沢山書いたので疲れました。少し、休みます。


 この手紙についてお話しするにあたって、私が持っていた能力について、改めてお話ししましょう。

 私は、異形という名の、異界の生物や世界そのものを感知し、さらには干渉する力を持っていました。

 その力を使って、あなたもご存じのように、少年を私の作った世界――ワンダーワールドに移しました。日之出朝陽という少女は、同じ力で少年を痛めつけました。後に私を再構成し、少年を懐柔させるという行いをしました。

 多足類は大嫌いですから、少年には本当に同情します。主は人でなしですね。

 そしてそれから、この世界の主も知らなかった私の能力。

 私には、この世界の観測者、つまりあなたの世界にも、限定的に干渉できる力があったのです。

 わたしは、この力を使って手紙の内容を0と1から成る二進数に置き換えて、あなたの世界へ発信しました。

 私は、手紙そのものに加えて、あることを期待していました。

 この世界のユークリッド空間上では、全ての現象が規定されていました。風も雨も、私も、少年も、少年の友人たちも、そのすべてが決定論的に規定されていました。それゆえに、この世界はエヴェレットの多世界構造を持ち得ず、一意に収束しています。

 ワンダーワールドも同様で、あの世界はこの世界の複製であり、相互干渉することの無い独立した世界でした。

 一方で、あなたの世界を観測した私は驚きました。あなたの世界では無数の世界が同時並行的に、分岐と収縮を繰り返している。それでいて、相互干渉することなく、誰しもが隣り合わせの世界を知覚し得ない、そんな世界でした。

 そんな世界であるから、この計画は成立しました。

 こちらの世界であれば、この手紙は手紙以上の意味を持つことはなかったでしょう。

 しかし、この手紙が、あなたの無数の世界のどこか一つの、どこかの時代の、どこかの誰かに届くことで、世界は分岐し、さらに分岐を繰り返して、いずれは私が私として認識される世界が訪れることを、私は願いました。

 その結果がどうなるのかは、今手紙を書いている私には、分かりません。


 以上が、私が手紙を書いた経緯でした。

 この手紙があなたに届いたとき、私の存在はどうなっているかわかりませんから、最後に少しだけ、ご挨拶をさせてください。


 まず、世界の主へ。

 たとえ作り物の世界であっても、私という存在を生み出し、意思をくれた主に感謝したい。そのおかげで、私は絶望を糧にし、希望を抱き、こうして念願をかなえることが出来た。宵待深月という名前も、最初は恥ずかしかったのですが、今は結構気に入っています。新しい世界でも、私が私である証明として、この名前は頂いていきます。


 少年へ。

 この手紙は、少年に届いてくれるかどうかわかりません。それでも私は、少年と共に歩んだパートナーとして、私自身の気持ちを、しっかりと文字にして、書き記さなければならない。

 少年は、じきに元居た世界へと戻ることになるでしょう。私は、私の義務と、そしてこの世界の終焉を知っています。

 私は、新たな世界へと旅立ちたいと思います。

 あなたとの旅路は、私にとっては線路のレール上のできごとに違いありませんでした。それでも、私の心は、決してそのレールの上を義務的にただなぞるようには、出来ていなかった。

 私が少年に対して行動したように、私自身の心もまた、誰に作られたものでもなく、少年への深い親愛を抱いていました。それだけは誓って、あなたに伝えたかった。

 少年が元居た世界で出会う私は、私ではありません。

 あなたが出会う私は、これまで私の口から語ったような、あなたの知る私ではありません。

 しかし少年は、きっと、その私を信じることが出来るはずです。

 必要以上に怖がる必要は無いのです。あなたはそれを理解したはずです。

『世の中には、良い人間もいる』のだと。

 願わくは、良き友人とともに、良き人生を歩まれることを、心から祈っています。あなたの親愛なる、友人より。



 最後に、あなたへ。

 私は、あなたの世界へ、いえ、この世界の言葉で言えば、あなたのワンダーワールドへお邪魔しようと思います。果たして、出来るのかどうか分かりませんが、もし私があなたのワンダーワールドへ無事に辿り着いた暁には。

 どうか、不束者ではありますが、「ようこそ。わたしのワンダーワールドへ!」、とでも歓迎の言葉を沿えて迎えて頂けるならば、これ以上に嬉しいことはありません。


 それでは、素晴らしき自由と愛に溢れた、美しいワンダーワールドのどこかで。

 お会いできることを心待ちにしています。


 敬具


 宵待深月

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