第22話

《五章》


 四月も終盤に差し掛かっており、いよいよ黄金連休が迫っている。

 俺はといえば、深月と真帆、向島と四人でのベランダ定例食事会がいよいよ板についてきて、自作のおかずを皆に披露する程度には、市民権を得ていた。

「しぃやん、ナニコレ!フライか?」

 向島は、真帆経由により妹が俺を『しぃちゃん』と呼ぶことを知り、絶賛悪ふざけ中であった。

 なぜしぃやんなのか、依然聞いたことが有るのだが、男子にちゃん付けは恥ずかしい、という至極まっとうな理由だった。

「そいつはレンコンのはさみ揚げ。昨日の晩飯の残りだが」

「結構いけるわね。サクサクしていて、それでいて中のひき肉がジューシーだわ」

「志渡くんの料理スキルがどんどん上達していくねえ」

「うん、うまい!」

 三者三様のリアクションを聞きながら、それなりの出来であったことに俺は幾許か得意げになった。決して顔には出さないけれど。

「そりゃよかった」

 と、軽く受け流す程度にしておく。

「そういえば、皆は大型連休、どう過ごすん?ちなみに私は毎日部活なんすよ。死ねるー」

 向島は、陸上部に入部したらしい。真帆は吹奏楽部で、深月は生徒会なので部活は入っていないそうだ。無論俺は、帰宅部のエースを目指している。

「陸部大変なんだね。うちの部活も、連休中に市民行事に出演するから、練習詰まってるなあ。行事自体は、一年生は雑用なんだけどね」

「特にないわね」

「同じく」

 一応、俺も答えておく。

「あ、じゃあさ。うち、連休の最終日だけ、丸一日休みなんだよね。真帆も市民行事終わったら暇になるんじゃない?最後の日さ、どっか行こうよ」

「うん。いいよ。どこいこっか?」

 と真帆は明るい声で答えた。

「私も、問題ないわ」

 と、いつもの調子で深月。

 さて、こういう時に男子である俺はどういう態度をとるべきであろうか。俺は紳士であるし、自らの立場を理解し弁えているつもりだ。

 この昼食会も、もともとは俺と深月で始まったもので、別に真帆や向島が来るからといって、俺が場所を移さなければならない謂われはないだろうという思いで、毎日居座っているにすぎない。

 つまりは、俺は女性陣にとっておまけである。そんな俺が、どうして無遠慮にも秘密のお茶会に参加できようか。

 答えは、沈黙。沈黙こそ美徳。

 呼ばれてもいない場所に行くほど、滑稽なものはないから。

「で、しいやんは。どうすんの?」

「はあ」

 我関せずで飯を食っていたところを、向島に奇襲されてしまった。

「勿論来るよね」

 真帆は満面の笑みを浮かべているし、深月は……何を考えているか分からない。

「ね?」

 俺の制服の袖をぎゅっと握った真帆に、既に俺は戦意喪失していた。これ以上の抵抗は死を意味することを、俺は長年の経験からよく知っている。

 俺の答えは、もう決まっていた。

「暇だし行くとするか」



 習慣は三日でできる。まるでハウツー本の宣伝文句のようであるが、それは事実だ。俺は深月と共に過ごしていた数日間で、すっかりそのルーチンが身についてしまっていた。深月が生徒会に行っている間に、俺は図書室で本を読み、生徒会が終われば共に帰る、というものだ。

 今日は、いつぞや喜兵が喋り倒していた、ハイデガーの『存在と時間』という本を読んでいたのだが、難解すぎて読んでいる途中で何度も時間が吹き飛んでいた。

 図書室に来た深月に起こされたのは、五回目か六回目ぐらいの時間旅行を楽しんでいた時だったと思うが、定かではない。

 起こされた俺は、寝ぼけ眼で図書室を後にした。

「こういう時って、何を着て行けばいいのかしら」

「俺に聞くな」

「私、友達と遊びに言った経験が無いの」

 学校を出て、二人して並んで帰っていると、深月が思いついたように言った。別に言わなくてもなんとなく分かっていたから、わざわざ言わなくていいのに。

 そういうことは男性である俺に聞いたところで何の解決策にもならず、同性同士で話すべき話題だ。

「ごめんなさい。変なことを聞いてしまったわね」

 自分の間違いに気付ける人間は偉い。俺は、深月にそう言ってやろうとしたのだが、

「九夜くんが制服とジャージ以外持っているわけないものね。聞く相手を間違えたわ」

 との言葉を聞いて、褒める気は失せた。

「うむ、聞く相手を間違えたことに間違いはないが、その理由が俄然失礼と思わないか?」

「そうかしら。出かけるのにジャージを着ないというだけで、私は、ジャージ好きよ。その言葉はジャージに失礼だわ」

 ジャージに失礼なんて日本語は始めて聞いた。まずジャージより人間の尊厳を大切にする感性を深月に身に着けて欲しいと思う。

 だが確かに言われてみれば、深月の制服姿と寝間着姿くらいしか、俺は見たことが無いように思う。こいつは普段何を着ているんだろう。

 などと一人妄想に耽っていたので、俺は深月がこちらを見ていたことに気が付かなかった。

「九夜くん。あなたは、この町の外に出たことがある?」

 変なことを聞く奴だ。あるに決まっている。

「本当に?」

「何を疑ってる?俺が嘘つきか、正直者か見極めたいのか?」

「いいえ。それじゃあ、一緒に電車に乗って隣町に行きましょうか。電車を使えば、駅から五、六分で着くはずよね。ついでに、服を買う練習もしましょう。おまけに、遊びに行くための服も買えるから、一石二鳥ね」

 服を買う練習とは何か、問い詰めたところで深月は絶対に俺を路傍の石の如く無視し続け、挙句の果てには蹴り飛ばすだろうということは想像に難くなかった。

 結局、人をまるで町から出たことの無い引きこもり呼ばわりした意図は、おそらく服を買いに行きたかった、ということなのだろう。

 隣町、と言えば娯楽も何もないこの学校周辺に比べれば、映画館やゲームセンター、大型ショッピングモールや水族館など、娯楽に事欠かない場所である。俺は中学生の頃に一度行ったことが有るのだが、本当に娯楽の少ないこのあたりでは、高校生のカップルやらが連れ立ってショッピングをしていたのをよく見たことが有る。

「まあ、かまわないが」

 平静を装って言った。

 ばかばかしいと思いながらも、女子と二人きりで出かけるというのは、真帆は例外として初めての経験だ。その声は少し上ずってしまったような気がした。

「それじゃあ行きましょ。今なら、二十分後に出る電車に間に合うわ」

 随分と計画的な犯行である。思うに、俺が断ったとしても無理やり連れて行かれたに違いない。

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