第12話

 文芸部室のドアをノックすると、入れ、というくぐもった声が聞こえた。文芸部室の中央にある長机に向かって、ちょんまげの喜兵だけが椅子に座り無表情で本を読んでいた。

「喜兵、放課後にすまんな。こっちが、同じクラスの宵待深月だ」

 俺は、後ろに付いてきていた宵待を、喜兵に紹介した。

「宵待深月です」

 宵待は頭を下げて、喜兵に挨拶をした。かたや喜兵はというと、こちらを一瞥して、西極喜兵、とこれまたごく簡単な自己紹介をした。

 俺は、喜兵の対面の椅子に座って、さらに隣の椅子を宵待に勧めた。宵待は静かに、隣の椅子に座る。

「喜兵。昼に電話で話した通りなんだが……改めて聞く。俺は昨日、お前と何か話したか」

 喜兵はぱたん、と本を閉じてから、俺の方を向いた。

「何度聞いても答えは変わらん。対面でも電話でも、俺はお前と話した覚えはない」

 やはり、そうだ。

 教室を見回していた時に見つけた、黒板に書かれた日付。携帯電話に表示される日付。そのどれもが、俺の中では昨日の日付だった。

 昨日という一日の出来事が、抜け落ちた様にどこかに消えてしまった。喜兵にも、宵待にもその記憶が無い。

 俺は、俺の中であった昨日の出来事を、二人に話して聞かせた。

 宵待が居なくなったこと。変わり日之出朝陽という生徒が現れたこと。喜兵に相談をしていたこと。日之出朝陽との対話。

 喜兵はその鋭い目を時折細めたりしながらも、大きく表情を変えることなく、淡々と俺の話を聞いていた。

 一方の宵待は、表情を硬くしながら、俺がムカデ山に囚われたあたりなどは、肩を縮こまらせていた。怖いのだろう。俺も、もう二度と思い出したくない。話しているだけで気持ちが悪くなる。

 一気に話し終えた俺は、沢山喋って乾いた喉を、唾液で潤した。飲み物をもってこればよかったと後悔した。

 喜兵は、閉じた本の裏表紙をコツコツと指先で叩きながら、しばし何かを考えているようだったが、ようやく口を開いた。

「まずは率直に言おう。夢だ、と断定するには、あまりにも記憶が鮮明だと感じた。志渡と俺との対話は、まさに俺が話すならそうであろうと考えるとおりであるし、薄気味悪い日之出とかいう女は、妄想にしては出来が悪い」

 出来の悪い妄想に晒された俺の身にもなれ。

 喜兵はそれから、いつもの冷静な彼にとっては珍しく、机に身を乗り出した。

「ところでだ。俺は自分の意見を考える材料に、宵待女史の意見を伺いたい。どうやら、この手の話に造詣が深いようだからな。志渡の体験を、どう捉える」

 喜兵は、俺の隣の宵待を射殺すような目で見た。こいつは見た目は線が細くて端正な顔をしていると思うが、いかんせん目つきがキツすぎる。

 宵待は、自分の考えをまとめるように目線を少し下げてから、喜兵と、俺の顔を交互に見ながら、喋り始めた。

「その、日之出朝陽さんという方が、怪しいわね」

 俺はその先の言葉を待った。喜兵も同様だった。

 渦中の宵待は、うんうん、と満足げに頷いている。

「それで?」

 俺は一応、先を促した。喜兵はすべてを察しているように、机に乗り出した身体を起こした。

「怪しくないかしら」

 最初は本気なのかボケなのか分からなかったが、どうやら本気のようだった。人は見かけによらないというが、俺はあの入学式での名演説のハロー効果でこの女子生徒を見誤っていたらしい。

「ありがとう、大変参考になった」

 喜兵はそう言って、今度は俺の方を見た。

「だそうだ。どう思う、志渡」

「そりゃそうだ。目下の敵だ」

「他にはそうだな……。あるとすれば――」

 喜兵はそこで、不意に口元に手を当てて目を瞑り、僅かに俯いた。

「ん?どうしたよ」

「いや、なんでもない。思い過ごしだ。その日之出朝陽という生徒が何らかの秘密を知っているとみて、ほぼ間違いはない」

 顔を上げた喜兵は、普段と変わりなかった。滔々と喋る喜兵にしては、珍しい仕草を見た気がした。よほど思考に気を取られたのだろう。

「そういうわけで、俺が宵待を連れてここに来たのは、この、よく分からん状況を打開したいからだ。今のところ、俺は日之出に対して何の抵抗力も持たない。為されるがままだ。今、宵待のマジカルパワーと喜兵に期待をしている」

「あまり期待されても、困るわ」

 宵待は恥ずかしそうに顔を背けた。今は猛烈に前言撤回したい。先ほどの名推理から見ると、期待は裏切られるに違いない。朝令暮改。

「抵抗だと。そもそも抵抗する必要すら、無いのではないか」

 椅子の背もたれに身体を預けながら、喜兵は言った。

「理由は分からないが、日之出朝陽は、世界からお前という存在を手放したわけだ。だから、お前は宵待氏が居るこちらの世界に戻ってきた。それだけのことだ」

「随分、断定的なんだな」

「そうとしか考えられない」

 喜兵には珍しく、彼の整理は一辺倒だった。他の理屈が不成立であることを、一瞬で見抜いたのだろう。俺は改めて尋ねた。

「そうすると、無視してもいいと?」

「そう考える。宵待氏の異能力を聞く限り、日之出朝陽は志渡に対する目的の完遂において、宵待氏の能力を警戒していたように思える。それ故に、日之出朝陽は宵待氏を消失させた、と考えるのが妥当だろう。それがこうして元に戻ったということは、宵待氏が脅威では成り得ないからであり、すなわち九夜志渡を屈服させる必要がなくなった、ということだ」

 たしかに喜兵の言う通りであるのだが、俺はなんとなく、納得できずにいた。

 西極喜兵は徹底的懐疑主義の塊だ。全ての賽の目に対して、仮説を構築し、検証し、リスク回避的に対策を考案する。それが西極喜兵という人間だ。彼が常々、口にする言葉がある。リスクは、事象の発生確率と、被害規模の掛け算である、と。したがって、どれだけ確率が小さくても、甚大な被害をもたらしかねないと思えば、事象の被害を最小限に抑えるための方策を練る。そんな男なのだ。

 そんな俺のもやもやとした思考は、余程顔に出ていたと見える。

 俺を見て、喜兵は言った。

「納得がいかんようだな。無理もない。人は認識したいように認識する。幽霊の正体見たりなんとやら、だ。恐れを抱いていれば、より恐ろしく見える。俺は不要だとは思うが、一つ、保険を提案する。志渡。お前はそこの宵待氏としばらくの間、活動を共にするのだ」

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