第10話
生徒会室を出た俺は、震える膝を無理やり動かして、這う這うの体で家路についた。
気に入らないことに、俺の精神はあのたった短い時間で極限まですり減らされた。帰る途中で二度ほど催し、胃の中はすっからかんになった。酸素が足りないのか、水分が足りないのか、カロリーが足りないのか、あるいはその全てからか、手足は震え、夕暮れの夜風が酷く冷たい。家に着くころには、俺は全身を震わせていた。
家には既に門灯が点いていた。紗那絵が帰ってきているのだろう。
家に入ると、俺はすぐさま風呂に入った。身体の冷えは耐え難いものになっていたし、悪寒が止まらなかった。
熱いシャワーを頭から浴びると、ため息が漏れた。身体は徐々にあたたまり、ひと心地ついたような気分になる。おそらく先に紗那絵が入ったのだろう、湯船には湯が張られていた。
頭と身体を念入りに洗って湯船につかると、冷え切っていた身体がじんじんとしびれるような温かさを感じ、力が戻ってくるような心地がした。目を瞑り、身体に伝わってくる熱を感じ入る。
ようやく、頭にも血が通ってきた。
二度と思い出したくもないという気持ちに反駁して、俺はなんとか、朝陽との会話を思い出そうとした。
あいつは何と言っていたのか。私の世界、など、思い通りになる、ならない、だのと言っていた。その言葉の全てが信じられるとは思わないが、今のこの世界は、朝陽によって作られ、操作されている世界ということか。奴が俺の目の前でやってみせたことを考えれば、あながちブラフでもないのだろう。
俺は、湯船から腕を持ち上げた。
中学時代に剣道部に所属していたが、筋肉がつきにくい体質なのか、その腕は、白く細い。温まり赤みかかっているが、傷や腫れのようなものは見られない。全ては、幻視や幻覚だったという可能性は。
奴の目的はなんだ。何故俺を生徒会室に呼び出したのか。
俺は奴にとって、思い通りにならないという点で、目障りだということはわかった。一方で、俺が今現在の俺という人間から物理的にも精神的にも大きく変質してしまうことを、あいつは避けたがっているようである。朝陽は、俺が自主的に思い通りになることを望んでいる。
奴の望みは何だ。俺を従えた先にある目的は。
「しぃちゃん遅い~!」
風呂場のドアが唐突に開け放たれて、俺は湯船の中だというのに、思わず居住まいを正した。
紗那絵がドアから顔だけのぞかせて、こちらを見た。
「お腹減った‼早く出てきてよ」
「……風呂ぐらいゆっくりさせてくれ」
「あと十分したら先に食べちゃうからね‼」
紗那絵は音を立ててドアを閉めた。
考えがまとまらない。紗那絵の言う通り、さっさと食事をしてエネルギーを補給した方がよさそうだった。一緒に風呂入ろうぜ、くらいの軽口が叩けるようでなければ、平常運転とは言えない。
風呂を出た俺は、珍しく紗那絵が用意してくれていた夕食の席に座った。
紗那絵は、時折、なんか調子悪そうだね、とか、大丈夫、とか言っていたような気がするが、俺は適当に相槌を打って、昨晩の残りのカレー少し食べた。
皿洗いもやっておくから早く休んだらどうか、という紗那絵の提案は抗いようのないもので、既に猛烈な眠気に襲われていた俺は、全てを紗那絵に任せて早々に自室に向かった。あまりにも、目まぐるしい一日だった。
倒れるようにして自室のベッドに転がったのが、最後の記憶だった。
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