第3話
それ以上のイベントというイベントもなく、部活動見学という青春の一ページの序文を歯牙にもかけずスルーして我が家に定時帰宅をした俺は、キッチンで晩飯作りに勤しんだ。
妹、九夜紗那絵の姿は家になかった。まだ、中学校の部活中だろう。
俺が直行帰宅を決めた理由には、学内イベントに興味が無いというほかに、もう一つ理由がある。
晩飯を紗那絵に邪魔されないうちに仕上げておきたかったからだ。あいつの手伝おうという意志は大変有難く思うのだが、ことごとく不器用ときている。カレーというごく簡単な料理であっても、皮を剝かれすぎて小さくなったジャガイモや、不揃いな人参たち被害者の会を作り上げてしまうのは、食への冒涜に等しい。
食材を刻み、焦がさないようによく炒め、カレールウを入れて煮込んでいるときに、ドアの開く音がした。
「ただいま~ぁ!」
元気な声に続いて、廊下をどたどたと走る音。おさげ髪をぴょこぴょこと元気に飛び跳ねさせながら、中学指定の薩摩色ダサジャージ姿の紗那絵がキッチンに現れた。
「今日カレー⁉いい匂い」
目を見開いて輝かせた紗那絵は、とたとたとした足取りで鍋の方に近寄ってきた。
「そ。食べる前にさっさと風呂入れ」
「もっちろん。しぃちゃん先に食べないでよね」
この歳でちゃん付けされるのは何とも面映ゆいのだが、昔から母さん、九夜飾利が俺をしぃちゃんと呼ぶせいで、自然と紗那絵も俺のことをそう呼んでいる。たまに名前を呼び捨てにして、志渡、と呼んでくることもあるが、俺としてはまだそちらの方がマシだ。
ちなみに、飾利は紗那絵のことをさぁちゃんと呼ぶわけだが、俺は断固として紗那絵と呼ぶ。妹にちゃん付けは兄の沽券に関わるしな。
食器をテーブルに並べるのは、紗那絵の仕事だ。俺は、並んだ食器に、カレーや、サラダを盛り付けていく。
「いただきます」
俺たちは、二人で食事を始めた。
「ん。今日のカレーちょっと甘めだね」
カレーライスを一口食べた紗那絵が、早速カレーを品評してくれた。
「試しにはちみつを入れてみた」
「嫌いではないかも」
「それならよし」
食事をしながら、俺たちは今日の学校の出来事なんかを喋り合った。無論、俺はクラスメイトのとある女子から殺されそうな熱視線を受けているというようなことは、露どころか霞ほども、紗那絵に提供してやるつもりはなかった。
「しぃちゃんは、部活は入んないの。ほら、剣道やってたじゃん」
「高校ではやるつもりないな。帰宅部でいい」
「いい、って。そんなんじゃ友達できないよ~?」
「ま、そのうちできるだろうさ」
「んーもう。クラスの人たちはどうなの?」
俺は一瞬、宵待のことが頭をよぎったが、あれこれこんなやつがいて、なんて話のネタにするほど、俺は性格の悪い男ではないと自負しているので、結局、答えられることは一つしかなかった。
「今は様子見期間だな。仲良くなれそうな人でも探すよ」
その答えに、紗那絵は不満そうだった。
「しぃちゃんがそれでいいなら良いけどさ。でも、クラスで仲いい人の一人や二人くらいいた方が、学校生活も楽しいんじゃない?」
そりゃ俺も、クラスに幼馴染が二人いるような状況であれば嬉しいし楽しいと思うが、そう願ってみても上手くいくものでもないだろう。結局、クラスに割り振られた人間のみ、その学校に居る人間のみで、良い人間関係を構築しないといけないという考え自体が、俺は間違っていると思う。
という持論を展開すると、紗那絵はしぶしぶ押し黙った。
「でももしさ、困ったことが有ったら言ってよ。私、料理は下手だけど、友達作りには自信あるからさ」
と、紗那絵は自慢げに言った。
確かに、紗那絵は友人が多く、よく遊びに出かけるのだが、時折かかってくる電話は、だれそれがとある男子のことを好きだとか、だれそれが調子に乗っているとか、ありえないとか、そんなものばかりだ。
そうしたセンシティブな沢山の電話を上手に捌きながら人間関係を良好に構築している紗那絵は、人心掌握のスキルが高いと思う。おそらく、俺のなけなしの能力も、彼女に奪われてしまったのだろう。
いや、そこまでにしておこう。
俺はそんなことが、自分の対人能力の不備の本当の原因だとは、微塵も考えていなかった。俺の心は過去によって、確実に削り取られて、種子をむき出しにした果実のような、酷く脆い姿に作り替えられてしまった。
だが、だからと言って自分自身を否定しているわけではない。それもまた、俺なのだ。
もし、自分の思いが動くようなことが有れば、その時は紗那絵の力を借りるとしよう。
俺たち二人の話題は、それから授業内容だとか、紗那絵が今勉強中の単元について教えて欲しい、といったものに変わっていった。流石に中学生の内容であれば教えられるので、食事を終えたら教えてやるという約束をした。
兄として、俺の出来るだけのことはしてあげたい。
夕食を終えた俺は、リビングソファに身体を預けてくつろいでいた。キッチンの方では、紗那絵が洗い物をしている。正直、皿を割らないか不安なのだが、料理をさせるよりは良いだろうという判断で、紗那絵には片づけを担当してもらっている。
「あ‼お弁当の唐揚げ残してる!もったいな」
キッチンの方から声が聞こえてきた。夕食の食器と共に弁当箱も洗っているのだろう、俺は無情にも地面に落ちてしまった唐揚げの存在を思い出した。
「それ落とした奴だから食うなよ」
「もう食べちゃった……」
食欲旺盛がすぎる。カレーを二杯もお替りして食い足りないのか。
「唐揚げは別腹なんだよ?」
「お前にはいくつ腹があるんだ?」
「うーん。四つくらい?」
牛かよ。
その割に身体が細いのは、部活動で毎日運動しているからなんだろうな。俺が同じ量を食べていたら、ぶくぶくと太っていくに違いない。
「そういえば、お弁当箱に紙入ってたけど、捨てていい奴?」
「紙?」
全く思い当たる節が無く、はて丸めた紙屑でも入ってしまったかと考えながら、俺は紗那絵のいるキッチンへ向かった。
「それ。なんかの用事?」
洗い物で両手がふさがっている紗那絵は、顎先を指すようにしゃくりあげた。そこには、暗記カードのようなサイズの一枚の紙片があった。
「なんだこれ」
俺は紙片の文字に目を落とした。そこには綺麗な手書きの文字でこう書いてあった。
『本日 理科準備室 一七時半』
誰かのメモ書きが偶然弁当箱に落ちたのだろうか。
「どこに入ってた?弁当箱の袋とか?」
「唐揚げの上に乗ってたよ。よくまあ、気が付かなかったよね」
ますますわからない。俺は昼時の記憶を掘り起こした。
周りに人のいない自席で弁当を食べていた俺は、真帆にイタズラをされて唐揚げを取り落とし、落とした唐揚げを拾い上げて、弁当箱の隅に入れた。紙が混入したとすれば、それ以降だ。近くに居たのは、真帆と向島だった。二人が暴れているときに、何かの拍子で偶然、唐揚げの上に誰かのToDoメモが乗ってしまったのか。
「誰の予定か分からんが済んだ予定だろうし、捨てといてくれ」
「あいよー」
紗那絵の返事と、玄関のドアが開く音がしたのは、同時だった。
「たらいまぁ」
明らかに呂律の回っていない声が聞こえてきたので、一瞬ですべてを察した俺は玄関の方へ向かった。こういうときは大概、次の瞬間には玄関でスーツ姿のまま大の字で寝転がっているのだ。
あきれ顔で母、飾利を迎えに玄関へと足早に向かった俺の表情は、一瞬で固まった。
酔いどれの飾利の傍らで、肩を貸している制服姿の人は誰であろう。
――宵待深月、その人であった。
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