#6

「あれ、またふたりで来たの」

 顔を見るなり、開口一番娘が言う。

「ええ。今回はお父さんも一緒に来ようと思っていたのだけど、建付けを直す際に腰を痛めちゃってね。当分治りそうもないからふたりで行ってこいって」

 ねえ。と腕に抱いたかぐに同意を求めると、ワンと返事をする。数年で都の様子もずいぶん様変わりした。今回はお包みを巻かずにそのまま近くの宿場からふたりで歩いてきたけれど、「かわいい」とか「変わった犬だ」と言われはしたが危ない目に遭うようなことはなかった。

 ゆみは相変わらず長屋に一人暮らししている。少し痩せたようだが血色もよく、本当にただ忙しいのだろう。

 机の上には書きかけの紙が散らばっている。忙しいせいか筆致が乱れている。おやどうも手紙の代書のようではなさそうだ、とまじまじ眺めていると、どうやら物語らしい。

「あんた、物語書いているの」

「まあね」

 決まり悪そうにゆみが答える。

「でも、あんたあんまり本読まないじゃない」

「その分母さんがたくさん読んでるからいいのよ。私と母さんは見えないへその緒でずっと繋がっているからね。母さんが読んで、私が書くって寸法よ」

 まあた訳の分からないことをほざいている。まったく、何を食べたらこういう思考回路になるのだか。

 とはいえ、物語を書く人は、多少なりとも常人とは違う頭をしているものなのかもしれない。流行作家の足元にも及ばないまでも、いくつかの題は耳にしたことがあった。まりが読んだことがないのは、それらが子供向けの物語だからだ。

「どうしてまた物語を書こうなんて思ったの」

「……この長屋は年寄りが多いからね。ご隠居方の昔語りに色を付けて遺してやるのも一興かと思ってね」

「ふうん。それはご大層ね」

「今はかぐの物語を書いている途中よ」

 膝の上で眠るかぐの背を撫でながら、ゆみが言う。「あら、どんな話?」煎餅を齧りながらまりが相槌を打つ。

「おじいさんが竹藪で三寸ばかりの小さな姫を見つけるの。不思議な赤子で三月ばかりですっかり成長して、家の中も豊かになる。そして、その噂を聞きつけた都の貴公子達から求婚されるのだけれど……」

「あら、なんだかそれってどこかで聞いた話ね」

「物語の出来はじめの親、よ」

 まりが横槍を入れると、ゆみはぺろりと舌を出した。

「光る君の物語に叙述のある、竹取物語のことね」

「ええ。当時の物語は散逸されてしまって、今は、竹から生まれたお姫さまが月へ帰る話だと伝わるだけだけれど、私はもっと壮大なお話にしたいのよね。物語の親として、立派な姿を与えてやりたいの」

 あきれた! まりは目を円くした。本当に、飽きれるほど大した夢だ。この子は放っておいても自分の道を進んでいくだろう。

「折角だからちょっと昔馴染みの所へ顔を出してくるわ」

 かぐを起こさぬようそっと立ち上がったところに、がらりと入口の引き戸が開いた。

「ゆみ姐さん! 活きの良い秋刀魚が手に入ったから、今晩うちで一緒に食わないかい。っとと」

 活きの良い青年は、まりとかぐの姿を認めて、途端に折り目正しく挨拶する。

「どうもすみません。姐さんのおっかさんですかい。そちらはかぐやちゃんですね。お噂はかねがね。遠路はるばるようお越しになりました。おれは隣に住む慎矢といいます。よろしければ今晩うちで一緒にお食事いかがですか」

 くたびれた着物を着ているものの、感じの良い青年だ。

「おや。おやおやおや」

 この人があんたの好い人なのね。言葉にせずとも母の考えは娘に伝わったようで、口を尖らせて反論する。

「もう、違うからね。この人はただのお隣さんで、仕事仲間。絵師をしてるのよ」

 ゆみの剣幕に、かぐが目を覚ます。手を伸ばした絵師に大人しく頭を差し出して、気持ち良さそうに撫でられている。腹まで見せそうな様子だ。

「ふうん」

 と言いながら、まりは長屋を出た。かぐは、家族以外の者にはけっして懐かないのだ。

 満たされた気持ちで大路を歩く。自分のことではないのに、こんなに幸せな心持ちになるなんて、親とは不思議なものだ。

 町の様子は数年で変わったというものの、昔馴染みの店も多い。新しい店は活気があり、食事処や薬屋も増えていっそう便利になったようだ。折角だから夫と一緒に歩きたかったけれど、致仕方ない。来れるうちに来なきゃね。

 一通り散策と馴染みへの挨拶を終え、茶屋の店先に座る。ふう。ずいぶんくたびれた。団子と茶が出てきたものの、団子はそのまま手土産に包んでもらった。

 長屋へ戻る途中、かつてのゆみの婚家の店先では、幼い兄弟が毬をついて遊んでいた。

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