#5
山中の茅屋に帰り着くと、夫が奮闘した跡があるものの、洗濯物は溜まっているし、部屋は散らかりっ放しだ。まりは溜息を吐いて家事に取り掛かる。かぐは数日振りに再会した夫に飛びついてしっぽをぶんぶん振っている。夫は、泣き笑いのように目を細めて相好を崩していた。
また、何もない平凡な日々が続く。
約束の書物は、飛脚によって無事届けられた。
夫に書棚を拵えてもらい、本を積む。これらをのんびりと読むのだと思えば、当面心穏やかに過ごせそうだ。
娘のゆみも半年に一度は顔を出すようになった。来たら来たで、こんな田舎くんだりまでご苦労なことだと思う。よほど小さな妹が気に入ったのか、訪れた時には四六時中かぐのあとを付いて回って、犬の方が人間にうんざりしているようだ。渋々相手をしてやっているという様子も微笑ましい。
「異国の犬でこの子みたいに胴長短足の種がいるみたいよ」
どこぞより仕入れた情報を、ゆみが披露する。
最近は、かぐを所望する声もずいぶん落ち着いた。都会では一つのことにいつまでもかかずらっているほど暇ではないのだろう。
娘が帰省の度に読本や食材を持ち込んでくれるので、ここでの生活も妙に落ち着いてしまった。
冬には四方に積もった雪でしんとした家の中、火の傍で本を読む。犬を膝に乗せて、甘い善哉を食べて。囲炉裏を挟んで夫がせっせと竹細工をしている。台所の食材入れを新調してくれるらしい。
梅の香が春の訪れを告げ、遠望の桜を眺める。鶯が上手に鳴く頃には、若葉が眩しい。五月雨を聞き、夏には雨戸を開け放つ。蛍の光が宙を舞い、十五夜を迎える。
広縁に座って、ぼんやり満月を見上げる。夫婦の間にちょこんと座ったかぐも同じ仕草で頭を上げる。犬が十五夜の風情を解するのかどうかは分からぬが、大変愛らしい。こんな風に並んで十五夜の月を見上げられるのもあと何回だろう。犬の寿命は大方七年だという。山中に仔犬を拾ってから、早五年の月日が流れていた。
ぼんやりしていたら、あっという間に月日は過ぎてゆく。けれど、最近はそれでいいではないかという気がしている。この小さな犬を見ていると、毎日精一杯生きるそれだけで十分だという気がする。
幼少期に外にも出さず大事に育てたかぐは、人見知りどころか犬見知りで、家族以外の者には一切懐かない内弁慶になってしまった。夫は「お前にそっくりだ」と笑うけれど、余計なお世話様。この子はこのまま雄のつがいを得ることもせず、子を生すこともなく生涯を終えるでしょう。
ならば、かぐの生涯に意味がなかったのかというと、けっしてそんなことはない。この子がうちに来てくれたお蔭で、破綻しかけた夫婦の仲を取り持ってくれた。会話が増えた。生活に張り合いが出来た。暗かった家の中に、光が満ちたようだった。
さらに、かぐのお蔭で、しばらく無沙汰だった一人娘のゆみも定期的に顔を見せるようになった。――といいたいところだけれど、ここ暫くはまた足が遠退いている。仕事が忙しいのだとは聞いているが、実は大病を患っているのではないかとか、悪い男にひっかかっているのではないかとか、親として心配は尽きぬ。
また、思うところもあり、ちょうどよい機会なので、数年ぶりに都へ足を向けることにした。
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