姉ちゃんとのある日常⑥(姉視点①)
1
「ねえ、ユウタの家はどうして離婚したの?」
私の母とユウタの父が再婚して2年くらい経ったころだろうか。私はユウタにそんな質問をしたことがあった。ずっと気になっていたけど聞けなかったことだ。たまたまその日はユウタと私しか家にいなかったから質問する勇気が出た。
「お母さんは他に好きな人ができたから家を出ていったってお父さんが言ってた」
小学三年生のユウタが、炬燵でミカンを食べながら言った。へえ、と自然と声が出た。こういう、誰にも話さないようなことを教えてもらえるのってちょっと嬉しい。離婚の話を聞いて喜ぶのは少し不謹慎かもしれないけど。
「そうだったんだ。ユウタは前のお母さんがいなくなって寂しかった?」
「……よくわからないけど、お母さんの一番は僕とお父さんじゃないんだってわかったとき、なんだか変な気持ちになったよ」
ユウタがミカンを口に放り込む。辛い話のはずなのに彼は淡々としていた。
「お姉ちゃんの家はどうして離婚したの?」
「……うちはね、お父さんが疲れちゃったから離婚することになったの」
ユウタが首を傾げた。
「疲れちゃった?」
「そう、お父さんでいることに疲れちゃったんだって」
私の説明を聞いてもユウタは困惑しているようだった。
「どういうこと?」
「んー。私もよくわからない。けど……」
なんとなく、つけっぱなしにしていたテレビを見た。テレビでは子犬と子猫が気持ちよさそうに体を寄せ合い眠っている映像が流れていた。
「お父さん、遅くに仕事から帰ってきてもいつもニコニコしていたの。私がお父さんのところに駆け寄るといつでも嬉しそうにしてくれた。……けど、本当はすごく疲れてて休みたかったのかもしれないね。私が甘えすぎたから、お父さんは辛くなっちゃったのかも」
私の話を聞くと、なぜかユウタがしょんぼりと俯いた。自分の話の時は淡々としていたのに不思議な子だなと私は思った。
「お姉ちゃんは甘えるのが好きなの?」
「うん。昔はね」
「今は?」
「今は嫌いかな」
「そうなの?」
「甘えたせいで誰かに嫌われちゃうのはやっぱり嫌だよ」
「ふーん」
ユウタがじっと私の顔を覗き込む。
「……僕には甘えていいからね」
優しい顔で微笑まれて、私の心臓はどくんと跳ね上がった。それを隠すように平静を装って彼の頭を撫でる。
「ありがとう。ユウタは優しいね。でも無理してそんなこと言わなくても大丈夫だよ」
遠回しに拒否されたと思ったのか、ユウタは悲しそうに眉を下げた。
「やっぱり僕じゃ甘えたくならない?」
「そ、そういうわけじゃ……」
即座に否定しても、ユウタの顔は依然と曇ったままだった。そんなに甘えられたいのだろうか。
「……私、本当にすごく甘えちゃうよ。きっとユウタ大変になるよ。それでもいいの?」
ユウタはぱっと表情を明るくして
「うん!」
と言った。ふふっと私は笑ってしまう。もう一度頭を撫でると今度は気持ちよさそうに微笑んだ。何だか犬みたいだな、と思う。実際、ユウタの方が犬より可愛いかもしれない。
「……お姉ちゃん。いくらでも甘えていいから、お姉ちゃんは僕から離れていかないでね」
その言葉でいろんな気持ちがこみあげてきた。私は返事をする代わりにユウタをぎゅっと抱きしめた。
「ユウタこそ、私に愛想つかしていなくなったりしないでね」
そう言うと、私の胸の中でユウタが小さく「うん」とうなずいた。静かに体を離すとこちらに小指を差し出してくる。私はその小指に自分の小指を絡ませた。
そうして私たちは雪がしんしんと降る日に指切りげんまんを歌って約束を交わしたのだった。もう8年も前の遠い昔の話だ。ユウタはあの日のことをまだ覚えてるだろうか。
きっともう、忘れちゃっただろうな。
2
ユウタが、他の女の子とキスしているのを見た。
その日は久しぶりに仕事が早く終わって、私はユウタが喜びそうなピザを夕飯に買って鼻歌をうたいながら帰り道を歩いていた。家のすぐ近くまでたどり着くと、公園に二つの人影が見えた。目を凝らして見てみると、ユウタと可愛らしい女の子がそこに立っていた。同級生の子だろうか。二人は何かコソコソと会話を交わしている。不意にユウタが耳を傾けるように彼女に顔を近づけた。女の子はなんのためらいもなくユウタの頬にキスをした。突然の光景に私は硬直してしまい、持っていたピザの袋を地面に落としてしまった。数秒間ぼーっと立ち止まって、はっと我に返り、ピザが入ったビニール袋を拾い上げる。幸い、ピザの形は崩れていなかった。私は何事もなかったかのようにその場を立ち去った。
家に着くと「ぐぅ」とお腹が鳴った。私は靴を脱ぐと、まっすぐキッチンに向かい、ピザをレンジで温めなおした。レンジの中で、ぐるぐるとピザが回る。それをぼーっと眺めていると、さっき見たキスの光景が頭をよぎった。もしかしたらユウタは今日帰ってくるのが遅いかもしれない。あの女の子と夕食を食べてから帰ってくるのかもしれない。
「ピザ、Lサイズを買ったの失敗だったかな」
独り言をぼそっと呟いた。キスする仲の女の子がいるなら言ってくれればいいのに、と私は思った。そういうのユウタは隠さずに言ってくれると思ってた。ちょっと、ショックだ。
3
きっと帰ってこないだろうと思っていたけれど、予想に反してユウタはすぐに家に帰ってきた。夕食にピザを買ってきたよと伝えたら無邪気に喜んで洗面所へ駆けていった。さっき女の子とキスしていたとは思えないほどの自然体だった。
4
「……そういえば、今日も弁当おいしかった。ありがとう姉ちゃん」
ピザを食べ終えて、私とユウタは一緒にゲームをしていた。
「どういたしまして」
「あのアスパラを包んだハンバーグみたいなのすごいおいしかった」
「本当?それじゃまた作ろうかな」
え?とユウタがゲーム機から目を離し、驚いた顔でこちらを見る。
「あれって、姉ちゃんの手作りだったの?」
「そうだよ。アスパラをひき肉で包んで焼いただけだけど……」
「へぇー。すごい」
ユウタがきらきらした目でこちらを見る。べつにすごくないよ。と言いつつもうれしくて、えへへと声が漏れてしまう。
昔から私は容姿以外のことをあまり褒めてもらえたことがない。実際、私は不器用でどんくさいからしょうがないけれど、ユウタだけはいつも私の容姿以外の部分を褒めてくれた。尊敬のまなざしを向けてくれた。私はユウタのそういうところが好きだ。
「……ユウタはさ、今好きな人とかいる?」
私は気になりすぎて、ついに自分から話題を振ってしまった。
「え?なんで?いきなりどうしたの?」
ユウタの目が泳ぐ。私の質問に明らかに動揺していた。
「別に。急に気になっただけ。やっぱりいるの?」
「……いない、と思う」
ユウタが顔を隠すように俯いた。
「えー?なにその中途半端な回答。別にいたっていいんだよ?」
ユウタに近づいて顔を覗きこむ。覗きこんで、すぐに後悔した。ユウタの顔はわかりやすく赤くなっていた。そんな顔になっちゃうくらい、あの女の子が好きなんだ。そう思うとなんだかいろんなことがどうでもよくなった。
「そっか。いきなり変なこと聞いてごめんね。嫌だったよね」
「べ、別に嫌ではなかった、けど」
ユウタが慌てて顔をあげた。とその時、ゲーム機からピピーと試合終了のホイッスルの音が鳴った。
「「あ」」
私たちは同時に声を出した。話に夢中で全然ゲームに集中できていなかった。いつの間にか、私たちのチームは惨敗していた。今日はもうこれ以上ゲームを楽しめる気がしないし、ここらでやめておこう。
「私、お風呂入ってくるね」
「う、うん」
ユウタの返事を聞いて私は立ちあがった。
5
洗面所に入って、私は大きなため息を吐いた。顔を上げる。鏡にはいつもより覇気がない自分の顔が映っていた。何だろう、この感じ。体が一気に重くなった気がする。正直お風呂にも入らずこのまま眠ってしまいたい。けれど、明日も仕事があるし、そうも言ってられない。私は自分に鞭打って渋々服を脱いでお風呂に入った。
浴槽に入る。意味もなく鼻までお湯に浸かって、息を吹き込む。
ぶくぶくぶくぶく。
水面に泡ができて、はじける。その様をぼーっと眺めていると、だんだんと息が苦しくなってきた。ぼんやりした頭の中では言葉未満の気持ちが目の前の泡のように浮かんでは消えた。
なんとなく、ユウタはずっと私と一緒にいてくれるんだと思っていた。まだあの女の子と付き合っているわけではなさそうだけど、付き合い始めるのも時間の問題だろう。なんたってキスをしていたんだから。彼女ができたら、私の作る弁当なんてユウタは喜ばなくなるだろうか。私とはもうゲームをしなくなるだろうか。嫌だな。彼女なんてユウタには一生できなくていいのに。
……あの女の子と、うまくいかないといいな。
息が続かなくなって、水面から顔を出した。大きく深呼吸をする。頭に血が回ってきて、だんだん冷静になってくる。私今、悪魔みたいなこと考えてた。だめだな。私はユウタの幸せを喜べる人間でありたいのに。
「このままじゃ、いけないよね」
籠った声が浴槽に小さく響く。私は両目をごしごしと擦った。もうそろそろ弟離れしなきゃいけない時期なのかもしれない。ずっと一緒にいたいだなんて思ってたら、ユウタに迷惑をかけてしまう。本当は薄々わかっていただろう。そんなこと実現できるはずないって。だって私とユウタは姉と弟なんだから。
6
翌日、自分の中で3つの決まり事を作った。
1.ユウタとはもうキスをしない。
2.ユウタの体に無闇に触れない。
3.一人でいるときにユウタのことは考えない。
この決まり事を守ってユウタとの接触を少しずつ減らしていけば、そのうちユウタ離れができるんじゃないかという作戦だ。
それからの私の生活はだいぶ味気ないものになった。ユウタにキスをしたり体に触れたりすることが、今までどれだけ私の気持ちを明るくしてくれていたのか、身をもって思い知った。一方ユウタの方はと言うと、私がキスをしなくなっても、体に触れなくなっても何も動じることはなくいつも通りだった。その反応に少なからず傷ついたけれど、同時にそれもそっかと納得もした。考えてみたら、私が一方的にしていただけで、ユウタはそれを受け入れていただけなのだから。普通だったら気味悪がられて距離を取られてもおかしくないことを、ユウタは平然と受け入れてくれていたわけだから、私はむしろ感謝しなきゃいけないのかもしれない。
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